真夏の記憶
小学生のとき毎日毎日、学校のプールに遊びに行ったこと。
服の下に水着を着て出掛けたのに、着替えのパンツを忘れてきて途方にくれたこと。
いつもは見ない昼ドラや今はないタモリさんの笑っていいとも!を観ていたこと。
夏の盆踊り大会のために夜、公民館に練習に行ったこと。
朝はラジオ体操のあとに、大縄大会の練習したこと。
近所の大学のサマーチャレンジに参加して、種を育てたこと。
子ども会のサマーキャンプに参加したこと。
思い出すと沢山の記憶がある。
いつもは思い出さないから、お題ありがとう。
こぼれたアイスクリーム
笑いが止まらなかった。
ジブリ映画「ハウルの動く城」をご存知だろうか?
荒れ地の魔女が階段を一歩一歩と上がる度に、姿が溶けて、身体中から汗が染み出てくるシーン。
あれと一緒だった。
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100円高いソフトクリームを食べた。
100円高いのには理由があって、コーン部分がラング・ド・シャでできている。
クリミアソフトというらしい。
ソフトクリームも北海道ミルクを使っているらしく、ちょっと高くてもそれを選んだ。
だって、2時間も運転をしたのだ。
琵琶湖の見える眺めのよいサービスエリアで残り3時間の運転のためにちょっとくらい贅沢をしたっていいじゃないか。
この贅沢は本当に贅沢だったのだろうか?
季節は真夏。太陽はギンギンと熱を持ってくる。
店員さんから手渡された瞬間からソフトクリームの輪郭がぼやけ始める。
おぉ、表面がじわっと溶け始めている。
あいにく、外だとギンギンの太陽に溶けるスピードが上がってしまう。涼しい車の中へと駆け込んだ。
車の中に入った途端、なんということだろう。
コーン代わりのラング・ド・シャの表面までソフトクリームが垂れ始める。
慌ててペロペロとラング・ド・シャをなめ始める。
何かがおかしい!
異変に家族の方が先に気がついた。
「これ、垂れてるんじゃない。
ラング・ド・シャから染み出てる。」
え?
よく観察すると、家族のいう通りだった。
ラング・ド・シャの表面の小さな穴からソフトクリームが液体となって染み出ている。
次から次から流れ出す。
笑いが止まらなかった。
これはあれだ。
ジブリ映画「ハウルの動く城」をご存知だろうか?
荒れ地の魔女が階段を一歩一歩と上がる度に、姿が溶けて、身体中から汗が染み出てくるシーン。
あれと一緒だった。
笑いが止まらなかった。
本当はゆっくりと北海道ミルクを味わいながら食べたかったが、溶けるスピードに負けじとあっという間にかぶり付いて食べきった。
本当に一瞬で食べて、サービスエリアを出発することになった。
琵琶湖の美しい風景をみる余裕もなかったとさ。
やさしさなんて
本当にある?
義務感じゃないのそれ?
自分のためじゃないのそれ?
本当は関わりたくないんでしょ?
巻き込まれたくないよね。
けど、隣にいてくれてありがとう。
風を感じて
リレーの応援に行くために、隣の県まで車を走らせた。
3年生にとってはこの大会が引退試合になる。
3年間の地味な練習の積み重ねの成果をしっかり出したいという想いでこの地を踏んだのだと想像した。
私自身も中学時代は陸上をしていた。
していた、というのも恥ずかしい。
頑張っていたのは入部して半年だけで、あとは地味な練習のツラさにサボることばかり考えていた。
その成果にベストタイムは1年生の秋以降塗り替えられていない。
さすがに、3年生の引退時にもらったこれまでの記録をまとめた一覧を見て自分を恥じた。
だからこそ、目の前にいる3年生がこの地に立つことの凄さが分かる。
8月のこの時期まで引退していないということは、地味な練習をしっかりやり込んできた証拠だ。
飽きずに、ちゃんと続け人たちだ。
素直にすごい人たちだなと思った。
そのすごさを見たくて、親でもないのに車を2時間半も走らせた。
リレーに出る1人が言った。
「正直、ここまで来ると思わなかった。」と。
「◯◯のおかげ」と2走を走るエースの名前を呼んだ。
私は目頭が熱くなる思いがした。
結果は予選敗退だった。
決勝に行けずに引退を向かえた選手たちは無言だった。
笑顔もなければ、反省もなく、涙もない。
「引退か。」と呟いた。
当たり前のように走っていた。
毎日、毎日
目の前に道があるのが当たり前で、この道さえなければ休めるのに、と何度思ったことか。
隣には仲間がいて、一緒に風を感じながら走っていた。
引退というのは、その当たり前が終わるということだ。
それを初めて思い知った。
「もう◯◯とは走れないってことか。」
そんなことすら、終わってみないと気付かなかった。
引退したら、一緒に走る道が目の前から消えるということだ。
残りの半年、毎日学校出会うのに、もう一緒に走ることはない。
彼女たちがそんな感傷に浸っていたかはわからない。
それくらい淡々としていた。
着替えて、ご飯を食べて、ボロボロのスパイクを手入れして、テントを畳んで帰っていった。
走ったのは1分にも満たない時間で、それ以外の時間の方が圧倒的に長かった。
私は青春の1ページ見た。
彼女たちが、学生時代を振り返れば、今日の走りがよき思い出として思い出されて胸がいっぱいになるだろう。
だけど、よき思い出なんてほんの一瞬で、それ以外の時間の方が圧倒的に長い。
青春とは、なんと泥臭い時間の流れか、と思い知った。
そんな泥臭い時間を淡々と過ごしている彼女たちの尊さに、私はただただ感動した。
夢じゃない
心の羅針盤
羅針盤は道に迷ったときに方位を調べるときに使うものだ。
羅針盤があったとしても、目的地がなければ役には立たない。
私にとって迷ったときに頼るのはいつも
カッコいいか、どうか、だ。
カッコよくありたい。
カッコいい人生を歩みたい。
正しくありたい。
正統派な主人公でありたい。
だから、迷うといつも大変な道を選ぶ。
それを乗り越えるのがカッコいいかからだ。
迷うといつも自分に出来そうな道を選ぶ。
出来ないことで不恰好になりたくないからだ。
そうやってバランスよくカッコよさを見つけてこれまで歩いてきた。