閉ざされた日記
私は中学1年生のときから今まで日記を書き続けている。
中学生のときは担任の先生へ提出する生活日記
中学3年生から高校3年生までは勉強日記
大学時代は1日のタイムスケジュールや、三行日記
社会人になってからは3年日記に三行日記をつけている。
かれこれ18年間の習慣だ。
とはいえ毎日書くのは難しいときもある。
最近は土日にカフェに行き、まとめて1週間分を思い出して書いていたりする。
この習慣を人に話すと驚かれるのだが、私としては
毎日頑張って生きてきたことを忘れてしまうのが嫌だという気持ちがある。
そして、あとから読み返すととても励まされるのだ。
私の毎日が意味ある日々に思えてくるのだ。
だから、続けることができている。
ただ、この18年の中で1年だけ書けなかった年がある。
社会人1年目だ。
毎日22時に帰宅。夜中の2時まで持ち帰り仕事。
朝の5時に起床して6時には職場にいるような生活を1年間続けていた。
とても日記を書けるような生活じゃなかった。
閉ざされた日記と言える。
ただ、職場の業務日誌とその年に作成した授業プリントだけは今も大切に保管している。
これが私の社会人1年目の日記と言っていい。
木枯らし
三連休は暴風で雪が降ったは降ったけど積もらなかった。
ありがたい。
今週はJCPZの影響で大雪。。。やめて!
この世界は
美しくて残酷
進撃の巨人のミカサ・アッカーマンが言っていた言葉。
確かにそうだよなぁと思うときがある。
ダーウィンが来た!でヒグマの親子が人里に降りて射殺された。
ヒグマの母親は本来子育てのために大きな移動をせずに子育てをする。
だけど、温暖化で本来北海道にやってくるはずの魚がより冷たい北の海に北上してやってこない。
飢えたヒグマの親子は本来の活動範囲を10倍以上広げて食べ物を探す。
痩せ衰えたクマが土を一生懸命に掘ってセミの幼虫を食べている姿がテレビに映った。
あんなに大きな体でセミの幼虫一匹がなんの足しになろう。
たくさん歩いて食べ物を探した末に人里に下りてしまって射殺された。
悲しかった。
しかもその親子は長年研究者たちに観察され続けていたヒグマだった。
沢山の子どもを育てた経験豊富な母熊だったのだそうだ。
研究者たちは自然に介入できないからただ人里に下りていく親子を見ているしか出来なかったのかと思うと胸が痛む。きっと思い入れはあったはずだ。
熊に食い殺される恐怖
餓えの恐怖
両者ともなんて残酷なんだろう。
ずっとこのまま
三連休よ、明けないでくれ。。。ええええ"""
寒さが身に染みて
昔、長野に住んでいたとき
天気がとてもよいのに太陽の熱が全く地上に届かないことを不思議に思った。
冷たい空気がダウンコートの隙間を突き抜けて刺してくるような感覚。
冷たいを通り越して痛い。
なのに、空は晴天だから脳がバグってしまう。
幼少期を過ごした日本海側は冬の間はずっと暗雲の空なのだ。
高校3年生のとき、通学時間の午前7時台はまだ暗くて朝日がなかった。
ガタゴトとサラリーマンたちと一緒にバスに揺られる。もちろん座る席はなくてつり革にぎゅっと力を込める。
『わたしたちは、なんでこんな箱に毎朝運ばれているのだろうか』と真剣に考えていた。
『なんのために大学受験をし、勉強しているのか?結局、着る服が制服からスーツに変わっていつまでも箱で運ばれるだけなのに。』と。
バスから降りれば、丘の上の学校まで徒歩で歩いて上って行く。
制服を着た生徒たちがアリの行列のように丘の天辺まで続いていた。
8時になっても外は暗くて、曇天の雲が見渡す限り。
地獄への道のように見えた。
重い教科書を背中に担いて、今日も学校へ行く。
軽く鬱っぽい思考になっていた。
日本海育ちには長野の晴れやかな寒空は悪くなかった。
本当に悪くなかった。
むしろ真っ白に輝く雪は美しくて勇気をくれた。