言葉というのは、事実に彩りをそえたり、正確に伝えたりする一方で、時にその事実を空虚にみせることもある。そう祖父に教わった。
飛行機の時間に合わせて、いつもより二時間早い閉店。クローズの看板の代わりに、閉店のお知らせの張り紙をした。最終日まで付き合ってくれた優しい従業員は、いつもより大きなリュックに私物を詰め込んで背負った。最後だなぁ、と密かに感傷に浸る。そう、本当に最後なんだ。
「ねー純くん」
「はい」
真面目で、素直で、わかりやすい。今どき珍しいくらい、名前通りにピュアな子。声を掛けると、瞳に一瞬緊張が走る。俺を警戒したんだろう。嫌われてるなぁ。
「今まで、ありがとね?」
「……いえ、こちらこそお世話になりました」
あんまり上手じゃない作り笑い。ぎこちない。でもそこがいい。嘘がつけないんだ、俺と違って。そのまま素直なきみでいてね。なんて、声には出せないけど。
「俺、きみと会えて楽しかった」
たぶん信じてなんてもらえないけど。それでも最後だから。今だけ、心からの本音を言わせて?たとえ君の心に届かなくても。
〉さよならを言う前に
前に載せた絆に干渉する人が、転職する前のお話。
母のドレッサーは大きな三面鏡です。私はよくその前に立って、遊んだり磨いたりしていました。
まやかしの夢幻城。合わせ鏡の連なる世界はどこまでも続くようで見入ってしまいます。
ひとしきり覗き込んで、振り返るとまた無限。さて、私はどこへ向かえば良いのでしょうか。
〉鏡
いっそ手放してしまえたら、どれほど楽だろうか。文字や言葉に対する、もはや執着にも近い気持ち。意図的に植え付けられた好みでも、確かに自分の中で根付いて育まれてしまった一つの性質。言葉の持つ音や雰囲気に惹かてしまう、この気持ちを。捨てられたらと、何度思ったことか。この執着が私を救ったのであり、同時に死ぬまで苦しむんだろう。
〉いつまでも捨てられないもの
夏の青さが目に染みて、歪む視界はそれでも青い。ひりひりと焼け付くような暑さが、肌にも喉にもこびりつく。落ち着こうと取り繕う深呼吸の熱気が寄越す不快に、余計に焦る。乾きを感じてからでは遅いのだと、CMでも言っていた。それでも、やりきったことに安堵する気持ちが大きい。ぐらつく視界ももつれる足も、どうってことはない。向こうから、慌てた顔で走り寄る仲間の姿が見えた。そんな顔するなよ。勝ったぞ、最後の夏に。この仲間で迎える最後の機会。最高のフィナーレだ、笑えよ。
〉誇らしさ
指先に紙の質感を感じながら、ゆっくりとページをめくる。言葉の渦に溺れながら、思いを馳せる夜の海。暗く深い水底に、沈んでいるきらめき。届かなかった思いが、言葉が、きっとそこにはひしめいている。叫びのような、涙のような、行き場のない思い。そこにあなたもいるような気がして、窓の外に視線をやる。真っ暗で何も見えない。時々波の間に、月の光がささやかな色を落とす。いや、あれは海底のきらめきかもしれない。誰かが吐き捨てた感情はきっと、今日も海の底から深い夜にだけ、月明かりに誘われるように音の無い主張をにじませている。
〉夜の海