蝶よ花よと育てた娘は。
本当に花のように愛らしく、美しく育ってくれた。
いつかは蝶のように、自ら選んだ場所へと舞って行ってしまうのだろうけれども。
まだもう少しだけここに留まって。
春のような心地に浸らせてくれないかなと、そんなことを望んでしまう。
【蝶よ花よ】
「最初から決まっていました」
紳士然とした若い男は優雅に微笑むと、傍らに抱えていた大きなバラの花束を片手に持ち直す。
「私の伴侶となるべく人は貴方です」
ゆっくりとした足取りで一人の女性の前に立った若者は、戸惑う彼女の前に堂々と跪く。
「どうか私の妻になっていただけませんか?」
バラの花束を差し出した若い紳士に、相手の女性はおずおずと視線を向け、躊躇いがちに口を開いた。
「あの・・・・・・、私と貴方は今日初めてお会いし、会話をしたばかりです。お付き合いをするくらいならともかく、貴方みたいなお方が私のような者に結婚の約束をするのはいささか早計なのでは・・・・・・?」
若者は俯きかけていた顔をあげ、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「貴方を一目見て、私の心は決まりました。貴方から見れば私の判断はまるで一瞬の出来事のように感じられるでしょうが、ここに至るまで私の頭脳は目まぐるしいほど途方もない演算を繰り返し、そしてようやく辿り着いた結果なのであります」
こうして人類史上稀に見るほどの天才と謳われた資産家は、彼にとっては永遠とも思えるくらいの長い数分を経て、後に語られる一世一代のプロポーズを果たしたのである。
【最初から決まってた】
遙かなる大地を明るく照らす太陽にも、時には休息が必要だ。
厚い雲の影に隠れてひとやすみしたり。
地上を濡らす雨の日と交代しては、ひそかな休日を送ったり。
と、まあ、色々とね。
だから、ほら。
太陽だって、時には休むのだから。
毎日毎日頑張らなくたって、何とかなるものなのだよ。
だから、さ。
君も思いっきり、休んだっていいんだよ。
【太陽】
鐘の音が鳴り響くと、街には朝が来る。
そしてその鐘を鳴らすのが、僕の祖父の仕事だった。
祖父は街に住む誰よりも早く起き、毎朝一番に鐘を鳴らす。そうすると眠っていたはずの街が動き出し、明るい活気に満ち溢れる。
祖父はその光景を鐘がある塔の天辺から見下ろすのが好きだった。
そして僕も、祖父の傍らでその光景を眺めるのが大好きだった。
まるで街が息を吹き返したようで。
それを生み出す祖父が誇らしかった。
「ねぇ、じいちゃん。じいちゃんはどうしてこの仕事をしてるの?」
小さかった頃の僕は、ある日そんな質問をしてみたことがある。祖父は「んー?」と、少しだけ思考しながら、「なんでだろうなぁ」と、呑気な様子で呟いていた。
「気付いたらこの仕事をしてたからなぁ。けど、ほとんどの人がそんなもんだろう。でもなぁ、俺は思うようになったんだ。きっとこうして続けてこれったってことが、どうしてこの仕事についたかの答えなんだろうよ」
小さかった頃の僕には、祖父の言ったことの意味がよく分からなかったけれど、あの時の祖父がとても穏やかに笑ったことだけは覚えている。
あれから技術が発達し、鐘は人の手で鳴らさなくてもよくなって、祖父がやっていた仕事は必要なくなってしまったけれど、僕はあの日に聞いた祖父の言葉の意味を今でも探している。
さて、そろそろ僕は仕事に向かおうか。
いつか出会うかもしれない、僕だけの答えを求めて。
【鐘の音】
つまらないことはやらなくていいや。
そんなふうに考えて、その日から楽しいことだけをすることにした。毎日毎日楽しいことばかりをしていたら、ある日、していたこと全てがつまらなくなった。
どうしてだろう。考えても考えても分からない。
分からないから今度は今までつまらないと思ってしなかったことをすることにした。
そうしたら、つまらないことをどうしたら面白くて楽しいものにできるかを考えるようになった。
以前はあんなにもつまらなかったものが、自分の頭で考えて工夫して、そして自分の手で新しく生まれ変わらせていったら、以前のつまらないものは、もうつまらないものではなくなった。
つまらないことでも、こんなにたくさんの可能性を持っていたのか。
そう気付いたらもう世界が丸ごと楽しさで溢れてきてワクワクした。
【つまらないことでも】