彼女はその季節になると、何度も何度もシャッターを切り続けた。場所を変え、角度を変え、絞りを変え、光を変え、レンズを変えて、とにかく撮り続けた。そんな姿を、ただずっと見ていた。夢中だった。
「ねぇ見て!いい感じに撮れた!」
楽しそうにこちらを振り返る笑顔は、眩しくて、愛しかった。
「今年もそろそろ撮りに行く?」
時期になると率先して計画を立て、準備をしていたのに、今年はそんな素振りがない。たずねてみても、反応はぱっとしなかった。肯定とも否定ともつかない、曖昧な返事。4月に異動になってから、残業やら出張やら何かと忙しくしていたから、疲れが出ているのかもしれない。家にいても、以前に比べて静かになった印象がある。前はいつもにこにこして、僕にあれやこれやとその日にあったことを何でも話したがっていたのに。
「最近、疲れてる?大丈夫?」
「うん、平気。ありがと」
声を掛けても、返事はあれどほとんど目が合わない。そんなことが、気になり始めていた。
君があの花に見向きもしなくなって、いや。僕を伴って撮影に行かなくなって、二度目の梅雨入り。最低限の会話ばかりが残された日々に、仕事以外の気力は全て奪われた。気力だけじゃない。もう僕には何も残っていない。テーブルの上に広げた封筒の中身は真っ黒だった。彼女は今日も出張らしい。コップに水を注ごうすると、なんだか余計なものまで降ってくる。顔を上げて目元を拭うと、ふと壁に掛けられたいつかの写真が目に入る。君が嬉しそうに見せてくれた渾身の一枚。この花がグラデーションがかった色合いになるのは、根付いた土壌の性質が花びらの色に影響するからだとか。そんな見た目に影響されて、花言葉もあまり良い印象のものではない。
「あぁ、そうか」
君は憧れに近付きたかったんだね。なんだか妙に腑に落ちて、思わず笑ってしまう。相変わらず頬は冷たい。
「仕方無い、大好きだもんね」
いつか君は言っていた。あの花は、鮮やかに咲く瞬間だけが美しいんじゃない、褪せて朽ちていくその姿まで美しい、と。
「それなら、」
視界の端で、鈍色のそれがきらめいた気がした。もう全てどうでもいい。君が憧れを求めるなら、憧れに近付いた君も、きっと。他の誰が何て言おうと、僕ならどんな瞬間の君も美しいと思える。だって、本当に、大好きだから。
〉あじさい 22.6.13
『移り気な花は朽ちる瞬間まで美しい』
視界がふわっと色付くような、世界が一瞬で開かれていくような、そんな瞬間を君も知っているだろうか。
部屋の片隅に置かれた小さな鉢。光を求めて伸びゆく茎と葉。膨らんだつぼみはあと幾日かで綻ぶのだろう。
――ガーベラの花が一番好きなの。
君がいつか手塩にかけて育てたピンクのガーベラは美しく咲いたね。嬉しそうに何枚も写真を撮って、何が違うのか分からないそれを、毎日送って来たよね。
――だけど、もっと好きなのは。
うっすら桃色のにじむそのつぼみのすぐ下に、ハサミの刃をあてる。そういえば昔何かで花も動揺するような話を見たことがある。嘘発見器の整合性に関する立証実験だったか。花は、火を近づけられると人間で言うところの、冷や汗をかくに近い反応をするとかしないとか。正直記憶も曖昧だけど。この花も、今この瞬間終わりを恐れていたりするだろうか。
「まぁ、どうでもいいけど」
パチン、と無機質な音。静かにつぼみは落ちる。ハサミのひんやりとした温度が、妙に心地良かった。
「咲かないで。つぼみのままでいて」
〉好き嫌い 22.6.12
目を覚ますと、窓の向こうにお気に入りの街並み。太陽の様子から察するにまだ明けて間もない。少しだけ街の色が違う気がすると思ったら、今日から暦の上では秋だった。
「どうりで」
色付いた葉が少しずつ木々を彩る。そんな景色を横目に、パネルから朝食をオーダーして着替えを済ませる。聞き飽きた音とともにいつも通りの朝食が壁の向こう側から受け取り口に届いた。ひんやりしたパウチを取り出してキャップを外す。朝は基本さっぱり済ませたいからフルーツ系。今日はグレープフルーツ味にした。パウチの中身を流し込み、空になったそれを先程の受け取り口に戻す。底の部分が一瞬開いて、あっという間にどこかへ消えた。
「さて」
包み込むようなフォルムの椅子に座って顔認証を済ませると、目の前には情報の羅列が浮かぶ。手元には操作パネル。今出来る作業を確認して、リスト化する。生活の保証を得るための対価。それが労働。決められた時間量を、決められた活動にあてる。何が割り振られるかは個々の性格や性質によって国家が決める。七日間で三十五時間の労働。それ以上は精神衛生上良くないらしく、時間の管理は厳しい。もちろん足りないのもダメだしサボっても時間カウントがされない。規定の量に足りないと、食事の選択肢が極端に減ったり、使用できる施設も制限がかかる。リストを作り終えたところで画面に通知が流れ込んだ。約束のリマインドだった。
