「一雨来るかな。」
私達の上には真っ黒な雲が空を埋め尽くしている。
西の方はオレンジ色に染まってはいるが雨のにおいがほのかにしている。降りそうだ。
「予報ではくもりだがどうかな。」
「ふうん。」
彼ががしがしと面倒くさそうに頭を掻いた。くせっ毛が寝癖で更にすごいことになっているが妙に様になっている。小憎たらしい。
「シャワー入るか迷う。」
「とりあえず入って来たまえ。人と会うんだろ。」
「はあ…行きたくない。このまま寝たいよ。」
「…そうもいかないだろ。」
私だって行ってほしくない。このままここにいてほしい。まだ君を私だけのものには出来ないのか。
「なに?」
「何もないさ。」
「…雨が降ったら行くのやめる。」
「おいおい。」
「じゃあ行ってくるね。シャワー借りるよ。」
バタンとドアの閉まる音がやけに大きく響いた。
家の中も外も静かだ。
雨はまだ降らない。
あいまいな空
「ここ、毎年あじさいがきれいに咲くんだ。」
ほんとだ。このへんはあまり散歩に来ないから気付かなかった。色も形も絵のようにきれいだ。
「くっきり色付いてきれい。今まで淡い色のものしか見たことなかった。」
「うん、俺も。こんなにきれいなものは他で見たことないよ。」
蒸し暑いのは苦手だけど雨とあじさいは好きだ。あと、
「かたつむり。ちょっと気持ち悪いけど。」
「…う、うん。ちょっと…ね。ちょっと…。」
「あ、ごめん。虫とかだめだったね…。」
「いや!ぜんぜん!だいじょぶ!ぜーんぜん!」
無理しないで。いいんだよ。男のくせにとか関係ないよ。
「あ!そうそう、白いあじさいって見たことある?」
「え…うーん…。ない、かも。」
青、ピンク、むらさき、うすい緑…?あれが白?うん?わからない…。
「そっか。今度探してくるよ。真っ白なあじさい。うちに飾ろうよ。切り花ならかたつむりもいないし。」
「うん。見てみたい。」
「そういえばあじさいの花言葉ってなんだろ。」
「ええと、たしか移り気とか浮気…。」
「やっぱやめよう!」
「ただの花言葉…。」
「それでも!」
「うーん…。」
真っ白なあじさい。うちに来てほしかった。
6月にぴったりの花と色だったから。
「花言葉なんてたくさんある。あじさいも仲良し、とか家族団らんの意味だってあるぞ。」
「そっか!よかったー…じゃあそれください!」
「少し静かにしてくれ…。」
先に家で待つ君へのプレゼント。君とまた少し仲良しになれるきっかけになるだろうか。
「…あ、この小さいぬいぐるみ…馬?きりん?」
「ああ、そいつは…」
「ふふ、うさぎですよ。自信作です。」
「?!」
あじさい
イチゴは好きだけどイチゴ味は嫌い。
メロンもバナナも。
「じゃあかき氷食べられないじゃん。」
「ブルーハワイ。」
「えー。あれって何味なの?」
「ブルーハワイ味。」
「えー…。」
「お前もレーズン好きなくせにぶどうは嫌いだろ。」
「まあ、そうだけど。」
「はは、そういう風に出来ているんだろう。人間の体は不思議だな。」
そう、不思議だな。
この子と話している君は好きだ。しかし他の女性と話している君は嫌いなんだ。
「妬いてるの?かわいいね。」
「妬いてなどいないさ。君は私のものなんだろ。」
「そうだよ。だから妬いてんでしょ。安心して。あんな女好きになるわけない。」
「わかっている。だが。」
「うん。」
「みんなに優しい君が好きだ。でも今は嫌いだ。」
「そう。じゃあまた好きになってもらうよ。いい?」
「…やってみせろ。」
好き嫌い
「よ、繁盛してる?」
「…そう見えるか?」
にぎやかな奴が来た。まあいい。今日はひとりで正直暇だったんだ。
「見える見える。今度おごってくれよ。」
「そこのカフェのコーヒーくらいなら。」
「え、この辺にカフェなんて出来たんだ。うまいの?」
