心の中の景色は
心の中の景色って、そんな
心にパッと思い浮かぶ綺麗な景色なんてない。
綺麗な海とか、綺麗な空とか、
景色を見て感動した経験が乏しいから、心に常にある憧れみたいな景色なんてない。
そう思うと、心の中の景色というのは、日常の景色なのかな、とふと思った。
朝起きて、洗面所で見る私の寝ぼけた顔
通勤の車から見るいつもの交差点
職場の同僚の顔
ジムで見るみんなのダンス
家事をする母の後ろ姿
庭木に水を遣る父の姿
そんなありふれた光景がやっぱりパッと頭に浮かぶ。
この夏に映画「国宝」を観た。
主人公の喜久雄が人間国宝になったとき、歌舞伎を続けてきた理由を「ある景色を探しているんです。」と答えた。ある景色はどんな景色なのか分からないけれど、それを探して芸を磨いていると。
人生にそんな目標があるのもいいなと思った。
私はどんな景色を探しているんだろうな?
夏草
夏草や兵者どもが夢の跡
夏休みの学校の教室。
人のいない空っぽの教室を見て、1学期の騒々しかった日々を思い出す。
明日からは2学期。
また、兵者どもが帰ってる。
素足のままで
学生のとき、合気道と出会った。
私はスキー部に興味があったのだが、たまたま入学オリエンテーションで隣の席になった知り合いが、合気道部に見学へ行くと言うので、着いていったのだ。
合気道はよく警察官が演武する護身術のようなもので、先輩に習って前回り受け身や後ろ受け身を教えてもらった。
受け身を少し習うだけで、合気道ができるような気がしてきたから不思議だ。
その日のうちに入部を決めた。
そして、私を誘った同じクラスの知り合いが親友になった。
私はそのあと卒業まで合気道を続け、地元に就職で帰ったあとも地域の道場の門を叩き、今でも合気道を続けて、かれこれ8年になろうとしている。
素足のままで道場の畳を踏み、足裏全体に均等に体重をのせる自然体。
この自然体は、攻撃を受けた際に前後左右どの方向にでもスッと体重を移動して攻撃をかわせるフラットな姿勢である。
この自然体は日常生活でも意識できる。
心を片寄らせず、常に自分の中心に置くことで、何かあったときにスッと対応ができる。
こうやって私は合気道の心得を学び、その心を自分の軸にするように稽古をしている。
もう一歩だけ、
苦しいときのあと一歩
その気持ち、どうやって振り絞っていますか?
私は、自分を騙すようにしています。
素の私はとっても自堕落でやる気のない人間です。
あと一歩!という目標に「いいじゃん、そんなに頑張らなくて」という反応を絶対にします。
なので、私はそんな素の自分を騙して頑張らせるんです。
たとえば、新しいシューズを買ってあげるし頑張ってみな?とか、
机の上を片付けてからやってみな?とか、
紅茶飲んだらうまくいくよ、やってみて?とか、
図書館行けば超集中できるよ!とか、
スマホでテレビ観ながら走るのはどう?とか、
自堕落な自分のために色々とやる気の出る方法を考えてあげて、やさしーく言ってあげます。
ダメなときも多いです。
けど、頑張ってくれるときもあります。
そんなときは頑張った素の自分を沢山褒めてあげます。
すごい、できたじゃん、天才だね。
これ、家族に報告してみなよ!とか、
めっちゃ疲れたよね、パフェ食べに行っていいよ。とか、
頑張ったこと、手帳に記録しよ、ほら見て、今週の貴方はこんなに頑張った!すごね。本当に頑張ってるね!とか。
そうやって、素の自分をうまく煽てながら育てていく。
偉そうなことを言いますが、
素の自分のダメなところも、頑張った偉い自分も
分かってあげられるのは結局自分だけだと思う。
素の自分に呑まれないように、あと一歩、あと一歩、と励ましてあげれば私は頑張ってくれます。
大切なのは、私を騙す、優しさと強かさです。
見知らぬ街
地元に住む私は、正直に言うと
家と職場の往復しかしていない。
そんな私が平日に仕事を休んで東京の街に出掛けた。
新幹線で東京駅につき、山手線に乗り換える。
地方から出てきた人でごった返していた場所から
どんどんと離れていく。
平日の昼なのに電車の外には沢山の人がいることに驚いた。
みんな仕事中なのかな?
仕事終わりなのかな?
お休みの日なのかな?
私のような旅行者なのかな?
目の前を歩く一人一人に思いを馳せる。
旅行者か旅行者じゃないかは、荷物を見れば分かるもので、一人一人を観察すれば、その人が東京に住む人だということも分かってくる。
ふと目にとまったのは小さな肩カバンをかけた男の人。
疲れた顔をしていた。
それはまさに私が仕事から帰るときの顔だと思った。
早く家に行きたいのか、少し足早にJRからメトロに向かって歩いていた。
このあとスーパーによって帰るのかな?
しっかり働いたあとの疲れた顔の中にも、このあとの生活を取り仕切るための表情がみえた。
その横を歩く女性は警戒心のないようすで、勝手知ったる道という足取りだった。目的地に向かう過程のつかの間のまの抜けたような様子に見えた。
それぞれがそれぞれの人生のために歩いていることを私は感じた。
まるで東京に来て、壮大な物語を外から鑑賞しているような錯覚に陥った。
『人の数だけ人生がある。』
私はなんてちっぽけな存在だろう、
なぜだか知らない街に来てつくづくとそう思った。