請われたから作るだけ。本当は自分の分しか作る予定はなかった。眺める紙には、数年前からリピートしているお気に入りのクッキーとケーキのレシピ。目の前には毎年同じところで買うクーベルチュールチョコレート。
キッチンで長いこと格闘する。甘い匂いに包まれながら。別にあなたのためじゃない。自分が食べるついで。
「バレンタインはもはや野郎のためにあるんじゃない。自分のためにおいしいチョコレート菓子を用意して楽しむ日ですから。」
そう言ったのは本心だ。現にここ数年は本当にそうだった。でも、どうしてもあなたの手作りが食べたいと、どの程度本気なのかも分からないけれど、言われて渋々頷いてしまって。そこからこの半月、妙に気になって。
焼き上がったものを冷ましたり、仕上げたりしながら、ラッピングの用意をする。少し気持ちが落ち着かない。あれはどういうつもりで言ったんだろうか。チョコレートが好きなだけなら、市販のものでも買って食べればいいのに。むしろ、望めばくれる人なんてたくさんいるはずなのに。
最後に結ぶリボンは、あなたを連想させる色。名前から、勝手な想像でしかないけど。
どんな顔して渡したら良いんだろう。とりあえず、約束通り作ってきましたよ、でいいかな。
〉あなたに届けたい
人目を避けて置かれた一人掛けのソファ、温かい紅茶、メープルの香りがするビスケットタイプのシリアル。家でどんな目に合っても、ここでは全てが関係なかった。保健室の片隅が、安心できる場所だった。
〉優しさ
きっかけは、何だったのかな。
ぽつりぽつりと紡ぐのが心地良くて、楽しんで日課にしていた。ぷつりと糸が切れるみたいに、ある日を堺に書けなくなった。手も頭も止まった。
何をしても形にならなくて、まわりはいつも、自分よりずっと優れて見える。滑稽。痛々しいくらいに、いつまで経っても何も出来ない。子供よりたちが悪い。
こんな自分を、今までの選択を、やり直すことが出来たら、何か変えられるんだろうか。
〉タイムマシーン
さらさらと風が流れ、さらさらと砂が流れ、さらさらと時が行く。そうして少しずつ褪せていくのだと。
僕は朽ちていくものがすき。過去になって、そこにいた人の温度や思いが目に見える形で残りながら風化していく。そんなところがすき。だから、ここがすき。
いつでも散歩がてら、夕暮れのメランコリックに浸れる。
少しずついなくなる人。少しずつ空いていく家。少しずつ減っていく店。少しずつ消えていく文化。あぁ美しい。
だけど、僕だけじゃない。ここにいるのは、僕だけじゃない。だから。
楽しいを作ることにした、みせることにした。
ここにも本当はあるのに、気付かれにくいすてきなものを、僕が集めてみんなに教えてあげる。気付いて、好きになって、そして根付いて、広がって。
そうしたら人が増えるかもしれない。廃墟や懐かしい風景は消えるかもしれない。それは、僕のすきなものが減るってことかもしれない。
けど、だいすきなこの場所は続いていくから。それもいいのかもしれない。
〉心と心
(このままでいてほしい、でもなくなってほしくない)
逆さまの蝶は地の底へと羽ばたく。
その翅を震わすほど深く沈みゆく。
心は光を求めても、決して届かない。
であれば沈めばいいのに
それでも飛びたがるから
ますます沈んでいくんだ。
〉逆さま