キッチンにまで聞こえる『遠い鐘の音』だけでも、夫が居間でなんの番組を観ているのかわかる。手早く蕎麦を茹で上げながら私は、珍しいこともあるものだ、と思った。
素人が出る番組が苦手なのに、なんで? と首を傾げつつ、かけ蕎麦二つを盆に載せて居間へ。番組はやっぱりNHKののど自慢で、テーブルにはこれまた珍しく、夫がテイクアウトしてきた天ぷらの盛り合わせが鎮座しているのだった。
夫はテレビのリモコンから手を離して箸を取り、私も座りながらエプロンを外して手を合わせる。温かいつゆを口に含んでひと息つき、さて最初は竹輪天かしら、なんて思ったところで夫が言った。
「これ、〇〇市だって」
ああ、そういうこと? 画面には、知らない歌を歌う若い子が映っていて、この子は当然、私がこの〇〇市──故郷を後にしてから生まれた子なんだろう。まさか、誰かの孫だったり? いやいやいや。
「知り合いが出たらすごいわよねー。まぁそこまで小さい市じゃないから、さすがにそれは」
あ、この歌は知ってる。蕎麦つゆに浸した竹輪天を齧って顔を上げると、画面の中で、マイクを持ったオッサンが気持ち良さそうに歌っている。
「同世代だな、このオッサン」
自分を棚に上げて夫が言い、私は「そうねー」と軽く同意して、蕎麦をすする。……そう、その通り、このオッサンは私たちと同世代、って言うか同い年で、私の同級生で一応、元カレ……でも10代の頃だし、いやでもなんでわかっちゃったかなぁ、ちゃんと面影あるんだもん、この歌だって一緒に行ったカラオケでよく歌ってたし、あーもう、なんなの今日は!
「このオッサン。もしかして、同級生じゃない?」
「んー……残念ながら、知らないオッサン」
私はなんとなく嘘をつき、そこで鐘がコーン、カーンと二回鳴り。画面の中でオッサンは膝から崩れ落ちてみせ、画面のこちら側のオッサンは「結構上手かったのに」と言いながら私と一緒に蕎麦をすすり、海老天を齧っている。
そして私は、いつの間にオバサンになっちゃったんだろう……まるで妙な時間旅行の中にいるみたい、せっかくの巨大海老天は、なんだか味がよくわからなかったのだった。
『スノー』
運命の輪に
降る雪は
パウダースノー
音も無く
ふんわりと
真っ白に
たっぷりと
茶色い輪っかは
整然と
並んでそれを
待ちかねる
祝福を
祝福を
すべての輪っかに
すべての子らに
この世のすべての運命に
パウダースノーの
祝福を
運命はもっと
甘くっていい
例えばそれは
ふんだんに
粉糖まぶった
ドーナッツくらい
『夜空を越えて』
夜空を越えて
アプリは繋ぐ
同じ言語を使うって以外
なんの接点もない僕らを
電気信号的運命論だとか
そんな重たい言葉なんか
僕らにまったく関係なく
ただ、単純に
アプリは繋ぐ
夜空を越えて
遥かに遠くの
僕と君と君を
『ぬくもりの記憶』
★作戦報告その1:
自販機でホットの缶コーヒーを買って、コートのポケットにそれを入れてから、「こうすればあったかいだろ?」と彼女の手を握って、諸共にポケットに突っ込んでやった。
が、缶コーヒーが意外に熱すぎたせいで、早々に手があったまってしまい、繋いだ手は早々に解散……ってかそれは、まだ俺にあんま慣れてない彼女が、照れまくってたせいもあるのだが……可愛かったけど……クッソー。
あと、余裕なくて適当に選んだせいで、苦手なブラックを処理する羽目になった。いや、飲まずに捨てるのは、もったいないだろ?
★作戦報告その2:
奴は普段、独り寝だからね。ちょうど寒くなってきたし、一度人肌の心地良さを知っちゃえば、そっからチョロいんじゃね?
ってことで、押しかけ一泊からの、添い寝作戦、決行!
「っあ? 冷てぇよ! お前、体温低すぎ……あーもーしょーがねーなー、毛布もう一枚巻いてやって、ああ、明日は肉食いに行くぞ、どうせロクなモン食ってねぇんだろ? それと湯船は必須……は? シャワーのみの湯船ナシ物件だとぅ? 上等だコラ、ウチの湯船で茹で上げてやるから、泊まる準備してこい!」
……えーと。
オレってそんなに、冷たい男だったの?
まぁでも……作戦成功、かなぁ?
★作戦報告その3:
ふあ〜っ! 「こうすればあったかいだろ?」からの、繋いだ手をポケットにイン! なんて、こんなキュンな状況下でわたしってば……なんで、手汗?!
そろそろ彼と手を繋いだりなんかするかもしれない→いやでも冷え性でヒエヒエな手を握らせて彼に冷たい思いをさせるわけにはいかん→そうだカイロであっためておけばオケ! って作戦だったから、でも事前にあっためすぎた!
あと、この冷え性なカラダの血行が良かったのも計算外、いやーだってもう、隣りに並んでるだけで動悸が……でもさぁ、なにも手汗までかかなくたって!
それで! 「あっ、もうあったまったよね?」って早々に手離しちゃったのって、わたし、感じ悪かったかなっ泣? ってか、もっとずっと繋いでたかったのにー! 手汗のバカーっ!
★作戦報告その4:
奴は普段、独り寝だから。ちょうど寒くなってきたし、一度人肌の心地良さを教えてやれば、そっからチョロいんじゃねえの?
そういう下心があったことは、重々認める。けど実際に触れてみたら、奴のカラダが冷たすぎて……下心以上に、世話を焼きたくなってしまった。
で、それで。半ば強引に奴を、俺んちに同居させてみたんだが。
「ベッドが、冷たい……」
めずらしく奴がまだ帰らない、ベッドの上で。
俺は無意識に奴の、『ぬくもりの記憶』をたどっている。
あんな……俺よりも低体温な男の、温度を。
俺はすっかり、覚えてしまっているのだ。
「案外チョロいな、俺」
ミイラ取りがミイラに、ってヤツ?
あーあ、なんかムカつくから……帰ったらまた、毛布でぐるぐる巻いてやろう。もちろん、その前の風呂は必須……風呂沸かし直すか。
『凍える指先』
凍える指先に温もりを
青白い顔に香りの花を
破れた胸に届く旋律を
鼻歌を口ずさみつつ
淹れたカモミールが
ちゃんと温かいから
ひとりでも
まだ大丈夫
鼻歌を口ずさみつつ
花束と人肌をくれる
誰かしらが無くても