滑車に光を載せて滑らせた先に辿り着いた山の向こうから、やがて飛び上がったそれが、辺り一面を銀に染め上げ、自身の輝きを反射させた。
踏み込む度に、枕を硬く押し潰したかのような、いまにも光を受け、新たに自らが受けたそれを返す雪の音が響き渡り、その世界を照らす光だけでは無いことを知らせる。
まだ、道半ば。静かに冷たくも、光に暖められるこの銀世界の頂上へ、夢から覚めるように。
つまらない鼻歌だった。ただ、傍にぶら下がった柿が、まるで日の光に通して照らされているかとでも言うような夕暮れの中で、コオロギの音よりも早くに歌われ、土臭さと共に風に乗る柑橘の匂いを上書きする彼女の匂いに包まれて、つい聞き入る日々が続いていた。その旋律は、今となっては良く覚えていない。陽に照らされ眩しいというような、閉じた笑顔。そこからの言葉に、ただ耳を澄ませていた。
影が見えぬ故、掴めなかった。ただ青さの限りと、それを輝かせんとばかりに空を飛ぶ泡との、その距離を。まるでキャンバスにも似ているだろうに、どうしてもそうは思えない。ただ、神様がこの地を描くためのキャンバスとして使ったその跡が、我々の側から見えているだけなのだろうか。しかしながら、そう思ってしまえば、どうにも楽に思えた。自身の悩みが砂粒一つほどのものに思えるというのもあるが、そう思わせてくれるのは、そうして描いたものがこうして動いているのだとしたら、それには大きな意味があるのだと、そう考えるのだ。神でさえ、絵を描くのだ。だからこそ、今更なんのためにと、そう描く必要などまるで無かったのだ。
なにも理解できずひたすらに気持ち悪いようで、本能がそれを美しいとだけ遺して理解を拒むまでに歪んだ黄金比を持つ作品を、私は描こうとしてきた。しかし、いくら娘の彫像に名前をつけても、壁に爪を立てて愛し合っても、何も書けなかった。私が遺した作品とは、理想にしてはいかにも無に等しいのだ。私が求めた理想は、私が書いているうちには叶いもしないのだろう。憧れは理解から最も遠いと、誰かが遺した。良い言葉だ。真実だ。憧れるからこそ、求めるからこそ、「美しい」と、理解を拒むのだ。
冬とは、包むようにして寂しさを纏わせてくるものだ。
白銀に塗りたくられた桜吹雪が鎌鼬のように舞い散ると共に、見つめたトンネルの先から足早に向かってくるようで、私には少しそれがせっかちに思えてしまった。
たださんさんと上の空から激励を発す夏とも違い、枯れ葉の刻を信じて、ただこちらを見ている秋とも違う。
誰かを温めたことの無い、乾ききってしまった悲しみを積もらせるその者を見て、私は笑うこともせず、ただそれに触れるのだ。
その手が愛せなかった悲しみが、自分自身だけは愛せるようにと。