子供の頃、母と訪ねたどこかの家。
住宅街の中にある、ごく普通の一戸建てだった。
私たちは乾いた落ち葉を踏みながら
呼鈴を押した。
玄関で迎えてくれたのはおばあさん。
案内された部屋には小さな引き出しがついた壁一面の棚、
その前に置かれた木のテーブルの上には、たくさんのガラス瓶が並んでた。
母が鉛筆で何か書いて渡す。
その間おばあさんは私をじっと見て、目が合うとニッコリした。
間もなくいくつかの瓶と、抜いた引き出しがテーブルの上に置かれた。
いつの間にか眼鏡をかけていたおばあさんは、木のスプーンで茶葉を掬うと広げた紙の上に次々と出していった。
空中で何度も何度も混ぜ合わされる小さく捻れた葉っぱたち。
独特の香りが部屋の中を私の周りを包み込んでいく。
誰も喋らない静かな空間に乾いた音だけが響いてた。
おばあさんは平たい袋にそれを全て詰め終えると、熱で口を閉じる機械のペダルを踏んで封をした。
はい、こちらです。
母はお辞儀をしながらそれを受け取り、代わりにお札が入った封筒を渡した。私も母に倣って頭を下げた。
玄関のドアを開けると、門の向こうに父の車が停まっていた。
私は落ち葉を踏みながら車に向かって走った。
ずいぶん後になってそのお茶を飲んだ。
ごく普通の紅茶、少しだけ苦い紅茶だったと思う。
乾いた季節、乾いた音、乾いた記憶。
床に寝っ転がって空を見る 。
淡い青。薄い雲。秋だなあ。
ついこの間まで夏の青だったのに。
夏の空は黒を感じる青。
真空の青。
視線を部屋に戻す。
片付け忘れてた毛糸玉がひとつ、カーテンの下に転がってるのが見える。
毛糸の巻き目。ぐるぐる。
空色の糸でぐるぐる巻きにされている地球。
私は今、地表に建つこの家の床に転がって、
窓枠の中から空を見ている。
空の内側を。
よく見ると
よーくよーくよーーく空の奥を見てみると、何なら瞼を閉じて見てみると星、星、星星星星…
星でぎっしりの世界!
丘の上の美術館
頂上に大きな象の銅像が立っていた。
その足元に、息子と私はシートを敷いてうつ伏せに寝転んだ。
「ママーあの本読んで」
「車の?」
「そう!」
お気に入りの重機の絵本だ。
毎日毎晩読まされたおかげで完全に覚えてしまった。
頭の中で表紙をめくる。
「ええと、ざっくりぶうぶうがたがたごろろ…」
読みながら仰向けになった私の目に、強い日差しが飛び込んで来た。思わず目を閉じる。そしてまたゆっくりと目を開けた。
太陽が象の鼻の先端にぴったり位置している。まるで象が鼻を高く持ち上げて、空に向かって太陽を掲げているように見えた。
眩い光がくっきりと象の影を作り出し、私たち親子を包み込んでいる。
その時遠くの方からボーーッという音が風に乗って微かに聞こえてきた。汽笛だ。
そういえば今朝のニュース言ってたっけ。外国の大型船舶の話。
こんな所まで汽笛が聞こえるなんて、
今日は空気が澄んでいるんだなあ。
「見てごらん。ゾウさんの鼻の先。」
仰向けのまま、私は空を指差した。
息子はピョコッと私の肩に頭を乗せてきた。柔らかな髪の毛が当たってくすぐったい。
そうしてまるでスコープでも覗くように、私の指の先を見つめた。
そう。この子はいつも、示した先をできるだけ正確に見ようとする。
「あっ、ゾウさんがお鼻でお日さまをつかまえてる!お日さまってつかまえられるんだね!でもお鼻だいじょぶかな?ゾウさーん!お鼻、熱くないかーい?ゾウさああん!」
小さな両手を口に添え、大きな声で何度も何度も訊いている。
その時風が吹いて、私たちのシートをフワッと優しく浮かせた。
「ママ!今ゾウさんがほーい!って言ったよ。風さんもお返事してくれたんだよね!」
叫ぶ息子を横にして、こんな絵本みたいな現実って本当にあるんだなと、
しばらくの間茫然としていた。
そんな記憶。
…今もまさにそうです。
光
風
音
子供の頃から大きなものが怖かった
鯨に始まり海の広さ、太陽系の星の比較、もっと遠くの銀河系、最新の望遠鏡で見た巨大な…
今いる所を想像しただけで身震いしてしまい、怖くてご飯が食べられない
食べなくて病気ばかりで困るので、
もう何にも考えないようにと家族は言った
今でも当然だろうとは思う
だけどそういうフリをやめ、あるがままでいようとすると、この「怖い」がつっかかってしょうがない
窓から向かいの庭を見る
葉っぱがはげしく揺れている
吹きつける風 風の塊
窓枠の中に見えている風景
この目の解像度
それを超えて確かに感じている
とてつもなく大きいこの…
うわ怖い、無理!
けどそれはある
目を閉じても耳を塞いでもどうしたって、それは「ある」
そんならもう、怖がるのはやめにしない?毎回しんどいし
うん、もうやめよう
では今後、その感覚を私は採用しないことにします
オレは見えないし聞こえないし感じないし何も分からんし、そんなこと
どうだっていい
そうなんだ
そうなんだね
いつ?
朝
昼間
夕暮れ時
真夜中
どこで?
スクランブル交差点で
山の奥深くで
遊園地で
空港で
外国の広場で
すれ違う人
すれ違わない人
すれ違ってしまった人
すれ違ったかもしれない人
すれ違うことすらない人
それが今この瞬間起きてる