本気の恋
灯台守のトーチ
「ねぇゲンさん、本気の恋って
したことある?」
大工のゲンは、今日は灯台の修理に来ていた。古いからあちこちが痛むのだ。
しかしトーチのせいで、手にしていた釘を
打ち損ねるところだった。
「そんな言葉、どこで聞いた」
ぼそっと答えた。会話は嫌いではないが
苦手だ。
「あのね、移動教室の隣の席の
ユウちゃんがね、今なんかそういうドラマが流行ってるって」
ゲンは内心ほっとした。
「そりゃお前…俺に聞くことじゃない」
短く刈った髪から汗が流れる。
日に焼けた精悍な肌。トーチの白い肌、
風になびく薄茶色の髪とはまた違う。
「ふーん。ユウちゃんがね、本気の恋は
するものじゃなくて、落ちるもの、
なんだって」
「そ、そうか、ははは、
ユウちゃんすごいな。トーチ、
その道具箱取ってくれ」
「うんっ。あ、そういえばね、この前
魔法使いのリリのとこに行った時ね」
話がうまく逸れてくれそうでゲンは内心
ほっとした。恋や愛だ、
軽々しく話すもんじゃねぇ。俺だって、
思い人の一人や二人…。
「…リリがね、ゲンさんって意外と若いし
いい人ね、だって!」
ゲンは今度こそ釘を打ち損ねた。
僕は灯一。灯台守の灯一。
皆んなからはトーチって呼ばれてる。
ゲンさん手、大丈夫かなあ。
ハッピーバースディ
4月はいつも僕を追いかける
3月は眩しい 僕の誕生月だ
2月はなんだか忙(せわ)しない
1月はおずおずとやってくる
12月は君の誕生月だから好きだ
11月はひりひりする
10月にこれを書いている
9月は切なさと、暑くて
8月はもっと暑くて
7月は期待している 何に?
6月は鬱陶しくて嫌いだ
5月は君の死んだ月だ
僕の1年は5月で一旦記憶が途切れるように
なっている
君が終わったのに続いている僕を
僕は許せないから
6月のまとわりつく湿気にやられて
会社休んで引きこもって
8月くらいの暑さでその湿気が吹き飛ばされて
また僕が始まる
君のいない年月が
積み重なっていく事実が僕を癒す
なんて思い込んで
裏切られて
君のいない10月にこれを書いている
もうすぐ年を取らない君の誕生月が
やってくるよ
ハッピーバースディトゥユー
あの頃みたいにホールケーキ買うのかな
そんで食べきれなくて痛むんだ
そんな年月を積み重ねて
嫌になるくらい積み重ねたら
やっと君に許されて会えると思い込んで
きっとそれは裏切らない
喪失
喪失した
何を?
それが解らない
ただ胸のあった所に
摺鉢状の穴が
爆撃されたのだ、と気付いた
昨夜の空襲警報の耳鳴り
ただただ流れ落つ涙
胸の穴に溜まる
どんどんと溜まる
ああ ほら 月が映るよ
哀しみの凝(こご)った 月が映る
私は月を涙ごと飲み干す
そうしたら喪失した何かが解るかもしれない
そして 哀しい と思ったが
それでもなお
喪失した何かが解らない
不意に
感情の記憶 だ
感じる という記憶
そのものを喪失したのだ
喜怒哀楽のうち 哀しみ一つだけ残っている
月がそんな僕を哀れんで
笑った
世界にひとつだけの 我が子
あなたを パパにしてあげたかったな
私も ママになりたかったな
子供好きで 子供からも好かれるあなた
付き合っている間から
どんな名前にしよう
どんな教育を受けさせよう と
幸せだった
私理由の 不妊だった
私の体調 体力 メンタル 我が家の財力
サポート体制 色々考えた
子供を あきらめた
今はもう 町で見かける妊婦さん
子連れの方 微笑ましく見てる
育児マンガなんかも ネットでチラ見して
へーって思ってる
甥っ子や姪っ子 友人の子供
可愛がることで 何かがつながってゆくと
信じてる
でも まだ心のどこか 底の底の方で
思う
あなたを パパにしてあげたかったな
私も ママになりたかったな
わがままを許されたなら
無理を押し通せたなら
人として 生物として 愛した人の 子供
ほしかったなって
広場の時計台の鐘が時を告げる。
カンカンカンカン。四時。一時間待った。
待ち人は現れない。
無駄足だったか、と立ち去ろうとする青年。その青年の前に、
踊るように現れた人影。
「ピエロ…?」
訝しむ青年の前で、
ピエロはパントマイムを始めた。
カバンが地面にくっついて離れない。
ようやく引き剥がしたかと思えば、
空中で止まって動かない…。
ベタなストーリーだが、
少しだけ青年の心は明るくなった。
最後に被っている帽子に投げ銭を、
というジェスチャー。
なら喜んで、と青年は財布を取り出しかけ、ピエロは帽子を取る。
その刹那。
帽子の中から鳩と花が一斉に飛び出した。
「わあっ…」
人々は歓声を上げ、
子供たちは鳩を追いかけ回し、花を拾った。青年は目を細めその光景を見つめた。
どこからともなく拍手がおこる。
しかし。
ピエロは消えていた。
人々もきょろきょろとピエロを探すが、
次第に興味を失い、
広場はいつもの光景を取り戻した
青年の取り出した財布は行き場を失う。
まあ、ここはひとつコーヒーでも。
キッチンカーのエリアに向かった。
コーヒーひとつ、
氷なし、ミルクのみ、濃いめで、
と注文した。
「あの、この前も注文いただきましたよね?
いつもありがとうございます!」
よく店員を見てみると、
この前も接客してくれた娘だった。
「あ、はあ」我ながら間の抜けた声が出た。
「さっきのピエロすごかったですね!
私なんか…」
興奮冷めやらぬといったふうで、
くるくると表情が変わる。
よくみると可愛い娘だ。
青年は用意していたプレゼント、
クッキーだが、この娘に渡そうかと
思い始めていた。
時刻はもうすぐ五時、
また時計台の鐘が時を告げようとしていた。