「色とりどり」
十人十色という言葉がある。
人にはその人それぞれ考え方があるという意味らしい。
そんなはずがない。
正義と悪、混沌と調和を併せ持つ人間が、一色の色で表現できるわけがないのだから。
「雪」
雪が降る地方で育った人と、雪が降らない地方で育った人、それぞれが雪に対して抱くイメージは大きく異なる。
大学に進学して地元を離れなければ、そんな当たり前の事にも私は気づけなかっただろう。
私の生まれ育った地元では、冬に雪が降るのは当たり前だった。
ホワイトクリスマスなんて当たり前の事すぎて、何の感慨も湧きはしない。
だが私が進学した大学で出会った友人達は違った。
雪が全く降らない土地で生まれ育った友人達にとって、冬とは寒くなってきて、乾燥で唇がカサカサになる季節でしかなかった。
雪が降れば、私は冬の訪れを感じて季節が巡った事を実感するが、友人の一人は唇が割れて血の味がすると冬の訪れを感じると言った。
同級生で話は合うし、子供の頃に流行ったゲームも漫画もアニメも同じ。
それなのに雪に対するイメージだけが違う。
私が最も人生で価値観のギャップを感じた事件だった。
幸せとはなんだろうか?
不満が無くて望ましい状態?
勘弁してくれよ。私はそんなつまらない解答を求めているんじゃない。
私は、君にとっての幸せとはなんだろうかと聞きたいんだ。
君は自分にとっての幸せを尋ねられて即答できるかい?
即答とまで言わないが、自分にとっての幸せを具体的に定義できるかどうかで、人生の質は変わると私は考えている。
人は生物的に幸せを追い求める傾向にある。
幸せとは、人生という暗闇に燦然と輝く一等星なのだ。
自分が目指すべき一等星までの道のりを理解している人間と、一等星を見つけていない人間では、人生の歩み方も異なる。
もし君が自分の一等星を見つけられていないのならば、まずは一等星には遠くとも、淡く揺らめく光に手を伸ばしてみるといい。
高尚でも高貴でも、人類史上類を見ない独特な物である必要も無い。
重要なのは君の意思で手を伸ばす事。
真っ暗な闇の中でも、燈を灯せば周りが見えてくる。見えたものを次々と辿っていれば、いつか君だけの一等星が見つかるかもしれない。
重視すべきは、最終的に一等星に辿り着く事ではない。
その一等星は本当に辿り着けるかもわからない。そもそも本当に存在しているのかすら怪しいものだ。
しかし、今までの道のりを振り返った時、君が歩んできた軌跡だけは確かにそこに存在する。
もしかしたらその中に、一等星以上に価値のある物が見つかるかもしれない。
君に言いたいのは、ただ自身で選んで歩み続けろという事。
暗闇だからとその場に蹲っていてはいけない。
道は既に存在しているんじゃない。君の歩いた行程が道になるんだ。
創れ、自分だけの道を。そして掴み取れ、君だけの一等星を。
「祈りの果て」
人は祈る。
時には願いを託して祈り、またある時は祈ること自体が習慣になっているから祈る事もある。
願いを叶えて欲しいから行う祈りはともかく、宗教的な祈りに終わりは無い。
何かを目的としているのではなく、その行い自体が信仰に繋がっているからだ。
己の信じるもののために祈る事が自分という存在を確立させるアイデンティティになっていると言っても過言では無いだろう。
仮に終わりがあるとすれば、それは終末が訪れた時だろうか。
もしかすれば、再現の無い祈りに終止符を打つため、ほとんどの宗教の物語には、終末に行き着くのかもしれない。
「パラレルワールド」
今日の夕飯をカレーにするか、シチューにするか。
右に行くか左に行くか。
そんな日常生活で選択を迫られる時に毎回考える。今この瞬間の選択の数だけパラレルワールドが存在しているのかと。
もし今日シチューにしていたらどうなっていたのか。右にも左にも行かず、ずっと立ち止まっていたらどうなっていたのか。
考えても意味が無いのはわかる。
答えは『わからない』。
もしかしたら選ばなかった方のパラレルワールドでは、私の選択が遠因で第三次世界大戦が発生しているかもしれない。
こんなものどうとでも妄想できる。
答えのない問題に囚われてもなんの意味もない。
それでもついついパラレルワールドの可能性を考えてしまうのは何故なのだろうか。