『あなた、いってらしゃいませ。』
どこか儚げな、優しい妻の声。
『おかえりなさい、あなた。』
どこか嬉しそうな、優しい妻の声。
『誰よりも、あなたをお慕い申しております。』
どこか凛々しさのある、優しい妻の声。
ゆっくりと瞼が開く。
私は病のとき、いつも夢を見る。
今迄は、悪夢が多かった。
しかし、今日は違った。
夢に出てきたのは、妻だった。
「目を覚まされましたのですね、良かった。」
そよ風のように、優しく穏やかな妻の声。
嗚呼、安心する。
「嗚呼。」と、私は応える。
私の額に、手をあてる妻。
その手が少し冷たくて、心地良かった。
「微熱程度まで下がりましたね。」
どこか、安心したような妻の微笑。
ああ、良かった。心から笑ってくれた。
私のせいで歪む、妻の表情ほど辛いものは無い。
「病の時くらいは、しっかり休んで下さいね。いつも、激務なのですから。」
「嗚呼、そうする。有難う。」
私は、ゆっくりと瞼を閉じる。
ここから、記憶は無い。
目が覚める。
寝台にもたれるように、妻は寝ていた。
頬には、涙の流れた跡があった。
夫の看病など、召使いに任せればいいのに。
妻を寝台に寝かせ、掛け布団をそっと掛ける。
嗚呼、本当に…私には勿体ないほど出来た人だ。
「有難う。いつも言えないが、私も誰よりも…あなたを愛している。」
そう言って、妻の髪を耳に掛けた。
気のせいか、少し妻の表情が微笑んだように想った。
紙飛行機を飛ばす。
風に乗り、進む。
しかし、しばらくすると落ちてきた。
ここで諦めず、もう一度、紙飛行機を飛ばす。
たぶん、こういう人は何度も立ち上がる。
何度…転んでも、何度…失敗しても、起き上がる。
生きることを諦めないのだろう。
私の友人のように。
彼らは、決して、最後まで生を…生きることを諦めない。
何が在ろうと、最後まで最善を尽くす。
例えば、紙飛行機をより長い距離飛ばしたいとしよう。
多くの人は、まず紙飛行機の飛ばし方を工夫するだろう。
しかし、それでは何の変化も無かった場合、多くの人は其処で諦める。
しかし、彼らは違った。まずは紙飛行機の設計を見直した。
決して、諦めることが悪いという訳では無い。時に、諦めは必要だ。
ただ、諦める前に最善を尽くすことが大切なのだ。
もしも、あの時…こうしていれば。
もしも、あの時…ああしていれば。と、過去を悔やまぬ為に。
年寄りの説教は、終わりにしよう。
要は、太陽の下で堂々と生きよ。早々に生きることを諦めるな。
胸を張り、しっかり呼吸してみよ。
案外、人生は面白いぞ。
編み物は、本当に複雑だ。
私には、気が遠くなる。
でも、あの人の為なら……頑張れる。
やはり、どこか不格好。
お義母さまや義叔母さまのような均等な編み目も、
鮮やかな色彩に繊細な模様も、私には未だ出来ない。
悔しい。あー、もう暖炉で燃やしたい。
でも、それはしない。
何故なら、この不格好な編み物の完成を待ってくれる人が居るから。
これの何が良いのかしら。
私には、分からない。
ふふ、我ながら上出来でしょう。
セーターを優しく、抱きしめる。
来年も、また作ろう。
そしたら、少しずつでも上達するだろう。
来年も、又、あの人の故郷に行こう。
そして、お義母さまや義叔母さまに習おう。
ふふ、本当に楽しみ。
ああ、幸せ。
なんて、幸せなんだろう。
今日も、あの人の帰りが待ち遠しい。
息を深く、吸う。
息を吐きながら、中段に刀を構える。
眼の前の相手は、私と互角の強さ…いや、私より強い。
此れは、一騎討ちなのだ。
少しだけ、心と身体をつなぐ糸を切る。
かつての、痛みを感じぬ身体に戻す。
この糸を完全に絶ち切っては、ならない。
絶ち切ってしまうと、そう簡単には…つながらない。
最初は、相手の出方を見る。
相手の攻撃を受け流しながら、相手の隙を伺う。
私の動きは、ゆっくりだ。
徐々に間合いを詰めていく。
その間、私は仕掛けない。
相手の集中が切れた、その時、相手の防御に隙ができる。
相手は、私のゆっくりした動きに慣れている。
そうすると、隙を突く、速い動きには…付いて来れなくなる。
そこを狙うのだ。
速さの濃淡と、でも言うのだろうか。
私の刃は、相手に届いた。
相手の肉を削ぐ、音、香り、感覚が……鮮明に脳裏に焼き付く。
相手の胸から腹にかけて、深く斬った。
相手の表情は、穏やかなものだった。
「安らかに眠れ。」
他に、なんと声を掛ければ……良いのだろう。
私は、首切り処刑人だった。
人を殺すことには、慣れている。
しかし、言葉に表せられぬ、気持ちが湧き出て……止まらない。
思考が停止する。気持ちを切り換えねば……。
嗚呼、そうか、初めて罪のない人を殺したからか。
もしかすると、これが俗に言う、罪悪感なのかもしれない。
さぁ?
その主君の言葉に、私は頭を抱える。
いい加減にしろ!
内心、激情に駆られた。そして、声に出ていた。
眼の前に居る男こと、主君はゲラゲラ笑っていた。
あなたの、こういうところが嫌いだ!と内心、悪態をついた。
落ち着け、私。
主君は、原来こういう人間だ。
無茶振りは、今に始まったことでは無い。
この手のものは、ある種の限界突破である。
認めたくないが、この経験のおかげで、
心身ともに成長できるのも、また事実なのだ。
さぁ、頑張るか。
今日も、我が主君のために。