「終わらない夏」
夏休みが終わって欲しくないと思った事がある人は多いだろう。
他ならぬ私もその一人だ。
しかし、本当に終わらなかったとしたら、それはそれで困る。
夏休みを共に過ごす友達の多くは、学校でできた人がほとんどだし、彼らとの関係は校舎で育まれたからだ。
何より私は冬も好きだ。
大好きなみかんが旬な冬は、何ものにも代え難い。
もしかすると、私達が夏休みを楽しいと思えるのは、夏休み以外の時間のおかげなのだろうか。
「遠くの空へ」
悩みがある時は、高い所に登って街を見渡すといい。
ミニチュアの様な人々や車が細々と動いている。
上から眺めると、私達もあんなちっぽけに見えているのかと、よく実感できる。
まさにその通りだ。
馬が合わない上司も、自分を大切にしてくれない恋人も、誰よりあなたを愛してくれている家族も。
そして他ならぬあなた自身も、こんなにちっぽけな存在に過ぎないのだ。
そんなちっぽけな事に思考を支配されて、頭を悩ませるのがどれだけ馬鹿らしい事か、あなたは思い知るだろう。
ちっぽけな人間の営みを眺めるのは止めて、空を見上げてごらん。
どれだけ高いビルや山に登ろうと、空はどこまでも広がっていて、地平線の先を見渡すことはできない。
ちっぽけな人間に悩まされるのはもうやめて、遠くの空へ視野を広げてみよう。
「!マークじゃ足りない感情」
文で使われる感情を表すマークは!と?のみだ。
小説を書いていると、もう少し感情を表すマークがあってもいいんじゃないかと思ってしまう時がある。
例えば驚きの感情。
ひとえに驚きと言っても、様々な種類がある。
急に後ろから声をかけられた時の驚き、映画で意外な展開が起きた時の驚き。
これらの驚きが全て「!」で表現しきれるものではない。
心理描写を加えればいい話なのだが、補足で登場人物の感情が理解できるより、セリフを見た瞬間に話者の感情が伝わると便利なのにと思ってしまう。
「君が見た景色」
人は伝える術を数多持っている。
文字、絵、声、五感を駆使する事で、人は他者の経験を自身の中に具現化できる。
特に精巧な絵であれば、作者と同じ景色を見たと言っても過言ではあるまい。
しかし、それらの方法を使っても、絶対に共有する事ができない景色がある。
それは死の寸前の景色だ。
死ねば、何も伝える事はできない。
死後に何かを伝えるには、死ぬ前に遺しておく他無い。
けれど、死ぬ寸前の景色は、死ぬ寸前にしか見ることはできない。
死の瞬間を記した文献は数多く存在するが、そのどれもが実際に死の寸前の景色を見て記したものではない。
ああ、死んでいった数多の先達よ、あなた達は最期にどんな景色を見たのか?
「言葉にならないもの」
小説を書いていると、言葉では表現しきれない心情に相対する事がある。
自分の文章力を全力でフル活用しても、どうもしっくり来ない、そんな場面に遭遇したことは無いだろうか。
そんな時、漫画は便利だと思ってしまう。
明確に文字で表さずとも、今私が考えている登場人物の表情を書けばそれで済んでしまうから。
しかしそう思ってしまうの、私が絵と真剣に向き合ったことが無いからだろう。漫画には漫画なりの難しさや、小説を羨ましいと思う事が多々あるはずだ。
己の中身から溢れ出る想像力を表現する方法として、私は小説を書く事を選んだ。
きっかけは軽いものであったが、今となっては私という人間の大部分を占める大切なアイデンティティだ。
悩み苦しむというのは、むしろ私が真剣に向き合っている証拠なのかもしれない。