「父上、何故ですか。何故、シモンを……。
私から、何故……シモンを奪ったのですか。」
まだ、うら若き青年は感情の波を抑えながら、父に必死に抗議する。
父と呼ばれた、厳格な雰囲気を纏う男性は鋭い眼差しを青年に向ける。
「解らないか。」
突き離したように、冷たく男性は問う。
「理解出来ません。」
青年は、はっきりと鋭い眼差しで父に屈せぬよう宣言する。
「そうか、ならば…考えてみよ。
何れ、其の問の解が解るようになる日まで。」
冷静に簡潔に確実に、男性は父としての役目を果たす。
「どういうことですか。」
青年は、冷静になるよう己に言い聞かせながら、必死に訴える。
「連れて行け。」
男性は、側近に命じた。
「承知しました。」
側近は、従順に命を遂行する。
「何故ですか。父上!」
青年は納得出来ず、必死に抵抗する。
「もう、お前に言う事は無い。」
男性は、青年に冷たく言い放つ。
野生の獣のような眼差しを青年は、父に向ける。
男性は鼻で笑い、青年を書斎から退室させた。
「雨だ。」
私は思わず、そう呟いた。
朝の天気予報では、『今日は、一日中快晴です。』
と、予報士さんは言っていたように思う。
あの予報士さんは、今まで見てきた中では天気予報を外すことが無かった。
しかし、今日は外れたらしい。
なんだか、今日…このような瞬間に立ち会えて光栄思えた。
恥ずかしながら、この度外れて、初めてあの予報士さんの有難みを知った。
「ありがとう。いつも私のあたり前を支えてくれて。」
何となく呟いてみた、日々の感謝を込めた言葉を。
こんな感じに自分が感じていないだけで、
日々の自分のあたり前を支えてくれている、
数え切れない人々が居るのだな。
今、初めて気付いたよ。
見知らぬ人々、顔見知りの人々、親しき人々、いつもありがとう。
「将来、わたしと結婚して。」
私が齢十八の成人して間もない時、まだ齢八の少女にプロポーズされた。
「えっ……。」
ここで気の利いた言葉を返せたのなら、
格好が付いたのだが、何せ、今生には全く縁のなかったことだったので、
私は驚いて、頭が真っ白となり固まった。
「あら、もしかして、ガールフレンドがいるの?」
彼女の大人びた回答に、周囲の大人たちは笑う。
前者は、腹を抱えて大笑いして彼女を称える者。
後者は、彼女のプロポーズを受けるべきだと賛成の意を示す者。
私の父は、彼女に問うた。
「なぜ、息子が良いと思った?」
彼女は、答えた。
「直感です。
この人と結婚すれば、わたしは幸せになれる。そう直感しました。」
父は、満足そうに答えた。
「君は、見る目があるね。これは、将来が楽しみだ。」
そして、彼女の頭を撫でた。
それが彼女、私の妻となる人との出会いだった。
身を落とし 初めて気付く 恵まれし 友に縋りて 良心知りぬる
「芙蓉、あなたはいづれ天空を統べる鳶のように、
我が家を統べることの出来る人にお成りなさい。
そして、此の家の男(をのこ)より達観し俯瞰した視野をお持ちなさい。」
「はい、お母さま。」
お母さまは、わたくしたちの住む町を見下ろせる寺院でお話しして下さった。
その日は雲が少なく晴れ渡り、遥か彼方の天空まで見ゆることが出来た。
「今の世では、男、女(をみな)、と別ける考えは古いことを理解しています。
しかし、男、女、とでは…やはり違うと母は思うのです。
此の家では表立ってはいませんが、
男より女の方がより強い力を有します。
男より女の方がより深い教養、より達観し俯瞰した視野を求められます。
それは、いつの世も男方が吾ら女を信頼して下さり、
いつの世も男方が吾ら女より力と教養を有することを許し、尊重し、
支えて下さっているのです。
この事実を、決して忘れてはなりません。
そして、此の家の皆に心から感謝をし、
言葉と行いで示すことが何よりも大切です。」
お母さまは、何時になく真剣に丁寧にそう仰せになった。
「はい、承知いたしました。」
自ずと、わたくしも真剣に丁寧にそう申し上げた。
「芙蓉、わが愛しき娘よ。
もしも、あなたが此の家を継ぐことを望んでくれるのなら、
どうか、此の家の者たちを頼みます。」
お母さまは、わたくしに目線を合わせて、
わたくしの両手を、お母さまの両手で包んで、そう仰せになった。
「わたくしは、幼き頃からお母さまの背を見てきました。
わたくしでは及ばぬことも多いかと思いますが、
心から此の家を継ぎたいと思っております。」
わたくしの言葉に、お母さまは涙されながら、
「ありがとう、本当にありがとう。」
と、嬉しそうに誇らしそうに仰せになった。