歩いていると、後ろから頭の上を何かがふわっと触った。何?と思うと、通り過ぎていくハトが見えた。飛びたったハトの羽が当たったらしい。
ハトにからかわれたのか、距離を読み間違えたのか? 遠くへいくハトを見ながら、自分の力で自由に飛べる感じはどうなのだろうと思う。
ずっと続く空のその先。飛行機で空へ行ったら、下に雲が見えた。いつも見上げていた雲が下で漂っている。雲の上は快晴だった。下からは見えなかったまぶしいくらいの真っ青な空間を突き抜けていく。
そして、まだまだその先にも空が続く。そんな中にいるちっぽけな自分を思うと、些細なことなんてどうでもよくなってくるのだ。
「遠くの空へ」
ゲーブルカーで山を登るのが好きで、機会があれば乗ってみる。山頂の展望台で、景色を眺めるのもいいけれど、このしだいに上がっていく感じがいい。
人の足では追いつかない速度で進む中、登る斜面のきれいな緑や山肌を見たり、下の街の景色を眺めたりとあちこちに目を向ける。そして、遠くの街が一望できるくらいまで上がると、空と下界が一つの世界になる。うぉーと思う。!をつけるのでは、なんだか軽い。もっと心が動いている。
箱根のゲーブルカーで上がった時、山を一つ超えると、目の前にどーんと富士山の先っぽの美しい形が見えた。思わず、わぁーっと声がもれた。
それはやっぱり、!じゃ全然足りない。
「!じゃ足りない感情」
君が見た景色は、多分間違っている。
思ってもいない言葉と態度で、あたかも真実のように始まった現実は、そのまま続いてしまった。
何とか変えようとしても、それは、綿の海を転がるかのようにくるくると大きくなっていった。その固まりから、すーっと糸を引き出して、ネジれたものを少しずつほどいていく。でも、その下のほうからまたネジれてしまう。
それを繰り返して、絡まりながら必死にもがいていた。だから、君が見た景色は、真実ではない。
「君が見た景色」
思いを言葉にしようとして、なにを選んでいいのか分からない。色々と浮かぶ言葉はあるけれど、違う。これも違う。焦れば焦るほど、言葉はバラバラになって出ない。沈黙が積み重なる。
言葉がない空間は、余白が生まれる。その余白が層をなして不思議な深みになる。その空間に思いだけが漂う。
きっと言葉にしたほうがいい。
でも、たまにはそんな空間にいるのもいいかもしれない。
「言葉にならないもの」
子どものころ、スイカ割りをした。
ずっとやってみたかったので、楽しみだった。
海辺でビニールシートを敷いた上に、大きなスイカが用意されていた。順番にたたいていったが、なかなか割れない。
自分の番になった時、目隠しすると周りの人が「もっと右」とか「まっすぐ」とか誘導してくれる。砂浜は歩きにくく、足元がぐらぐらする。「そこ!」という声がしたので、思いっきり棒を振った。ゴンと当たったけれど、丸い形の端を力がするっと抜けた。
「あー」というがっかりした声がする。スイカは少しだけへこんだけれど、割れなかった。ついに次の人で、隅っこがグシャっとした変な形で割れた。スパーンと真ん中で割るのは難しいと分かった。
グシャグシャに割れたスイカは、生ぬるくて甘かった。そして、少しだけ海の香りがした。
「真夏の記憶」