もう何もいらないわ。
そう言った彼女の周りには絢爛豪華な品々の数々が所狭しと並べられていた。
高級な調度品。
きらびやかなドレスにアクセサリー。
美味しいお菓子やジュースに、愛玩用の子犬や子猫まで。
あらゆる物が彼女のために用意された。
あらゆる物が彼女の望みのままにあった。
それなのに。
だって、何を並べてもつまらないんだもの。
何もいらなくなるほど満たされても。
彼女の欲は満足しない。
【何もいらない】
もしも未来を見れるなら。
私はまず未来を見るかどうかの葛藤をするだろう。
もし見ない選択をしたならば、私は何が起こるか分からない未来をただ受け入れて、その時その時を頑張りながら生きていくことになるだろう。
そして仮に見る選択をしたならば、そこには未来を見た私が誕生し、知ってしまった未来が受け入れられなければ、それを変えようと努力するかもしれない。
けれど、その努力が報われるかどうかは不確定で、その先にある未来は再び分からなくなる。
もしかしたら未来を知ったことにより、いらぬトラブルに巻き込まれることもあるかもしれない。
そんなことを考えたら、結局どこから始めても未来は見えないままではないかと思った。
だったらそんなに肩肘を張らなくてもいいような気がしてきて、これからくる未来を少しだけ楽しみにして見ていこうと思った。
【もしも未来を見れるなら】
目を開けるとそこには見慣れた形の街並みが広がっている。ただひとつ違うのは知っているはずの景色から色という色がごっそりとなくなってしまったということだった。
これはどういうことだろう。
僕は目を瞬かせ、夢ではないかと疑ったが、あいにく頬を思いっきり抓ってみても、目の前の様子に変化はない。
「・・・・・・あの、すみません」
僕はこの理解不能な状態に、思わず目の前を通り過ぎようとしていた道行く人を呼び止めた。
「はい?」
その人は僕のほうを振り返って足を止める。色がついていないからよくわからないが、幾分か落ち着いた低い声と高い背丈から考えて、僕より少し年上の男性ではないかと予想する。
「この世界はどうしてしまったんでしょう」
僕のその一言に相手は何かを察したらしく、「ああ、君、生まれたてか」と納得したように頷いていた。
「生まれたて?」
「この世界に生まれたばかりの人にはまだ世界の色が見えないんだ」
「・・・・・・えっ? いやいや、そんな馬鹿な。だって昨日までは普通でしたよ」
「普通って?」
「えっ?」
「君が昨日まで見ていた普通って、本当にそこにあったのかな?」
何を言ってるんだと思いつつも、僕は口を挟めなかった。
「例えば君はどうして僕に話し掛けたんだい? こんなにも通行人がいる都心の街中で」
「それは貴方が一番近くにいて話しかけやすかったからで・・・・・・」
「・・・・・・なら、これならどうだった?」
そう彼が言った途端、真っ白だった彼の姿がみるみる色を取り戻していく。
「・・・・・・あ」
「僕に色がついていたら、君は僕には話し掛けなかったんじゃないかな?」
そうかもしれないと思った。
彼は確かに男性だったけど、肌は僕よりも白く髪はキラキラした金髪で、明らかに日本人の僕とは違う国の出身の人だと分かる。
「確かにもし色があったら、きっと僕は言葉が通じないかもしれないと一瞬でも考えてしまう貴方には話し掛けなかったかもしれません」
「そうか。ならここが、無色の世界で良かったよ」
彼はすうっと片手を僕の前に差し出した。
「危うく君と友達になり損ねるとこだった」
彼が悪戯っぽくウインクする。僕は何だかあはははと、嬉しい笑いが込み上げてきて、気付けば彼の差し出した手をしっかりと握っていた。
「あの、もっと色々僕にこの世界のことを教えて貰えませんか?」
「ああ、もちろんいいさ。喜んで」
彼は僕の肩を軽く叩いた。その瞬間、僕自身もみるみる色を取り戻していく。
どうやら僕は昨日までの僕とは違う、新しい自分に生まれ変わっていたらしい。
これまでつけていた色眼鏡を取っ払い、これから僕はこの新しい世界を、きちんと見てみようと思う。
【無色の世界】
人は何かを達成できなかった時、桜散るなんて表現をするらしいじゃないか。
俺の頭上からそう告げたそいつは、綺麗な顔をこれでもかというほど意地悪く歪ませて、ニヤリと微笑んだ。
「だから何だって言うんだよ」
俺はズズズっと鼻水を吸い上げ、涙でぐしゃぐしゃになった顔をそいつに向ける。
「いやいや、人間とは粋な表現をするものだと思ってね。それで小さき少年よ、こんな満開な桜の木の下で、君は何をそんなに落ち込んでいるんだね?」
「うるせー、お前なんかに言うかよ」
「おおかた女の子にでも振られたんだろ」
うっ、と俺は言葉に詰まる。
「ちっげーよ。ただ……、負けたくない奴に、今日体育の100メートル走で勝てなかったっつーか」
「なるほど。そいつが恋のライバルか」
うっ、とまた図星を衝かれ、俺はぎりっと奥歯に力を込めた。
「クッソー、何だよ、さっきから。俺のこと分かったように指摘しやがって」
「分かったようにじゃない。分かってるんだ。なんせ私はこの土地で、もう千年近くもの時を過ごしてきたんだぞ。たかが10年ほどしか生きてないひよっこ少年の思考など、読めて当たり前だろう」
ははははっとそいつは意気揚々に笑う。桜の太い幹に悠々と腰を掛けて、俺にしか見えないたぶん人間じゃないそいつは、俺の胸中など知らぬように楽しげだった。
「俯くな、少年よ。こんなにも満開な桜を見ないだなんて勿体ないぞ。桜は確かにすぐ散るが、また来年も変わらず咲く。そこに在り続ける限りはな」
俺はそいつの言葉につられて顔を上げた。ピンク色の綺麗な花弁からひらひらと小さな花びらが舞う。
「どうだ、少年よ。いっとき散ったからといって、嘆く必要などないと思わんか」
散る様だって桜はこんなにも美しいのだからと、そいつが珍しく優しい声を出したので、俺は黙って涙を拭くと、「まあ、そうだな」と、ぶっきらぼうに頷いた。
【桜散る】
「ここではないどこかで君と会えたら良かったんだけどなぁ」
背中合わせに立つ彼が、飄々とした口調でそう嘯いてみせる。
「そうしたら一時のロマンスが始まっていたかもしれないだろ」
「馬鹿なこと言わないで」
私は彼を振り返らない。
ただ目の前にいる敵だけを見据え、銃を構える。
「ここではないどこかで貴方と出会っていたら、こうして言葉を交わすことすらあり得ないわ」
貴方みたいな不穏で軽薄な人間に関わるなど、こんな物騒な事態に巻き込まれない限りお断りよ。
そうはっきりと言い放ってやれば、背後の彼が「きっついなぁ」と可笑しそうに笑ってから、右前方にいた敵を銃で撃ち抜いた。
視認できるだけで敵は20人。
ひとり10人ってことで。よろしくね。
ぽんっとエールを送るように肩を叩かれる。
やっぱり私は振り返らず、構えた銃の引き金を引いた。
【ここではない、どこかで】