『現実逃避』などと言われて世の人々から遠巻きにされてしまった「現実」が寂しそうに、涙目でこちらを見ていたのだ。
しょうがないな。僕は手招きをし、すると「現実」がおずおずと僕の傍らにまで近寄ってきたので、僕は「ほら」とスーパーで買ってきたばかりの安いドーナッツを一つ、手渡してやった。
「……おいしい」
ドーナッツを頬張り、そうポツリと呟いた「現実」の頭を、僕はそっと撫でてやる。自分だって、こいつのことを避けてたくせに……いい人ぶってるよな。
「ありがとっ」
「現実」の目をまっすぐに見られない僕は、「現実」の声だけを聞き、その声が嬉しそうなことに安堵する。
「……少しだけ。ちょっとそこまで、歩くか?」
「いいの?」
差し出した僕の手に、「現実」が恐る恐る手を伸ばし──僕らは、手を繋いで歩き出した。
春先の朧な月がその光で、遠巻きに僕らを照らしている。
そして作り出された、僕らの足元から伸びる長いカゲを、追いかけるように踏みながら。僕らはなにも話さず、ゆっくりと歩いていった。
そう、こうやって……穏やかに、寄り添うようにだって、僕らは本当は、いられるはずなのだ。
たとえそれが、臆病な僕がまたその手を離してしまうまでの、わずかな時間になるのだとしても──。
「……また。ドーナッツ、持ってくる」
「うん」
僕が手を離しても「現実」は、それに逆らうような様子も見せず。
そんな「現実」に対して僕は、次のドーナッツの約束しか、出来なかったのだった。
「……いいか、落ち着いて聞いてくれ。『君は今』恐らく、冷静に物を考えられない状態にある。そうじゃなければ、俺なんかにこんな、」
「えー? ワタシはいたって冷静ですよー? だってー、ここが夢の中なんだってことくらい、すぐにわかりましたから。にしてもなんですか、この至近距離は? いくらワタシの夢だからって、自分ちのベッドの上で、職場の上司にお姫様抱っこされてるとか、あり得ない設定すぎてちょーウケるんですけどー? こんなに顔が近くて、あったかくてフワフワしちゃって、ワタシの願望そのままに課長の顔面がそこにあるのなら! ワタシとしては、目の前にあるその山を登るしかないですよねー? ウフフッ」
「……つまり。何故俺の顔にキスをしたのか、それは俺の顔が目の前にあったから……と? もしこれが俺じゃなかったら、こんなことはしなかったと、そういうことなのか? 」
「えー? そんなの、当たり前じゃないですか! ……ワタシが無差別にキスするような人間だとでも? そんなのひどい、ワタシの夢の中の課長なのにっ……ううっ」
「ええっ? いや違う、ええと……俺が悪かった、だから泣きやんでくれ」
「じゃあ……ぎゅーって、してくれませんか?」
「……は?」
「だってこんな夢は、そう都合よく見れるモンじゃないですし? わぁ、ヒゲでほっぺがチクチクするなんてリアルすぎ、フフフッ」
「っ、抱きついてからの頬ずり、あの園山さんが……? まぁでも、きっと明日には全部忘れて……あークソ! なんだよ、この可愛い生き物は?!」
「わぁ、課長のぎゅーだぁっ。うれしいなーっ……やだ、まだ目、覚ましたくない……ぐぅ」
「っっ! ……え、寝た? 寝たのか? ……寝てるのに腕が外せない、せめて添い寝状態に……よい、しょっと。……で? このまま朝まで、か……」
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「……いいか、園山さん。君は今恐らく、冷静に物を考えられない状態にある、だから土下座なんかやめて、」
「申し訳、ありませんでしたーーー! 酔っ払って自力で帰れなくて、上司に部屋まで送らせて、しかも朝まで介抱させてしまっただなんて、ああぁあーもうもう、もうっ!!」
「……それで? 君はどこまで覚えてるんだ?」
「え? ええっと……課長と一緒に乗り込んだタクシーから、自力で降りられなくて、それで……あれ? え、待って。あの、お姫様抱っこの夢は、まさか……?」
「口にしたセリフなんかは、覚えてるか?」
「っ、そうですね……残念ながらお酒で記憶を無くさないタチなので、順を追って思い出せば……」
「……山に登る理由を、尋ねても?」
「山に登る理由は、そこに山があるから……あっ」
「よかった、覚えてるんだな」
「あっ、いえ? えっとその、あの、」
「再現してみよう。俺の顔面を園山さんの目の前に差し出したら、どうなるか」
「かっ課長? ……きゃあっ?! 待ってくださいっ、課長は今恐らく、冷静に物を考えられない状態に、」
「そんな状態に誰がしたと思ってる、誰が!」
この2月の空には、さっきまでみたいな、すぐにでも泣き出しそうな『物憂げな空』のまま、そのままでいてほしかったのだ。
けれど。空は存外早々に雲を散らしてみせ、だけど遠くの山々が見えない程度には曇ったまま、所在なく夕日のオレンジを纏って、表情をわずかに緩めるだけの笑みを見せてきたから、ボクはちょっと裏切られたような気持ちになった。
もしも空から一粒でも水滴が落ちてきたなら、ボクはきっと「……ほら。キミはそうやってさ、簡単に泣くよね」とか、そんな言葉を平気で投げつけて、そしてやっぱり、キミに裏切られたような気持ちになったのだろう。
無理して笑ってみせるキミも、泣いてしまうキミも、どちらも許せない──笑うことも、泣いてしまうことも出来ないまま、この風の吹かない場所にボクと、ずっと一緒にいてくれたらよかったのに。
「でもね。ボクたちは、ずっとそのままではいられないのさ。どんな場所にだっていつかは風が通り、時は過ぎる──良くも悪くも、ね?」
……ボクは。
裏切り者の言葉なんか、信じない。
どこにも行けないボクのままでいい、淋しくなんかないのだから。
『小さな命』と表現されるような、自力では存在し得ず他の誰かの助けがなくては生き延びられない命を、己の人生に踏み込ませるほどの強さも勇気もなく、だがそれでも世の小さな命の全てが先の未来を迎えられたらと思い願う、所詮は偽善だと言われたとしても。
検索して調べて例えば『Love you』と「Lovin'you」ではどうやら意味が違うらしいとかそういうことを知ったところで「ふーん」で済ませてしまう程度に縁遠い異国の言葉でしかなくけれど彼らが「Love」を日常から上手に贈り合い与え合うような使い方をしてるのは素敵なことだしすごいことだよなぁと思うでもやっぱりマネは出来ないかなぁ内気で奥ゆかしいジャパニーズとしては!