波音に耳を澄まして
朝の海を知っているだろうか?
小学生の頃、夏休みに祖母の家に泊まり、朝早く犬の散歩のために近くの海岸へ行った。
朝の海はものすごく静かで波音が立体感をもって耳に迫ってくる。
はっきり言って怖い。
折角の散歩なので、犬に海を見せたいこともあって波打ち際まで近づいた。
近づけば近づくほど、波音から物凄い地球のエネルギーを感じる。
海に飲み込まれてしまいそうで、体の底から震えだしてしまいそうなほどだった。
こんなに絶え間なく波音が迫ってくるのに、犬は知らん顔で波に近づいていく。
おい、波にさらわれたらどうする?
私は泳げるけど、泳いで助けに行くほどの勇気はないよ?
「_ねぇ、こっちにおいで」
リードをひいた。
犬は構わずに波打ち際を平行に歩いていく。
私は引っ張られるように歩いた。
なんでそんなに怖くないの?
海の奥まで行ったら、帰ってこれるか分からない。
海はずっとずっと向こうまでつながっている。
想像できないほど、大きい。
波音に耳を澄ませば、その途方もない大きなエネルギーを感じて震え出す。
青い風
人生において風が吹くような感情にはあまりならない。
風が吹くような気持ちってどんなだろう?
何かをやり遂げた達成感?
人助けをした充実感?
思う通りに事がすすむ満足感?
立ちはだかる壁に立ち向かうときの
肩で風を切るようなヒーロー感?
そんな感情はあったのかもしれないが、
忘れてしまったなぁー。
人生は風を感じる間もなくすすんでいく。
遠くへ行きたい
遠くとは、どこを中心にして遠くと言うのだろうか?
帰る場所があるからこそ
遠くへ行きたいと思える。人は外へ飛び出せる。
失敗しても尻尾を巻いて戻れる場所があるからだ。
帰る場所のない人間にはそもそも遠くという概念が生まれない。
自分の居場所を見つけることで精一杯だ。
と誰かがそんなようなことを言っていた。
だから、遠くへ行きたい、は私たちの恵まれた発想なのだと思う。
イスラエルのユダヤ人のことや難民キャンプで生まれた人のことを思うと、たまらない気持ちになる。
クリスタル
クリスタルといえば中学生のときに読んだファンタジー小説の「セブンスタワー」を思い出す。
サンストーンという光る石の所持によるカースト制度がある世界だ。
主人公の少年タルは父を亡くし、サンストーンを次々と失くす。ついにサンストーンの窃盗を企てるも、うまく行かず、サンストーンのない暗闇の世界で彷徨ってしまう。
そこで出会うのが、もののけ姫のようにたくましいミラという少女だ。
タルは温室育ちのボンボンのような設定だが、ミラに影響され、たくましく自分の運命と向き合い変わっていく。
当時の私はミラの野生の感に深く感動して影響を受けた。
暗闇の世界でどのように昼と夜を把握しているのだろうか?
ミラは自分の心臓の鼓動を数えて時間を感じている。
「慣れれば、できるようになるよ」と軽くタルにアドバイスしていたのが衝撃的だった。
数々の修羅場を乗り越えてきた野生児の強さを感じさせた。
当時の私も自分の心拍数を数えてみたりしたが、1分ももたなかった。どう訓練しても心拍数から時を図ることなどできなさそうで、自分の未熟さに絶望したりするピュアな子どもだった。
夏の匂い
夏が過ぎー、風あざみ、だれの憧れに、さまよう
青空にのこされた、私の心は夏模様
井上陽水の「少年時代」
小学校5年生のとき、毎日聴いた曲。
隣のクラスの担任が変わった人で、毎日自分のクラスの児童たちに歌わせていた。
朝礼と、終礼と、私は一日に2回、年間200日、毎日隣のクラスの少年時代を聴いていた。
その担任のピアノ伴奏は1.2倍速のスピードで、ときどき怒号が飛ぶ。
少年時代でクラスの絆を高めようとしていたのだと思う。
冬になる頃には誰もが真剣に、慣れたように歌いこなしていた。
あのクラスの児童には忘れられない曲だろう。
青春そのものかもしれない。
ところで、風あざみってなんだろう?