秋晴れ
十月の半ばの晴れの日、
黄色くなった銀杏の下を歩きながら、これ以上ないくらいに秋を感じてる。
時折出てくる記憶の断片。
広い池の水面に、突然浮かぶ泡のよう。
大気に触れて泡は割れ、水紋になって広がってく。
今そこで、何処かで誰かの出した泡が割れた。
また別の泡が割れた。パチン。
パチン、パチンパチンパチン…
広がっては交わり、さらに広がる水の波紋。
泡は破れ、中の思いは解き放たれ、
ひとつ残らず上っていく。
少し前までそれらは上がらず、
いつまでも下に留まり続けてた。
大人の胸くらいの高さで。
なので小さい人は皆、必ず一度は溺れてた。
そうしてちゃんと馴れてった。
それなりに。
でも今はちがう。
弾けた泡は上がってく。
次々上がってひとつ残らず消えて行く
秋晴れの空へ。
庭にあった金木犀
真夜中に貨物列車が走る音
お掘の池で泳ぐ黒鳥
図書館の学習コーナーのあの椅子
渡り廊下を吹き抜けた風
武道場の2階の窓
新興宗教の道場だった空き家の看板
あの日見た大楠
白杖の人が飼ってた隣の雉猫
母と見上げた昼間の月
挨拶したらバラバラ降って来た神社のどんぐり
飛行機の窓から見えたサンクトペテルブルク
アニーホール
みんな一斉に「はいはいはいはい!」
って手を上げてる。
どの思い出さんも落ち着いて。
ちゃんとひとつひとつ丁寧に
握りしめたこの手を開いて、ふんわり放していくからね。
誰にそうしろと言われたわけでもないのにずっと自分を抑え込んできた。
その方がいいんでしょ?って思いを強く握りしめてた。
まるでプラモデルのパーツの束だ。
ペンチで綺麗に切り離してバリ取りして、細かくヤスリまでかけるんだけど、肝心のパーツはそこら辺にほっぽらかして、なんと枠の方ばかり大事に保管してきた感じ。
これ何に使うんだろ?まあ多分大事なんだろうなってぼんやり思いながら。
「この作品。絶対に作る!」と、念願の大箱抱えてウキウキしながらやって来たはずなのに、綺麗さっぱり忘れてた。
ある日急に
「…あれ?私、なんで普通に我慢してるんだろう?なんでもっと自分を表現しないんだっけ?」
と気づいた。
そうしたら、心も体も堰を切ったように楽になった。
今でも癖でつい我慢してしまうこともあるけど、そんな時は一旦止まって
「またやってない?それ要るやつ?」
と訊ねるようにしてる
プラモデルの箱に描いてあった完成図はまだハッキリと思い出せない。
でも、とにかくとっ散らかしてきたパーツを集めて回ろう。
そして作りたかったもの作り上げよう。
引っ越して自分の部屋ができたので、ベッド横の出窓のカーテンを手作りしてみた。
手作りといっても、白い麻と白いガーゼを縫い合わせてクリップで挟んだだけの簡単なもの。
毎朝これに触れて部屋に光を入れる時、とっても幸せな気分になる。
麻のサリサリした感触が好きすぎて、気がつくとシーツもカバーも家で着る服もみんな麻になってしまった。
せめて自分の部屋だけは、どこを見てもお気に入りのものばかりになると嬉しいので、少しずつやってます。
ショッピングモールで歩き疲れたので、通路のベンチに座った。
ほとんど同時に、造り物の観葉植物を挟んだ背中合わせのベンチにも、お母さんと中学生くらいの女の子が座った。
何の気なしに二人の会話が耳に入ってくる。
「ママね、今朝起きた時、寒くて寒くてついに風邪引いちゃったかもってドキドキしたの。」
「へえ…」
「で、さっきあなたのお洋服見てる時、急に思い出したのね。
昨日、おばあちゃんと電話したじゃない?ママ、寝る前急に寂しくなっちゃってね。さっきそれを思い出したの。あっ!って。ああそれで、起きた時すごく寒かったんだって。」
「……寂しいと寒いの?」
「そうみたいね〜。でももうママ、風邪引かなかった。ゾクゾクッとしただけ。ただそれだけだったわ。」
「…そっか。ママ、えらい。」
「あら、あなたもえらいわよ!ウフフフ!」
どんな様子の人達か見たくて、私はさり気なく振り返った。
再び同じタイミングで二人は立ち上がり、人波に紛れていく後ろ姿と、娘さんが抱えていた紙袋の「MUJI」の文字がちらっと見えた。
なんだか妙に心に残った母娘の会話。