『心の羅針盤』
君達は、今を生きるうえで大切にしていることはある?
人生とは、まるで大海原だ。
広大で、終わりは一向に見えない。時には自分がどこにいるかわからなくなることもあるだろう。
そんな時は、心の中に羅針盤を持つといい。
突然自分がどこにいるのか、何者であるのかわからなくなった時、君はここにいるのだと教えてくれる羅針盤。
それは人かもしれないし、物かもしれない、はたまた形を持たないかもしれない。
それが実際何なのかはわからない。
心の中の羅針盤は、人の数だけ存在する。
きっと羅針盤は、君の航海を手助けしてくれるに違いない。
だから人々よ、まずは人生の羅針盤を探すことから始めよう!
「またね」
命は儚い。
人は強いようで、本当は弱い。
交通事故はもちろん、朝布団をまくると冷たくなっていたなんてのは、よく聞く話だ。
人は簡単に死ぬ。
けれど私達は、別れの時に「またね」と言う。
たとえ明日また会う予定だとしても、今日無事に帰れる保証はどこにもない。
では「またね」と言う人は、命の儚さを理解していないのだろうか。
平穏な日々がいつも通りに続いていくと考えている、呑気な人なのだろうか。
きっとそれは違う。
「またね」と言うのは、願いなのだ。
また会いたい、また会えますように。
そんな願いが込められた言葉なのではないだろうか。
だから私は今日も「またね」と別れの言葉を口にする。
また明日も、この平穏な日々が続く事を心から願って。
『泡になりたい』
魚になりたい。
広大な海を自由に泳ぎ回りたい。
でも、海の世界は弱肉強食。
弱い私はきっとすぐに食べられてしまう。
天敵がほぼ存在しない、現代の人間の権力を捨てたくはない。
間を取って、人魚姫になろうかしら。
大海原を自由に泳ぎ、理想の男性に恋をして、そして失恋をした私は、泡となって消えていく。
人生なんてそんなものでいい。
いや、元より人生はそんなものなのかもしれない。
どれだけ激動に精一杯人生を生きようと、最後は皆死体となって、その身は朽果てる。
泡になって消えていくのと、少しずつ土に還る事の何がそんなに違うのだろう。
『ただいま、夏』
小学生低学年の時、我が家の門限は17時だった。
秋に入り、紅葉すら枯葉に変わる季節には、17時にはほぼ日が落ちてしまう。
さすがに小学校に入って間もない子供に夜道は危ないし、私自身も一人で暗闇を歩くのは恐ろしかった。
だが、夏は日が長い。
18時を過ぎても、なお夕日が街を照らす。
スマホも腕時計も持っていない、公園の真ん中にそびえ立つ時計だけが時間を支配していたあの頃。
遊びに夢中で時計を見ることを忘れ、陽の明るさだけを頼りに遊んでいた時、私はふと時計を見た。
17時30分を既に回っていた時には、背筋が凍りついた。あの感覚は今でもよく覚えている。
そして同じ事を毎年何度も繰り返す。
高学年になった時には、18時を過ぎて帰宅した日もあった。あの時は、まるで盗みでも働いてしまったかのような罪悪感に苛まれながら帰路に着いたものだ。
これもある種、夏の風物詩だろうか。
またこの季節がやってきた。
ただいま、夏
お題「ぬるい炭酸と無口な君」
セミの鳴き声が夏の到来を伝える8月、学校の玄関に座り込んだ僕と君の間には、長い静寂が落ちていた。
元を辿れば、帰路に着く寸前の君を僕が呼び止めたのが始まりだった。
夏休みで校内に人は少なく、玄関には僕達以外の人の気配は無かった。
君と二人きりになるために、こんな良い機会はそう無い。
「ちょっと話さない?ジュースでも奢るからさ」なんて自然に誘ったつもりだったけど、実際は早口で挙動不審な口調になってしまった。
しかし君は、いつもの笑顔で僕の誘いに応じてくれた。
初めはそれなりに会話もあったけれど、20分もしたら話題も尽きてきて、無言の時間の方が長くなっていた。
手に握ったコーラの中身は約一口分が残っていて、すっかりぬるくなり炭酸も抜けてしまっている。
けれど、これを飲みきってしまうと、この場に残っている理由が無くなってしまう気がして、最後の一口に口をつける勇気が出ない。
君の握るコーラもおそらく同じような状態なのだろう。
けれど、僕も君も最後の一口を飲み干そうとはしない。
君も僕と同じ気持ちでいてくれるのだろうか。
きっと同じ想いなはずなのに、不思議と二人とも次の言葉が出てこない。
しかし、何故か気まずいとは感じない静寂の空間。
しばらく続いた二人だけの空間に、セミの鳴く声だけが響いていた。