「うまいぞ。ミルクたっぷりで甘い。」
最近できた店だ。若い女性がひとりで切り盛りしている。コーヒーもスコーンも甘くてうまかった。
「お前が言うならうまいんだろうな。なあ俺の彼女の分も頼むよ。」
「じゃあ何か買って行け。」
「わかったよ。うーん…そうだなあ。」
律儀な奴。昔から変わらない。いい奴なんだ。
こいつがいたから俺はこの街を好きになった。
いい奴が住んでいるからきっといい街なんだろうとなんの根拠もないがそう思った。
「よし。このピンクの花とこれと…あとこれも…。」
「結構新しい店が増えているんだな。」
日が落ち始めた外を眺めながらひとりごとのように花束を作っている俺に話しかけてきた。
「ああ。いつのまにか無くなっていつの間にか出来ている。この街はどんどん変わっていく。」
「そうだな、俺が子どもの時とは随分変わったかもな。」
俺と違ってこいつはこの街を出たことが無いらしい。見慣れた街が変わってしまうのはやはりさみしいようだ。
「この街が好きか。」
「うん。好きだよ。この街もこの街に住む人もみんな好きだ。…彼女が、お前が、この街に来てくれて良かった。」
この顔は変わらない。昔からこいつは何も変わらない。それがとてつもなく安心する。
「…俺もそうだ。ここに来て良かった。」
「彼女も同じこと言ってた。良い街なんだな。ここは。俺が居るからかな?なんてな。」
「なんだそりゃ。ほら、用意出来たぞ。」
「かわいい。さすがだ。ありがとう。はい。おつりはいらないから。」
「…丁度だ。釣りなんかない。」
「はは、その通り。」
じゃあまたな。
親愛なる俺の友人。
大好きなこの街でまた会おう。
口では言わないけれど
いつもいつも心の中で
そう願っている。
街
「今年こそはスノボに挑戦しようと思ってます。」
「へぇ…。」
おっとりした話し方と見た目とは裏腹にこの人はなかなかアクティブな生き方をしている。たぶん。
「まあスキーすら滑れないんですけどね。今旦那にスケボー教わっているんです。昨日は一回転して転んじゃって。ふふ。」
「け、怪我には気をつけて…。」
日頃から危なかしいところがある人だ。本当に気をつけてくれ…。
「店長さんもやります?スノボ。」
「俺は…遠慮しておきます。」
「あら。お上手そうなのに。」
昔から体力だけはある。体力だけだ。スポーツは苦手。
「俺は今年の冬、セーターかカーディガンを編もうと思ってます。編み物、去年あまり出来なかったので…。」
「えーっ。すごいですね!」
どちらかといえば手芸やら工作の方が得意だ。素人レベルではあるが楽しいのが一番。
「あ、冬に向けて、ですね…。冬になってからじゃ遅いんだ。」
「では冬に成果を発表し合いましょうね。うんうん、楽しそう。」
「…頑張ります。」
うん。たしかに楽しくなってきた。目標は違えどやりたいことがたくさんある者同士で話すのは楽しい。最近、というかこの人と出会ってから気付いた。
「じゃあ編み物の季節になる前に羊毛フェルトをマスターしなきゃ。まだまだ作りたいものがたくさんあるんです。よろしくおねがいしますね。」
「…あ、ああ。もちろんです。」
この人の手芸作品はなかなか前衛的で独創的で個性的でコアなファンがいる。店に作品を並べるとあっという間に完売するんだ。少しうらやましい。
「やりたいことたくさんあって困りますね。時間とお金がいくらあっても足りないんですもの。」
「…ああ。本当に。」
やりたいことよりもやるべきことを優先しなければいけない。もどかしいが仕方がない。庶民だからな。
「あ、セーターといえば。動物が体を貫通しているように見えるセーター知ってます?あれかわいいんです。店長さんに似合いそう。」
「か、貫通…?」
やりたいこと