10年後の私から届いた手紙。
幸か不幸か。
そんな代物がいま私の目の前にある。
これは神様の悪戯なのか。
それとも悪魔の罠なのか。
封を開いた瞬間、魔のデスゲームの始まりだなんて、どこぞの漫画みたいな展開になったりはしないだろうけれど。
こんなものは読まずに捨てしまったたほうが賢明か。
いやいやでも、めっちゃ重要なことが書いてあったら困るし。やっぱりいちおうは確かめておくべきか。
私はおそるおそる封を切った。
中にあった二つ折りになっていた紙片を、ゆっくりと開く──。
「ああ! やっぱ無理!」
一文字目を読もうとしたところで、手紙の文面を机へと伏せる。
「怖い、怖い。こんなの。未来からの手紙なんて、絶対に読んだら最後のやつじゃん。絶望的な未来を変えるために過去を今から改善していきましょうって事でしょ。ふざけんなよ、私。私を誰だと思ってるの。お前だぞ!」
卑屈と怠惰が服着て生きてるような奴だぞ。
誰かに何かを期待されたこともなければ、私が私をもう諦めているほどに落ちぶれているんだからな!
「ちくしょう・・・・・・。何で私に手紙なんか書いたんだよ」
私なんてなんにもできないのに。
埋もれては不貞腐れてばかりなのに。
10年後の自分から見た私は、いったいどんなふうに映っているんだろう。期待してもいいくらいには輝いて見えるのだろうか。
私は一度目を閉じて深呼吸をした。机にあった紙を両手に持ち、伏せてあった文面は自分の方へと向ける。
「よし!」
私はカッと目を見開くと、白い紙に並んだ文字へと意識を集中させた。
【10年後の私から届いた手紙】
叶った恋は甘く溶け
破れた恋は苦く残る
甘くて苦いチョコレートが
バレンタインの象徴だなんて
なんて理に適っているのだろう
どちらの味になるかだなんて
そんなこと
あげるまでは考える余裕もないけどね
【バレンタイン】
古びた神社の鳥居の端に、一匹の猫が横たわっていた。土や埃にまみれた体躯が、浅い呼吸を繰り返している。
その猫は子猫であった頃に母親からはぐれ、それからずっと独りきりだった。自身の生命の終わりがもうすぐだと悟った猫は、やっとの思いでこの神社へとやって来たのだ。
『──逝くのか』
どこからともなく声が降った。猫は頭を上げる力もないままその声に耳を澄ます。
この世でたった一人の友人の声に。
(うん。もうダメみたい・・・・・・)
強がることもできない。本当は元気な時に会いに来て、そのまま誰の目にもつかず消える予定だったのに。会ったら最後になるのだと考えたら、どうしてもこの場へ足を運ぶことを躊躇してしまった。
『お前がしばらく来なくて、わたしは寂しかったぞ』
(・・・・・・そうだね。ごめんね)
『なのに、どうしてもっと早く来なかった』
生き抜くにはまだか弱い力しかなかった幼い頃から、猫にとっての唯一の拠り所がこの古びた神社だった。
見つけた時はまさかそこに、人から忘れ去られたままの神様が住んでいるなんて、思ってもみなかったのだけれど。
(君に「さよなら」を言いたくなかったんだ)
君と話した時間はあまりにも楽しく、あまりにも幸せだったから。手放せなくなって困ってた。そんなことを伝える気力はもうなくて、視界がどんどん狭くなる。
『お前もわたしを置いていくのか?』
ああ、そうだね。
君はいつだって、誰かに置いていかれてしまう側なんだ。
君はこの地でそんな想いを、いったいどれだけの長い間してきたのだろうね。まだこの先も続く悠久の時間を、また君は寂しさだけを抱えて生きていく。
そんな君を。
置いていってしまわなければならない。
君がいてくれたから、自分はひとりぼっちじゃなく生きてこれたのに。
(・・・・・・待ってて)
遠ざかる意識の中でそれだけを言う。
(生まれ変わるまで・・・・・・、ちょっとだけ待ってて)
届いたかどうかも分からない。
もう体が重くて、頭の中も眠たくてたまらないから。
けれど、伝えずにはいられなかった。
寂しさしか知らない神様が、少しでも長い年月を悲しまずに越えていけるように、願わずにはいられなかった。
*****
横たわった小さな体躯が、二本の腕にそっと掬われた。この世のものとは思えないほど美しい青年が、胸元に抱いた猫の背を慈しむように撫でる。
ああ、待っているよ。
お前のためなら、いつまでだって。
安らかに目を閉じた猫の体が、眩い光に包まれる。光はぱっと弾けて粒になると、柔らかな風に乗って空へと上った。
【待ってて】
僕は罪人です。
生まれてからこのかた、生きるために何でもしました。
盗みも、騙しも、時には誰かを傷付けることも。
そうしないと、生きていけなかったから。
そんな理由を並べても、やってしまったことはやはり悪いことなんだと思います。
だからこうして捕まって、刑に処されるのは当たり前なことなので、僕は受け入れようと思いました。
『最期に伝えたいことはあるか?』
檻に入っている僕に向けて看守の人がそう言いました。僕がここに入れられてからずっと、僕の見張りをしていた人です。
伝えたいことなんて、そんなこと。
普通の看守だったら聞きません。
僕ら罪人のことなんて、人間とも思っていないでしょうから。
だからきっと彼は、看守にしては珍しい、いっとう優しい人なのでしょう。
伝えたいことなんて、僕にはありません。
今この瞬間まではそうでした。
だって伝えたい相手もいないのに、伝えたいこともないでしょう。
だから。
「ありがとう。僕のために泣いてくれて」
鉄格子を経て目の前に立つ彼は、ぽろぽろと涙をこぼしていました。
「ありがとう。僕の言葉をきいてくれて」
誰かに伝えたいことがある。
それはなんて誇らしく素敵なことなのでしょう。
そしてその思いが伝わった時、こんなにも心が満たされるなんて、僕は生まれてこのかた初めて知ったのです。
【伝えたい】
そこは世界からも見捨てられたような、うらびれた土地だった。固く乾いた地面はひび割れて、花どころか草木も生えていない。
そんな土地にある日ひとりの旅人がやって来た。旅人はみすぼらしいテントを一つ建てると、そこに住み始めた。
長い年月が過ぎ去った。それまで色んなことがあった。最初に住んだ旅人が呼び水になったのか、次第にその場へ人が集まり始めた。人が集まることによって渇いた大地は耕され、畑ができて、井戸ができて、家ができた。
そうすると土地はどんどん活気に溢れ、そこはいつの間にか賑やかな街となった。
そして、いま。
この場所には無数の墓標が建っていた。
再び長い長い年月が過ぎ去り、人は争いを起こして互いの命を奪い合った。
その土地はまた世界から忘れ去られていた。
かつての賑わいはどこにもなく、墓標の他には建物の残骸がそこかしこに転がっているだけ。
そこにまた何も知らぬひとりの旅人がやって来た。旅人はかつて街であったこの場所を奥へ奥へと進んで行き、あの無数の墓標たちの前に立った。
この場所で眠るかつての先人たちに、旅人は深く頭を垂れる。
旅人は訳あってひとりぼっちだった。帰る家を持たないまま各地を転々としていたが、いいかげん羽を休める場所が欲しかったのだ。
旅人はみすぼらしいテントをひとつ建てた。
この場所でまず生きてみようと、旅人は心に決めた。
【この場所で】