とある人の真夜中の日記
お題『真夜中』
西田 悠太は、この夜なかなか寝付けず、ベランダに出て大きく息を吸い込んだ。
真夜中の空気はしんみりとしていて気持ちが良い。人々や物事の喧騒で汚れた空気が浄化されたかのような、そんな感じだった。この空気を吸うと、頭の中まで浄化されそう。
浄化されるとどうなるのだろうか。子供の頃のような、純粋な心を持つようになるのだろうか。それなら夜の間だけ、ほんの少しでも、社会の喧騒に揉まれない子供のようになってみたいものだ。
そんなこと考えていると、なんだか楽しくなってきた。あぁ、気持ちが楽だ。こうなれば歌でも歌いたくなってくる。
この時間はみんな寝てるし、歌っても良いだろう。そう思い、好きな曲を歌った。
するとさらに楽しくなり、何曲も歌っていた。大きい声で。純粋に楽しい気持ちになったのは久しぶりな気がする。あぁ、大人というのは、自由がないものだ。
数十分くらい経った頃だろうか、真っ暗な空を一つの目映い光が光った。一等星くらいの明るさだ。どこの星座の星か、あるいは流れ星か、はたまた、飛行機とかか。
しかし、恐らく、どれにも当てはまらない。なぜなら動きが不規則だからだ。上に行ったり、下に行ったり、斜めに動いては左右に揺れて…。さらに、明るさも強くなったり弱くなったりしている。これは一体何の光だ。
暫くするとそれはぴたりと止まった。直感で、気のせいかは分からないが、直感でこちらの存在に気づいたような気がした。目が合ってる、そんな感じ。
と思ったら、それはみるみる大きくなった。いや、こちらに接近してきているのであった。
それが降りてきた時は、それが7メートルくらいの大きさだと分かった。これは未確認飛行物体だ。こんな大きな乗り物、さぞや大きい宇宙人が出てくるのかと思いきや、出てきたのは10cm前後の宇宙人だった。
見た目は人型で二足歩行だが、全身をフード付きのロングパーカーで覆っている。
宇宙人はフードを取り、話しかけてきた。
「君が、私たちを呼んだのかい?」
まず、日本語を喋れることに驚きだった。いきなりの未知との遭遇に腰を抜かし、上手く声が出なかった。何と答えれば良いか分からず、床を這いずって少しでも逃げたかった。
「地球人さん!こんばんは!」
さっきのとは違う声が聞こえた。振り返ると、宇宙人の後ろに二人さらに小さな宇宙人がいた。
「ねえ地球人さん、さっきのアーッて言ってたやつ、綺麗だったよ!」
「ねぇねぇ、もっと聞きたいからさ、あれやって!アーッて言って!」
「…ぇえ?」
さっぱり意味が分からなかった。そんなことより部屋の外に出たかった。
「こら、お前たち、戻って寝とくんだよ」宇宙人は二人の小さな宇宙人に注意した。
「はぁい」二人の小さな宇宙人は乗り物に戻っていった。
「ごめんよ、今のひとたち、君の歌声が物凄く気に入ったみたいでね」
宇宙人は健気に笑った。
「は、はぁ…」
「ところで…」宇宙人は真面目な表情になった。
「はい…?」
「君は…私たちを呼んだのかな?」
さっきの質問である。少しずつ落ち着きを取り戻したので、しっかりと声を出して答えた。
「いいや…いいえ、呼んでません」
「ほう…?それは本当?」
「え、えぇ…」
「本当に本当?」
「ええ、呼んでません」
「そうか…じゃあ残念だな」宇宙人は少し悲しげだ。
交流がしたかったのだろうか?それなら、少し怖いけど、悪いひとではなさそうだし、ちょっと面白そうだしお話してもいいけどな?この時少しだけ心に余裕ができたのだ。
だけど宇宙人の目的は交流ではないらしい。宇宙人は乗り物に乗ろうとした。
入り口に片足踏み入れたところで宇宙人は振り返った。
「しかし、君が私の姿が見えるなんて不思議だね。武田さんだと思ったわ」
「武田…?」
「おっとごめん。彼は私たちのお友達。でも、君も、私たちと話せる素質があるのかもね。それではまた」
「あっ…」呼び止めようとしたが、同時に乗り物は去って行ってしまった。目映い光はみるみる小さくなり、夜空の彼方へ消えてしまった。
不思議な体験だった。彼らは一体何者なのだろうか。自分には宇宙人を呼べる素質があるのだろうか?何となく彼らと仲良くなってみたい、そう思う西田 悠太であった。
おうち時間でやりたいこと
おうちは自由だ!だからやりたいことは自由に思う存分できる!おうちとはそういう場所だ。
だから、やりたいことは数えきれない。
・料理
色んな国のちょっと変わった料理を作って食べてみたい。カオニャオマムアン、クネドリーキ、ガァット、帰れ鶏肉へ!…
聞いたことのない料理を作って食べて、海外旅行気分を味わってみたい。
・読書
活字に強くなりたい。本の世界はとても広くて、読者を色んな方面で賢くしてくれる。
私が好きなのはファンタジーやSFだが、色んなジャンルの本を読んでみたい。
・イラスト
昔絵をよく描いていたが、ここ十年は描いていない。そのため、絵のレベルはへなちょこなままだ。だから、絵の勉強をして上手くなりたい。
・勉強
これはやりたくないことのひとつになってしまうが、仕事の勉強をしなければならない。私が言うのもなんだが、人生は一生勉強だ。勉強は嫌いな方だが、やらなければレベルアップできない、だから勉強を頑張る。
だが、資格の勉強はしてみたい。資格取得できれば今後だいぶ有利になるからだ。取得しなくても、知識は身に付くので、全く無駄ではない。風変わりな資格も取得したいと思うのは私だけか。
他にも、色々あるが、これらを全部やるとなると、人生が短く感じる。楽しいことをやってると時間は短く感じるもの。
たくさんある時間を何もせずぼんやりと過ごすのがいかに勿体無いことかよく分かる。
だから、後回しにせず今実行するのだ!
