作品No.167【2024/09/14 テーマ:命が燃え尽きるまで】
私のこの命が尽きるまで、あなたの傍にいようと決めたのに。
あなたはきっと、この未来を予見していたのだろう。そういう能力をもっていたこともあるが、そうでなくとも、あなたはこの未来をわかっていたのだろう。
だから、私を遠くへ追いやった。あなた自身の手の届かないところへと。その結果、私は、ここに立っている。
視界の遥か先、炎に包まれる城は、つい先程まであなたと私が共に過ごした場所なのに、今ではまるで地獄絵図だ。
「私は、また……」
どうして、私が生き残る? あなたを守らなければならないはずの私が、どうして守るべきものが失われるのを、なす術なく見ている?
そんなことは、わかりきっている。
「あなたに助けられた」
燃え尽きなかった命が一つ、目的をなくして揺れていた。
作品No.166【2024/09/13 テーマ:夜明け前】
人が滅多にとおらない公園で、充電式のキーボードを弾くのが、ここ数年の日課になっている。雨が降っていない限りは、毎日だ。
誰も来ないから、聴いてくれる人もいないけれど。
夜が更けてから、朝が来るまで、休憩を入れつつ気ままに弾くのがすきだ。
もうすぐ、夜が明ける。太陽が、空を照らし出す。
この景色に、この空気に、相応しい曲を。
私の指は、気の向くままに、音を奏で出した。
作品No.165【2024/09/12 テーマ:本気の恋】
本気の恋だと
思っていた
多分 違ったのかもしれない
今も忘れられないほどには
未練タラタラなのに
あの恋ですら
なぜだか本気のものとは
今は思えないのだ
作品No.164【2024/09/11 テーマ:カレンダー】
九月八日。忘れないと思うけど、忘れないように、私は祖母の家のカレンダーに書いた。
【おばあの命日】——と。
既に特別な法要は終わらせている、曾祖母の命日だ。二十年くらい経つだろうに、その日付は、忘れることなく私の中に刻まれている。
例えカレンダーに書いて残さなくても、忘れずに当日かその前後で、線香をあげにいくだろうに、律儀にそう書き記した。
そのついでに、カレンダーを一枚めくって、翌月の姉と自分の誕生日をちゃっかり書き残したのは、また別の話だ。
作品No.163【2024/09/10 テーマ:喪失感】
母方の曾祖母が亡くなったとき。
母方の祖父が亡くなったとき。
父方の祖父が亡くなったとき。
父方の祖母が亡くなったとき。
そして、昨年の十一月と今年の五月、約半年の間に相次いで、父方の伯父が亡くなったとき。
この約三十年間。近しい親戚との別れを、いくつも経験してきた。
不思議なことに、〝近しい親戚との別れ〟と一口で形容しても、私の中でその喪失感には差があった。
特に、私達姉妹の面倒を幼い頃から見てくれた母方の曾祖母と、年に数回顔を合わせる程度の父方の親戚とでは、私の中で明らかな喪失感の差があった。父方の親戚の命日は憶えていないくせに、母方の曾祖母と祖父の命日はしっかり憶えているところも、その差が読み取れるだろう(もっとも、母方の祖父の命日を憶えているのは、自身の誕生日の二日前という、なんとも憶えやすい日であることも理由の一つなのだが)。先日の母方の曾祖母の命日に、花束を持って線香をあげに行ったのだって、母の実家の方が自宅から近いから、という理由だけではないはずである。なんなら、ここ数年、私は曾祖母の命日に線香を欠かさずあげにいっているくらいだ。父方の親戚に、そこまでしようとは思えない。
こんな自分が薄情だ——とも思う。でも、それも致し方ないとも思う。
かかわりがあればあるだけ、思い出があればあるだけ、その人との別れはいつまでも残り続けるのだから。