現実のさなかにありながら一瞬、違うどこかへ迷い込んだのかと慌てる。普通ならありえない。ただそこにいるだけで、きらきらのエフェクトがかかって見えてしまう。眩しい。あの人の周りだけ、現実の中に夢が紛れ込んだみたいだ。
〉きらめき
咳が止まらない。肺が痛い。苦しい。
もしかしたら死ぬのかな?
片付かない部屋の中で、雑多なものに埋もれて。
でも心は空虚なままで。
死ぬのかな。
それもいいな。
死んだら終わりだから。
幸せになりたかったけど。
愛されてみたかったけど。
諦めを重ねすぎた心は、頭は。
必死に掴み取りに行くほどの熱を失くして。
気ままなペースの努力では何も掴めない。
どうせ手に入らないから。
僕は空っぽなまま死んでもいい。
〉不完全な僕
ドン、と重く響く。何も知らなければ、何事かあったのかと不安に駆られそうな音。
「わぁ、花火大会始まったんだねぇ」
にこにこと嬉しそうに言いながらも、母は手を止めることなく食器を片付けている。見ようと思えば、電気を消すなり窓を開けるなりして、多少見られるんだろう。だけど母も私も、それはしなかった。
「今年は何人見られたんかね」
密集を防ぐことが常となり、気付けば毎年の楽しみにも随分と高値がついていた。思い返されるのは、何年か前に行った時の、あの人混み。ツレを見失えば最後。連絡を取っても合流しようのないような混雑。見渡す限りの人の壁。
――あの時も、飛べたら良いのにって思ってた。
異なる状況下で、同じイベントを迎えて。思うことは同じなんて、なんだか笑えてしまった。ちょうど数日前に、ドローン二機を組み合わせて足場にして、空中を滑るように移動する映像を見ていたせいかもしれない。
「またみんなでみたいね」
くだらない空想は頭の片隅に置いといて、無難な相槌をする。溶けかけのアイスをスプーンで弄びながら、それでも期待は誤魔化せない。いつか空をも道として選べる日が来るといいなと、子供のように夢を見ながら、液状になりつつあるそれをカップごと口元へ寄せて流し込んだ。
〉鳥のように
言葉というのは、事実に彩りをそえたり、正確に伝えたりする一方で、時にその事実を空虚にみせることもある。そう祖父に教わった。
飛行機の時間に合わせて、いつもより二時間早い閉店。クローズの看板の代わりに、閉店のお知らせの張り紙をした。最終日まで付き合ってくれた優しい従業員は、いつもより大きなリュックに私物を詰め込んで背負った。最後だなぁ、と密かに感傷に浸る。そう、本当に最後なんだ。
「ねー純くん」
「はい」
真面目で、素直で、わかりやすい。今どき珍しいくらい、名前通りにピュアな子。声を掛けると、瞳に一瞬緊張が走る。俺を警戒したんだろう。嫌われてるなぁ。
「今まで、ありがとね?」
「……いえ、こちらこそお世話になりました」
あんまり上手じゃない作り笑い。ぎこちない。でもそこがいい。嘘がつけないんだ、俺と違って。そのまま素直なきみでいてね。なんて、声には出せないけど。
「俺、きみと会えて楽しかった」
たぶん信じてなんてもらえないけど。それでも最後だから。今だけ、心からの本音を言わせて?たとえ君の心に届かなくても。
〉さよならを言う前に
前に載せた絆に干渉する人が、転職する前のお話。
母のドレッサーは大きな三面鏡です。私はよくその前に立って、遊んだり磨いたりしていました。
まやかしの夢幻城。合わせ鏡の連なる世界はどこまでも続くようで見入ってしまいます。
ひとしきり覗き込んで、振り返るとまた無限。さて、私はどこへ向かえば良いのでしょうか。
〉鏡