「ねえ、あなた。」
貴婦人という言葉の似合う、二十代後半から三十代前半の女性と、
「なあに。」
紳士という言葉の似合う、二十代前半から二十代後半の男性は、
カフェで会話していた。
微笑みながらも目は笑っていない女性。
目を閉じて微笑む男性。
微笑みとは裏腹に、その空気は張り詰めていた。
「あなたにとって、わたしって何?」
女性は怒りの篭った、冷たい声で男性に問う。
「甘い蜜と鋭い棘を持つ、薔薇のように魅力的な女性かな。」
男性は冷静に、明るい声色で丁寧に答える。
「そういうことじゃないの。」
女性は、辛うじて怒りを抑えているように小さな声で言う。
「ごめんね。もし、良かったら…なぜ怒っているか教えくれないかな?」
男性は、冷静に謝り女性の怒りの理由を丁寧に聞いた。
「カレンダーを見た?今日の日にちを知ってる?」
女性は、顔を手で覆い涙声で問う。
「うん、見たよ。今日は9月12日。きみと薔薇の庭園で出会った日。」
男性は、対面していた椅子を女性の隣に移動させ、ハンカチーフを渡し、
女性を横から抱きしめた。
「そう、あなたと出会った日。今日で、あなたと交際して2年になる。」
女性は、男性から貰ったハンカチーフで涙を拭う。
「うん。」
男性は、女性に寄り添うように相槌をする。
「その間、一度たりとも…あなたは愛してると言わなかったわ!」
女性は、顔を覆っていた手を下ろし、男性の腕を跳ねのけて立ち上がり、
怒りを露わにした。
男性は、一瞬だけ驚き、すぐに困ったように微笑んだ。
「そうだったんだね。ごめんね。」
男性は、極めて冷静に素直に謝った。
しかし、男性は言わなかった。『愛してる』と。
女性と男性の会話を聞いていた周囲の人間は、
女性に愛していると言わない男性に怒りを通り越し呆れてしまった。
それは、女性も同じだったようだ。
しかし、女性は諦めきれないように男性に問うた。
「なんで、愛してると言ってくれないの。」
女性は、冷静に男性に問うた。
「最愛の人との約束したんだ。
最愛の人以外には、愛してると言わないって。」
男性は、なんの悪びれも無くそう答えた。
「どういうこと?最愛の人は、わたしじゃないの。」
女性は再度、怒りを覚えた。
「うん。」
男性は、微笑みながら女性に言った。
「じゃあ、わたしってあなたの何なのよ!」
女性は、怒り狂いそうだった。
「きみは、彼女だよ。関係としては、まだ私の妾になってない女性かな。」
男性は、微笑みながら冷静に丁寧に答えた。
「そう……。」
女性は、首に巻き付けていたスカーフを男の首に巻き付け、締めた。
「死んで。」
女性は、ぽつりと言葉を零した。
「いいよ。」
男性は微笑み、女性に優しい視線を向けた。
「えっ……。」
女性は思わず、スカーフを離した。
そして、膝から崩れ落ちた。
「どうして、あなたは……いつもそんなに優しいの。」
女性は、両手で顔を覆って泣き崩れていた。
男性はしゃがみ、女性の背中をさする。
「だって、きみは私の大切な人だから。」
そう言って、男性は微笑んだ。
「この宝石、とっても綺麗ね。」
「そうだろ、きみの為に世界中を探し回って見つけたんだ。」
微笑む若い女性と誇らしげな初老の男性、歳の差は孫と祖父ほどある。
しかし、このふたりが一緒に居ると何故だかしっくりくる。
なんとも、不思議だ。
多くの場合、非常に不釣り合いで娼婦とその客に見える。
なのに、あの夫婦は仲睦まじい夫婦だとひと目で分かる。
言葉では、表せない何かを感じる。
ああ、きっとそれは雰囲気だ。
麗らかな春のような暖かい、心地良い柔らかい雰囲気。
お互いに自然と気遣い、支えあって手をつなぐ姿。
もしかしたら、これが夫婦の『かたち』なのかもしれない。
もし、そうなら私もいつか、こんな風な関係を築きたいものである。
あなたは、あたしを置いて世を去った。
あなたは、まだお若くあらせられたから、皆々『なんと悲しきことだ。』
と、心もとない言葉をうやうやしく申して、
偽りの憂いの面持ちをして居られました。
しかし、あなたを慕う親しき方々は、違いました。
『あゝなんと申せば良いのでしょう。』と、ぽつりと申され、
悲しげな悔しげな寂しげな哀しげな、言葉では現し難い複雑な面持ちで
涙を堪えきれず、皆様泣いて居られました。
美しき 咲かせた花の 散り際は 色濃く現る 一期の姿
今日の一日を通して、浮び上がった短歌です。
人生という名の美しい花は、どれだけ足掻こうとも、
最期には死という形で散ってしまいます。
しかし、その花の散り際には、その人の生き方が、どれだけ隠そうとも
鮮明に現れることを、あなたの死を通して知りました。
あなた…、ああ…、どうして、わたしより先に…、あなたが……。
お願い……、どうか、戻って来て、一度だけでも戻ってきて。
そして、云われて下さい。
……誰よりもお慕い申しておりました、と。
……誰よりも愛おしく想っておりました、と。
あゝ……なんで云わなかったのだろう。
あゝ……なんで、あなたが去った後に気が付いたのだろう。
もう一度だけ、夢でも良いから、あなたに逢いたい。
「兄さま、あなたの苦労は、僕が一番存じております。ですから……、」
「貴方に私の何が分かると言うのですか。
兄のように、弟たちのように、貴方のように、
私だって、天賦の才が欲しかった。
永年、封じてきた羨望を、為せぬ苦しみを、支える身の葛藤を、
そう分かったように仰せにならないで下さい。
私が如何様な思いで、貴方を兄として支え、お守りしてきたか、
貴方には、到底分からぬことなのです。
いえ、解ったとしても、想像出来たとしても、
我が身で経験してない人間が、そう簡単に仰せにならないで下さい。
この、苦しみというには深い傷を負い、決して癒えることの無かった、
その傷を隠し、恥じて生きてゆく身として、
貴方に忠誠を誓う身として、唯一の願いにございます。」
あなたは、白い隼のよう。
いつもまっすぐ、わたしのもとに来てくれる。
たくさんの愛情と色欲を注ぎ続け、わたしを満たしてくれる。
そして、貴方はわたしのもとをあっという間に去ってゆく。
それは、わたしが貴方の一番では、嫡妻では無いことを意味している。
わたしは所詮、妾に過ぎないことを如実に現している。
貴方が酷いひとなら、よかったのに。
貴方が酷いひとなら、鳥のように飛び立てたのに。