「兄さま、あなたの苦労は、僕が一番存じております。ですから……、」
「貴方に私の何が分かると言うのですか。
兄のように、弟たちのように、貴方のように、
私だって、天賦の才が欲しかった。
永年、封じてきた羨望を、為せぬ苦しみを、支える身の葛藤を、
そう分かったように仰せにならないで下さい。
私が如何様な思いで、貴方を兄として支え、お守りしてきたか、
貴方には、到底分からぬことなのです。
いえ、解ったとしても、想像出来たとしても、
我が身で経験してない人間が、そう簡単に仰せにならないで下さい。
この、苦しみというには深い傷を負い、決して癒えることの無かった、
その傷を隠し、恥じて生きてゆく身として、
貴方に忠誠を誓う身として、唯一の願いにございます。」
あなたは、白い隼のよう。
いつもまっすぐ、わたしのもとに来てくれる。
たくさんの愛情と色欲を注ぎ続け、わたしを満たしてくれる。
そして、貴方はわたしのもとをあっという間に去ってゆく。
それは、わたしが貴方の一番では、嫡妻では無いことを意味している。
わたしは所詮、妾に過ぎないことを如実に現している。
貴方が酷いひとなら、よかったのに。
貴方が酷いひとなら、鳥のように飛び立てたのに。
夕空の 焼きつくやうな 陽光は 人目を憚ぬ 燃えゆ恋のよう
「これが自転車っていう乗り物なのね。」
「乗れるようになるには、練習が必要なんだ。乗れたら、便利だよ。
風が気持ち良いし、何より歩くより長い距離を進める。」
「ふふふ、とっても素敵ね。わたしも乗れるかしら?」
「その服装じゃ危ないから、乗馬服の方がいいよ。」
「あら、ワンピースはいけないのね。」
青年はしゃがみ込み、ペダルの歯車を指差す。
「この小さい歯車見える?」
少女も、ペダルの歯車を覗き込む。
「うん!見えた。凄く小さいのね。」
「この歯車にスカートの裾が巻き込まれる事故が有ったらしい。
だから、スカートは避けた方が無難だと思う。」
「ふふふ、ありがとう。じゃあ、着替えてくるわ。」
「分かった。ここで待ってる。」
「なに?その楽器。」
「琴っていうの。東方の国の歴史ある楽器よ。とっても綺麗でしょ。」
「ふーん、誰かに貰ったの?」
「ええ、愛するひとから貰ったの。
あのひとは、わたしの好みをよく理解しているひとなの。」
「愛する人って?何人もいるじゃん。」
「清の人よ、彼はとっても優しくて、繊細な文化人なの。」
「ああ、元夫の。離婚したのに、仲良いんだ。」
「互いに望まぬ、離婚だったから。
……様がわたしを祖国に呼び戻したかったから、彼とは離婚したの。」
「色々あるんだね、高貴な人にも。」
「ええ、たくさんあるの。あなたたちにも、たくさんあるようにね。」
「あら?どうしたの、拗ねちゃって。」
「僕より、その人のことが好きなの?」
「そうね…、難しいこというのわね。少し、考えるわ。
うーん、あなたと彼とでは愛情の種類が違うの。
だから、比べられないわ。
彼とあなたのことは同じくらい愛してるの。
これだけは、確かなの。」
「あらら、そんなに頬を膨らませて。
怒らせる気はなかったの、ごめんなさいね。」