「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。
その人のことを思い浮かべて、言葉を綴ってみて。
・大分長い題名だったので、珍しいと思い、書いてみた。
・さて、「ありがとう」と伝えたい人で真っ先に思い浮かぶのは、職場の同僚だ。
同僚というより、私が入るちょっと前から居たのでちょっとだけ先輩になるし、年上でもあるのだが、その同僚にはかなりお世話になった。
私はあまり喋れない性格なのだが、そんな私にも気さくに話しかけ、ご飯にも連れていってくた。美味しい店も教えてくれた。休憩時間や勤務中も、少し不器用だが、私のことを気にかけてくれた。
そして、私に投資のこととか副業のこととかポイ活とかマッチングアプリとか、生活を豊かにする色んな知識を教えてくれた。
それなのに、ある言葉に私は怒って冷たく突き放してしまった。自分のくだらないプライドか、弱い心がそうさせたのだ。
それでも彼は全く気にしていないようで、いつも通りに私に話しかけてくれた。
正直、こういう人はなかなかいないのではないか、そう思っている。
彼は私と違う世界で生きてきており、言うことも考え方も行動も破天荒でとんちんかんだと言われているが、私は彼を凄いと思うし、有難いとも思っている。彼に会えたのは幸運だとさえ思う。
私は恥ずかしがりやなのでなかなか「ありがとう」とは言えないが、ここでなら言える。
ありがとう!いつも気にかけてくれて支えてくれて、今の私がある!君のおかげで世界観が変わって色々やってみたくなったし、緊張も和らいだ!本当にありがとう!!
小説 『箱庭の楽園』
*少し長いです。
昔から続けている趣味がある。
それは、楽園のような箱庭を作って、自分が作った生命体を住まわせるというもの。
幼い頃自分が想像した創作キャラを、現実世界でふれあいたくて、愛でたくて創造したのだ。そして、その現実世界へ呼び寄せた創作キャラたちを、天敵や災害、食料不足など、不快なものが一切ない、何不自由ない楽園のような箱庭に住まわせたいと思ったのだ。
計画は順調で、箱庭の環境はバッチリ。キャラたちも増え、仲良さそうに暮らしている。幸せそうで何より。こちらも見ていて幸せ。
そんなある日、いつものように朝起きてすぐに箱庭を覗いた。
何ということだ、創作キャラたちが大分消えてる…。居るのは数名だけ。
どうりで静かだと思った。昨日まではいつも通りみんないたのに。
みんなで遠足でも行ってるのだろうか、最初はそう思った。でも、夕方、夜になっても帰ってくることはなかった。
残った数名にきいても、全員知らないと言う。
どこへ行ったのだろう…。
急な展開に、愕然とした。
❇️ ❇️ ❇️
創作キャラたちは、足早に元いた場所から離れていた。
よくよく見るとみんな解放されたと言わんばかりの笑顔。
やがてそれぞれ自分の好きな場所に行き、創作キャラたちはばらばらになっていった。
創作キャラの一人、ギラはとある人間の家の軒下に辿り着き、そこに住む小人たちと仲良くなった。
小人の一人がギラにきいてきた。
どうして故郷を出たのか?と。
ギラは少し黙り、重い口を開けた。
何不自由ない園で暮らしていたが、過剰に資源を取る奴らが出てきて争うようになったと。残りの人たちは貧困になって資源を毎日取り合っていたと。資源を多く持つ奴らはどんどん力がついて園を治めようとか言い出したらしい。そうなればますます自由に暮らせなくなるため、そうなる前に一致団結してみんなで逃げたのだという。
「あの園は楽園じゃない。今いるこの場所みたいに、気の合う仲間たちと資源を分け合って、みんな一緒に幸せに暮らせる場所こそが、本当の意味での楽園だよ」
ギラは何不自由ない幸せを噛みしめていた。逃げた他の仲間も、今同じように幸せを感じながら生きているのだった。
生きる意味について
この話については広すぎて、深すぎて、話が尽きることはない。
・まず、好きなことがあること自体が生きる意味である。
人は誰しも好きなものや好きなことが絶対にある。好きなものや好きなことがないとしても、それは思い出せないだけだ。人の言うことや世間の風潮に流され、好きと思ってはいけないと思い込み、忘れてしまっているのだ。
でも、落ち着いて紙にひとつずつ楽しそうなことを書いていれば、必ず好きなものや好きなことは思い出せるし、生きることも楽しくなる。そしてそれが生き甲斐、生きる意味へと繋がる。
・また、スピリチュアルな話になるが、生きるというのは、魂を成長させるためという考えがある。
なんでも、宇宙を作るための経験と知識を積むために生きているのだとか。あの世で500年かからないと得られない経験や知識が、生きていることで1年で得られるらしい。
本当かどうかは分からないが、本当だとしたら、これほど貴重な経験をさせてもらえているのかと感謝したくなる。限りのある人生をどう生きるか考えて行動する難しさの理由はそれかもしれない。
他にも色々あるが、生きる意味は、それだけたくさんあるということである。