「あぁ、そういえば」
前に会った相手から、フレンド申請と交流の申し出があった。その約束の日付が今日だったようだ。久し振りに出会えた古いもの好き仲間。また話が出来ると思うと顔がにやけた。リアル世代ならきっと、一緒に街に出掛けて遊んだりする良き友人になれたことだろう。まぁ、リアル世代に生まれていたら出会えていない可能性の方が高い。そう考えると、現代の人間で良かったと思う。多くが電子化された今、娯楽はオンラインアバターによって行われている。ゲーム、スポーツ、交流。実際に誰かと会って交流をする、リアル世代のようなことはまずない。電子機器とネットワークの発達によって、機械が何事をもこなしてくれる現代社会。何かしらの機械が壊れても、スペアが起動して、その間にそれを直す機械が作動する。らしい。実際のところは知らない。外の世界、なんてものはデータでしか知らない。壁一面にデザインされた大きな窓は単なるモニターで、映し出される町並みは自分で選んだ風景。暦と連動して少しずつ風景が変わる。天気も変わる。時間の経過でも。窓の外の景色は鮮やかに日が差し、風がそよぎ、木や花は揺れる。向こうには歩道という、人が歩くための道路も見える。リアル世代が生きた頃の街並み。人工のものではない、自然の風を受け、自らの足で歩く街というのは、一体どんな感じなのだろうか。実際に誰かがそばにいるというのは、どんな感じだろうか。
とあるパンデミックを期に少しずつ世界は変化し、対面の交流なしでも生活出来るシステムが少しずつ作り上げられた。そこが始まり。それからまだ一世紀も経っていない。今を生きるアフター世代の生活をリアル世代は想像出来ただろうか。生活も命も管理される現状を見たら、きっと驚くだろう。そんなことを考えながら、データでしか見たことのない、かつては人でごった返していた賑やかな街に、今日も一人思いを馳せる。
〉街 22.6.11
――適正、創造。二次適性、文芸。
掌の端末。映し出された電子ナンバーカードの詳細には、そう記されていた。
「なるほどね」
先週、二次適性検査を受けた。私も来月には18歳、成人になるから。生まれたときの遺伝子検査の一次適性が創造。それに二次適性の文芸を掛け合せた場合の適職がその下にズラリと並んでいる。飽きるまで目でなぞって、思わずため息が出た。
「嫌だ」
人にはそれぞれ適性があり、それに合わせた仕事をすることで効率化をはかる。それがこの国の労働改革として始まったのは何年前だったか。授業で習ったけど忘れた。もちろん強制するものではない。けれど適性に合う職業を選ぶと、様々な給付やら免除やら、金銭的にも、精神的にも、都合が良いように出来ている。強制はしません、でも出来ればそうしてください、と暗に言われているようなものだ。適性に合わせてさえいれば、就職先を探すこともそう難しくないらしい。
「ねぇ、何だった?」
「文芸」
幼なじみは口の端を上げてにやりとする。ゆっくりと二度頷いた。傍から見ても納得の判定らしい。
「何するの?」
「え。どれも嫌」
「嫌って。どうすんの」
驚いたような、心配そうな顔。無難に、安全に。そんな生き方を良しとする平和主義者は、春には適性通りに適職専科へ進む。それも良いと思う。保育士、似合いそうだし。
「適性なんて知るか」
「いやだって色々損だよ?勿体無くない?」
「自分の人生自分で選ばない方が勿体無いわ」
「えぇ、でも、」
幼なじみは何か言いたそうに口ごもる。ふと目が合うと、微笑まれた。
「適性職の方が習熟も早いって言うしメリットも多いけど、なんかもう腹決まってる顔だもんね」
「好きこそものの上手なれ、って言うじゃん」
「じゃあ、がんばれ?応援してる」
〉やりたいこと 22/6/10
『ロマンチストとリアリスト』
「今は多様性の時代だから」
多用し過ぎて言い訳じみた言葉と。
「こうあるべきなんてことは何もないよ」
限り無く行き過ぎた自由を連れて。
「君は君のままでいいんだ」
盛大にオーバー気味の許容範囲で。
「どんなところも愛してる」
とにかく全てを受け入れるから。
「そんなの愛じゃない、間違ってる」
だけど君は眉をひそめる。
「確かにどんな個性も許されて然るべきだ」
ぼくの手をそっと解いて。
「それでも越えたらいけない一線も確かにある」
諭すような言葉と、哀れむような瞳で。
「無条件に受け入れることが正しいわけじゃない」
言葉で静かにぼくを突き放した。
「そんなの、愛じゃない」
「じゃあ、君が思う愛ってなんなの?」
〉正しいことなんて知りたくない、私が知りたいことは、
22.6.9