お題「永遠に」
人は二度死ぬという。
まず一度目は肉体の死。
そして二度目は、誰からも忘れさられたとき。
誰の言葉か知らぬがしかし、確かにと納得した。
けれど、だからといってその人が死んだとき
すべてが消えるとは限らず、
同時に、すべてが死ぬことはないはずだ。
記憶と同じように、
思い出だって物ではないため掴めない。
だから、記憶のように忘れてしまったら
思いでさえも消えてしまうようにも感じるが、
「時間」というもので考えるのなら、
皆が忘れたとしても、土地やその場に
必ず、記憶とは別の「思い出」として
永遠に残り続けているのではないかと私は考える。
お題「始まりはいつも」
何かが動き出したとき、不安にならない人なんて
どこかに一人でもいるものだろうか。
「どうせなんにも変わりはしないのに」
そう嘆いてる自分が、未来で
「やってよかった」と思える選択が出来るだろうか。
その不安はある意味で「出来なかったらどうしよう」
そんな気持ちに対する保険、退避でもある。
何かが始まるとき、私はいつも自分にうんざりする。
「まーた不安になってるよ」と、自分を嘲る。
そうやって自分を守らないと、未来が怖いから。
いつだってそうだ。けれどそれでいい。
そうやって自分を守ってでも、踏み出せたなら。
あの日の不安が本当の出来事になって、
ひどく傷つく可能性もあるけど、それは同時に
あの日の不安が、杞憂になる可能性にも
必ず一歩近づいている証拠だから。
不安だって自分の正直な感情だ。
それを抑えつけようが、正面から向き合おうが
自分なりに向き合っていると、自分ならわかる。
お題「忘れたくても忘れられない」
私はまだ覚えている。
固くなってしまった小さな命に触れたときの心を。
まるで眠ったように、けれどカチコチになっていて
まるで心に実感もなく、時間は過ぎていき、
その小さな命は棺桶代わりの箱に入った。
そうなって初めて、私は泣いたんだっけ。
君が大好きだったおやつを、最後に入れてあげなさい
そう母に言われても、私は泣くばかりで、
確か君のそばに入れてあげられなかったよね。
あれから何度君を思い出して泣いたか、
覚えていないけど、暗闇ばかりではなく、
小さな頃からの君と過ごした日々も含めて、
楽しい日がたくさんあって、私は次第に
君がいなくて大丈夫な日が増えたよ。
だけどね、やっぱりふと会いたくなるよ。
ワンちゃんとの物語がテーマの曲なんかを聞くと
いつも君を思い出して泣いちゃいそうになる。
辛いことがあると「会いたいな」って声に出るよ。
一緒に過ごしていたもう一人のワンちゃんには、もう
そっちで無事に会えた?とか、病気も治って、
向こうで元気になった?とか、気になることは沢山で
一緒に過ごしてた時間、君は幸せだったかな、とか
時々君を思い出して、笑ったり泣いたり忙しいよ。
君が亡くなって何年だっけ。思い出せないけど
私が生まれた頃には家族になっていた君は
いつも私のそばにいてくれた。
だからこそ、私君を忘れられないのかな。
苦しいとき、辛いとき、
どうしょうもなく会いたくなる。
お題「子供のように」
はじめは怖かった。
どうせ何も変わらないと思ってた。
でも、正反対だった時間。
一人がいいってずっと思ってた私に
寂しいを思い出させてくれたあの時間に戻りたい。
「あの部屋のメンバーはいつも楽しそうだよね」
と言ってもらえたくらい楽しくて仕方がなかった
あの時間に戻りたいよ。
あんなに毎日笑ったのはいつぶりだろう
お帰り、おやすみって言い合えたはいつぶりだろう
傷ついたことだってあったし、時に戸惑いながらも、みんながそれぞれが頑張れていた、がむしゃらな
あの時間に戻って、また笑いたい。
無理に大人になってきたんだね
なんて言われた私には「子供らしさ」というのは
よくわからないものだけど
もしかしたらあの時間が、私にとっての
「子供」としていられる時間だったのかもしれない。
お題「カーテン」
「もう夕方か…」
サラサラとなびいているカーテンの向こう、
オレンジ色に輝いている光が反射した。
今日も一日、何も出来なかった。
時間は有限、無駄にしている暇なんてないはずなのに
どうにも動く気になれなかった。
起きては眠り、眠っては起き。
それを繰り返して、まるで吸い込まれるように
今日も一日が終わった。