影が見えぬ故、掴めなかった。ただ青さの限りと、それを輝かせんとばかりに空を飛ぶ泡との、その距離を。まるでキャンバスにも似ているだろうに、どうしてもそうは思えない。ただ、神様がこの地を描くためのキャンバスとして使ったその跡が、我々の側から見えているだけなのだろうか。しかしながら、そう思ってしまえば、どうにも楽に思えた。自身の悩みが砂粒一つほどのものに思えるというのもあるが、そう思わせてくれるのは、そうして描いたものがこうして動いているのだとしたら、それには大きな意味があるのだと、そう考えるのだ。神でさえ、絵を描くのだ。だからこそ、今更なんのためにと、そう描く必要などまるで無かったのだ。
なにも理解できずひたすらに気持ち悪いようで、本能がそれを美しいとだけ遺して理解を拒むまでに歪んだ黄金比を持つ作品を、私は描こうとしてきた。しかし、いくら娘の彫像に名前をつけても、壁に爪を立てて愛し合っても、何も書けなかった。私が遺した作品とは、理想にしてはいかにも無に等しいのだ。私が求めた理想は、私が書いているうちには叶いもしないのだろう。憧れは理解から最も遠いと、誰かが遺した。良い言葉だ。真実だ。憧れるからこそ、求めるからこそ、「美しい」と、理解を拒むのだ。
冬とは、包むようにして寂しさを纏わせてくるものだ。
白銀に塗りたくられた桜吹雪が鎌鼬のように舞い散ると共に、見つめたトンネルの先から足早に向かってくるようで、私には少しそれがせっかちに思えてしまった。
たださんさんと上の空から激励を発す夏とも違い、枯れ葉の刻を信じて、ただこちらを見ている秋とも違う。
誰かを温めたことの無い、乾ききってしまった悲しみを積もらせるその者を見て、私は笑うこともせず、ただそれに触れるのだ。
その手が愛せなかった悲しみが、自分自身だけは愛せるようにと。
君はちっとも、可愛くない子供でしたよ。生糸みたいな、繊細なくせして頑丈で、その織物は黄金に輝く玉虫みたいだ。私の言うことをなんでも聞いて、つまらなかった。そんな貴方を私は愛した覚えは無いのです。行ってらっしゃい。次帰ってくるのなら、骨壺を送って下さいね。愛しき坊っちゃん。
無邪気、無邪気。目に入るは、そんな言葉である。短く、不鮮明な光を纏い舞うような、戯れに生きている。しかし、あと2,3年もしてしまえば嫌に小賢しくなるのだ。刹那を生きる者にとって、なんのために生まれたかなどその身一つ程度の重さしかないのだろうか。路地に打ち捨てられた段ボールの中をよじ登ろうとするその者を見て、スポットライトにも外れへたり込むのが情けなく思えた。私が一歩を踏んだとき、お前は三歩進むのだろうか。どこへ消えるか、私には見当も付かない。
「なんのために」
言葉を巡らせるのは、
いや、そう思うのは後で良い。
そう決心し、酷く汚れた段ボールを小脇に抱えた。