はじまりの場所は、追いかけたらみつかるだろうか。急がないといけない。あっという間に薄くなってしまうから。
その姿を見ると幸せな気分になるのは何故だろう。色のグラデーションが、あまりにも美しいからだろうか。大きな放物線が明るい何かを彷彿とさせるからだろうか。めったに出合えないからだろうか。
でも、見えた時には遅くて、はじまりへは行けない。
もしかしたら、別の時には、今いる場所がそのはじまりになっているかもしれない。そこからぶわっと光が伸びている。向こう側にいる誰かからその美しい光の束が見えているのかもしれない。
「虹のはじまりを探して」
お気に入りの坂道がある。
その坂の頂に立つと、右手に線路の土手があり、ゆったりと道路が曲線を描いて下っている。
土手は舗装されてなく、季節ごとの草が生える。
昼間は、目の前にまるく広がる青い空と、草の色を楽しむ。夜は、道の脇の街頭がポツポツと灯るのがいい感じだ。特に月が見える日は、少し幻想的になる。月あかりに照らされて、土手の草や木がいつもより深い影を作る。
ふわっと漂う草の香りと、虫の鳴き声も心地よい。思わず深く息を吸う。少し軽くなったように感じる足元の、かかとに力を込めながら坂を下る。
この坂は、私のちょっとした癒しの場所だ。
「オアシス」
人前で涙を流すのは、恥ずかしい。
たとえば、映画を見て涙した時も明るくなる前に、涙は拭っておきたい。
目の周りがとんでもないことになってないか、鏡を出して、こっそり見てみたりするのだけど。
昔、ドラマや映画の泣くシーンで、女優さんの涙が、マスカラがとれて黒くなっているのを見たことがある。目の周りもうっすら黒くなって、頬には黒い筋がすーっとできている。
本来なら、人には見せたくないだろうその筋が、かえって悲しく見えた。
涙の跡が、そんなかたちで見えるのも悪くないなと思った。
「涙の跡」
何年か前までは、半袖姿でずっといることはなかった。Tシャツを着ても、何かしら羽織るものを着て、日除けや冷房の寒さ対策をしていた。
でもこのところの暑さは、すごい。
日傘をさしても、下からもジリジリと熱が押し寄せる。二枚服を重ねるなんて耐え難く、とうとうTシャツ一枚で出掛けることが多くなった。
先日、お店でふと手に取った、半袖のシャツ。
サラサラッとした生地が気持ちよさそうで買ってみた。それが、すごく良かった。
少し大きめなのもよくて、風が吹くと、脇や裾の隙間からサーっと風がとおる。
おー! 涼しい。
半袖シャツの良さに改めて気づいた。
すっかり気に入って、最近こればかり着ている。
「半袖」
もしも過去へと行けるなら、私は、前と違う選択をすることはできるのだろうか。
やっぱり…って思って、もとのままになってしまうかもしれない。
あの出来事や、私の選択は、結局その時々でなるべくしてそうなっているのではないか。
でも、やっぱり、あの時こうしていれば…なんて考えてしまう。
それならば、何度だって過去へ行ってみよう。
何度も何度も経験してみて、もし、それが必然だったと分かったとしても、今の思いを変えたらいい。その時の私には、それがベストだったのだ。
その選択だったからよかったと思おう。
「もしも過去へと行けるなら」