「真夏の記憶」
小学生の夏休みは6回あったはずなのに、あまり具体的な記憶が無い。
一日日記も付けていたのに、〇年生の夏休みにこんなことがあった、と思い出せない。
あまり衝撃的な出来事が無かったのだろか。
それもあるだろうが、自分の学年や年齢を強く意識する理由があまり無かったのではないかと思う。
一年生から五年生までは常に上の学年がいるし、あまり責任感というのも生まれない。
多少責任が芽生えるのは、最上級の六年生になった時ぐらいだろうか。確かに六年生の時に起きた事は、割と覚えている気がする。
あとは中学以降は、自分の進路など未来を考える事が増えたり、思春期特有の刺激を受ける日々が多かったのが、関係しているのかもしれない。
小学生の頃は、宿題を終わらせればいいだけの夏休みがずっと続くものだと思っていた。
気づけば夏休み中の部活や補修、受験勉強。
年齢を重ねる程に、やらなければいけない事が増えていった気がする。
気の赴くままに過ごしていたあの頃に戻りたいと思う事もあるが、今の生活を捨て去ってまで戻りたいかと聞かれると、そうでもない。
覚えていなくとも、あの夏の記憶は、今の私の糧に確かになっているはずだから。
「こぼれたアイスクリーム」
幼少期、買ってもらったアイスクリームを、落としてしまった時の絶望を誰しも感じたことがあるのでは無いだろうか。
食べ進めていたならばまだしも、全く手付かずで落としてしまった時にはもうお手上げだ。
一瞬で涙が込み上げ、幼き日の私は泣き喚いたことだろう。
せっかく貰った100円玉を握りしめて買ったアイスクリームの、変わり果てた無惨な姿はトラウマものだ。
成人した今となっては、100円のアイスなどいくらでも買えるし、アイスの値上がりに物価の上昇を実感する。
しかし不思議なもので、いまでもあの頃のアイスの味と、硬貨を握りしめている感覚は、ずっと覚えているのだ。
「やさしさなんて」
やさしさとは、薬である。
傷ついた心を癒し、この世も捨てたものじゃないと、希望を抱かせてくれる。
やさしさとは、毒である。
分量を間違えれば、対象の体を蝕み、ついには死へ至らせる事もある。
薬も毒も、原料は同じだ。
違うのは使い方。
厳しすぎず、甘やかしすぎず、適度にやさしさを用いたいものだ。
「風を感じて」
時刻は18時。
夏の日差しを浴びながら、昼過ぎに登った長い坂を、私は愛用の自転車に股がって駆け下りる。
もう夏休みは終盤に差し掛かっているが、日が落ちる時間が早くなる気配はまだ無い。
自転車のライトの出番は、もうしばらく無さそうだ。
いくら仲のいい友人の家に遊びに行くためとはいえ、この坂を毎回登るのは骨が折れる。
友人の家に着く頃には、滝のような汗をかき、しばらくは遊ぶどころの話ではない。
私はこれほどに苦労して毎回訪問しているというのに、もう一人の友人の家は目と鼻の先なので、私が着く頃には涼しい顔をしてゲームに興じている。
羨ましがったところでどうにもならないが、若干の不公平は感じてしまう。
まあ、結局体力が回復して遊び始めれば、楽しくてそんな事はすぐに忘れてしまうのだが。
何より私の苦労を吹き飛ばすのは、この帰り道だ。
全速力で自転車を漕ぎ、全身に風と重力を感じて駆け下りる気持ちよさは、そう感じられるものではない。
もはや私はこの感覚のために、毎回しんどい思いをして、友人の家に遊びに来ているのではないかと思う。
危険なのは重々承知しているが、一度や二度、派手に横転してくらいでは、この気持ちよさを手放す気にはなれなかった。
結局大怪我をするよりも、その友人と疎遠になる方が早かった。
危険よりも、好奇心に従い、無鉄砲に突き進んでいた若いあの頃。
今となっては風のように過ぎていった日々、当時としては永遠に続くと思っていた日々。
はるか昔に駆け抜けた、ひと夏の風のような、そんな記憶の一片。
『夢じゃない』
憧れのあの人が目の前にいる。
憧れのあの人が私に愛を囁いている。
それはまるで夢のような日々。
何もかもが私の思い通りになる事が、何故か潜在的に理解できる。
きっと次にあの人は、あの言葉をかけてくれる。あの人は、私を強く抱き締め、求めてくれる。
そして急に理解してしまう。
世界はこんな思い通りになるほど簡単では無いことを。
自分の思い通りになる世界を私は知っている。
しかし、心地よい日々を手放すまいと、私は強く念じ始める。
「これは夢じゃない。夢じゃない。夢じゃない」
だが、私の抵抗虚しく、深く沈んでいた意識は、為す術なく浮上し始めた。
また、思い通りならない世界が始まる。