「Midnight Blue」
草木も眠る丑三つ時、私は鍵をかけて家を出る。
家に帰ってきた時は、まだ人や車が行き交っていた目の前の道も、すっかり静まり返っている。
聞こえてくるのは、虫の鳴く音くらいだ。
夜の小さなオーケストラに耳を傾けながら、私は真夜中の暗闇の中、一歩一歩足を進める。
真っ暗ではあるが、所々に街灯があり、街のある方角の空は、薄ら明かりを放っている。
真夜中の暗闇を想起させる色を、ミッドナイトブルーというらしい。
完全な真っ暗闇ではなく、淡い青色を含んだ黒に近い色だそうだ。
きっと今の私の心境を色で表すと、そんな感じの色になる気がする。
生きる希望を無くすまで絶望してはいないが、決して未来に希望を抱いてるわけでもない。
黒に染まりきる勇気は無く、光り輝くには程遠い。中途半端であるが、中の中ではなく下の中。
それが今の私だ。
今もこうしてトラブルで会社に呼び出され、久しぶりに帰宅した我が家を、三時間で出ることになった。
まあ、別に構わない。家にいても寝る以外にやる事は無い。
私は今何をしているのだろうか。
最後に前向きに考えて行動したのはいつだったか。
最後に気持ちが踊ったのはいつだったか。
もう気持ちが沈んでいる自覚も無くなってきた。
この状態が通常だから。
だが、私の辛うじて残ってる淡い青色の部分が叫んでいるんだ。
だれか、私を暗闇から連れ出してと。
「君と飛び立つ」
君とならどこまでも飛べる。
あの蒼い穹のそのまた向こうまで。
どこまでも。いつまでも。
あなたと私は対を成す翼。
共に飛んでいこう。いつか来る終わりの時まで。
そして何度でも巡り会おう、存在と無を超えた祝福の彼方で。
「きっと忘れない」
あなたを忘れない。
幼稚園で初めてできた友達であるあなたを忘れない。
毎日のように遊んでいたけれど、小学三年生の時に引っ越してしまったあなたを忘れない。
初めて好きになったあなたを忘れない。
中学が離れてしまったあなたを忘れない。
部活で競い合ったあなたを忘れない。
初めてできた恋人のあなたを忘れない。
過去の私と関わり、今の私を形作ってくれているあなた達を忘れない。
時間があなた達の声を、姿を忘れさせたとしても、私という存在がある限り、あなた達を忘れない。
「なぜ泣くの?と聞かれたから」
なぜ泣くの?ってあなたが聞くの?
今しがた私をフッたあなたが?
なんて酷い男なの。
私があれだけ好意を露わにしていたのに、一切靡こうとしない。
女の子の「嫌い」は「好き」の裏返しって小学校で習わなかったのかしら。
「俺は嫌われてるから」ってそんなわけないじゃない。
本当に鈍い男。
なのに、どうして急に鋭くなるの?
どうして、生まれた時から一緒にいてくれたペスが死んで、平静を装うとしていた私の悲しみを見抜いてくるの?
あなたのせいで、私は「普段クールぶってるくせにペットが死んだら泣きじゃくる情に熱い人」にされてしまったじゃない。
そんなの好きになっちゃうじゃない。
だからこの私が恥を忍んで言ってあげたのに「あなたを見ていると、あまりに哀れだから、この私が彼女のフリをしてあげてもいいわよ?」って。
なのにあなたは「好きな人がいるんだ。自分本位に見えて、誰かのために悲しめる、こんな僕にいつも話しかけてくれる優しい人。その人に自分から告白できるようになりたいんだ」ですって?
なによそれ、絶対に許さないわ。私の心を奪っておいて、別の女に目を向けるなんて。
必ずあなたの事を振り向かせてみせるんだから!
それにしても、私以外にあいつに話しかけてる女なんていたかしら…?
「足音」
長く共に暮らした家族程になると、足音で誰が部屋の外を歩いているのかわかるようになる。
力強く床を軋ませて歩いてくるのは父。ぺたぺた急ぎ足で家中を駆け回っているのは母。同じく駆け回っているものの、音の感覚が短い弟。
大学生になって家を出るまでは、この判別法で間違いなかった。
だが、私が妻を連れて実家に帰るくらいの歳になると、いつもの判別法が通用しなくなっていることに気がついた。
父の足音が昔と比べて明らかに大人しくなっていた。母は家中を駆け回る事が減った。
そして、弟の足音の方が父と同じ音になっていた。
こんなところでも親の老いを知る事になろうとは思わなかったなあ。