人の気持ちは目には見えない。
「それには深い理由があるの」と、小さい頃世話になった教会のシスターが言ってた。
深かろうが浅かろうが、そもそも理由があろうがなかろうが、正直どうでも良い。この話も覚えていたくて覚えているわけじゃない。繰り返し聞かされているうちに、ただ耳に残っただけのことだ。
「見えないから知りたくなるし、知ることで好きになることもあるでしょう」
見慣れた教会で、今日俺は結婚式をする。相手は教会の紹介で働き始めた頃に出会った人で、何度か顔を合わせるうちに、少しずつ仲良くなった。色んな話を聞くうちに、絶対にこの人だと思った。確認を取ると、彼女は間違いなく俺が教会から指示されて探している人だった。
「見えないから、人は人を愛せるのよ」
来週には新婚旅行で悲劇に見舞われて、愛しい妻を失う。そんなシナリオが用意されている。
〉愛情
優しい話にしたいのに
どうしていつもこうなる
風が随分冷たくなって、色付いたはずの景色はあっと言う間に寒々しくなる。日も短くなって、気が滅入る理由ばかりが目につくようになる。寒さは人を殺すのだ。
雪の多い地域では、雪片付けの最中に除雪機の事故や屋根の上からの転落などで人が死ぬことが珍しくない。納棺師が言うにも、冬は仕事が多くて、夏は比較的に暇だとか。
人の死はきっと暗がりに潜むんだ。
日の当たらないそこで、ねぇ。もしかしたらあの路地裏で、誰かが息絶えているかもしれない。きらびやかな大通りよりは、なくもない話だろう?
相変わらずノスタルジックばかりを歌う美しい人の歌声に心はまどろみながら、たゆたうような幸福感さえ感じながら、その片隅で冷やかさを隠しきれない。だって人は一度落ちてしまったら、どこまでも落ちていくしかないのだから。
〉落ちていく
休前日の午後のカフェ。どこからか溢れるように、可愛らしい声が漏れ聞こえた。
「ねぇママ、けっこんってなぁに?」
ひしめく話し声が薄い膜のように、あちこちにかかる中、不意にはっきりと聞こえた問い。しばし答えらしき声のないまま、はたまた周りの音に飲まれたか、とカップの中のコーヒーを見つめて思案する。
「……なんだろうねぇ?」
「ママもわかんない?」
「うん、わかんない」
子供の問いかけは時々ものすごく難しい。親は大変なんだろうなぁ、なんて他人事。当たり前という言葉で眩んだ物事の本質に、純粋な疑問をぶつけられると、くたびれた大人は戸惑ってしまう。案外賢いのは子供の方かもしれない。
〉夫婦
たまにはあかるいのとか、たのしいのとか。
書いてみたいけど、浮かばない。
〉どうすればいいの?
どうしてだろう。耳が静寂を拾えなくなった。有りもしない音が鼓膜を撫でていく錯覚の中で、必死に静けさを探した。意識的に繰り返す深呼吸。落ち着こうとすればするほど、何故かかけ離れていく。上手く行かない。そんな時ふと目に入った、さくらのアロマキャンドル。誕生日にもらったまま、可愛すぎて使えないからずっと飾っていたものだった。寒さの厳しい頃に生まれた私の誕生日に、さくら。お店の中の季節変化はとにかく早いのだ。そしてそれを秋に灯そうとしている。ちぐはぐだなぁと笑って、気付いた。あぁ、もういつもの静かな夜だ。火を探すのをやめ、また灯る機会を逃したキャンドルを、そっと飾った。
〉キャンドル