【どこにも書けないこと】
どこにも書けないことをもしもこの日記に記すなら。
そんなタイトルを見かけて私は手に取った。始めはただの、在り来りな物語。そんなことを思ってしまった。読み進めていけばありとあらゆる手で私を困惑させて、誰かの人生について頭をフル回転させ小さい脳みそのキャパシティを全感受性を刺激してくる。もうだめだ、読めない。なんて、そんなことを思うことだってあった。それでも、本を読み慣れない私が。普段日記を書こうとも思わない私が。読み終えて何かに侵されたように日記を書こうとしているんだ。一人の人生があんな風にドラマみたいに描けるなら。私が物語の主人公になれるなら。そう思うならどこにも書けないことを書く勇気はあるか。見る覚悟は出来ているか。
きっと、私にはまだないんだ。だって、このページが半分も行かないうちに書くのを辞めてしまう。まだ、勇気が足りないのならそれは残念、無念、また今度。ここいらで、今日の私のページは終わり。明日は明日の私がきっと書くでしょう。
【心の灯火】
心の灯火が消える前に。そう思って、この文章を書き始めた。この文章を読んでいる人は僕と違う世界の人かもしれない。それとも、僕と同じ世界の人かな。いや、そんなことはどうでも良くて。
「もうすぐいなくなるんだもんな。」
そう、この先決して長くはありません。そんな僕が急に思い立った訳。それは、好きな人がいるからです。いずれ会えなくなるのならば、と。手紙は恥ずかしかったので誰に宛てるわけでもない。そんな文章を綴ろうと思いました。単刀直入に言わせてください。惚気になるしそうでないかもしれない。
「大好きだ。」
愛していた、そんなふうに思ったんです。初めて会った時はなんか、人に気ばっか使って自分のことおかまいなしのお人好しで身を滅ぼす馬鹿なヤツそんなふうに思ってました。
「我ながら、酷いなこれ。」
今も思い出しては笑いが込み上げてくるほどだ。そんな僕だって周りの目ばかり気にしていたのに。一緒にいる時間が長くなってくるにつれてこの人のこういうところ素敵だなって部分が増えたんです。一部を抜粋していくと笑顔が可愛い、歌が上手い、誰かに寄り添える、一緒にいる人と最高に楽しめる、話が面白い、とか。とにかく、素敵な人なんです。僕がいなくなってしまう前に。誰かに伝えてみたかった。なんでそれを想い人に伝えないかってのはやっぱり恥ずかしさが勝ってしまうんですよね。
「僕なんて、柄でもない。」
あえて、丁寧な口調で書いていますが書いてる時に何度も手は震えるし普段こんな口調は使わないから違和感ばかり。字ってちゃんと書こうとするとこんなに震えるんだな、って字を書く人たちを尊敬するレベルだ。元から字が汚い、なんて僕の話は置いておいて。この文章を読んでいる人も今大切にしたい人や好きな人がいるのなら真っ当に突っ走ってください。僕はそれが出来なかった。それで、今たくさんたくさん後悔して結局天罰だ。だから、伝えて言えないままにならないで。
「紙、滲まないようにしなきゃな。」
これを読んだ人と僕だけの秘密。僕はあの人が好きで大切でちゃんと愛してあげたかった。言えない僕の後悔を他の誰かが知る必要は無い、だからちゃんと好きになって。
「お邪魔しまーす!」
「あれ、もうそんな時間?」
俺はそっと文章を閉まって家の鍵を閉めた。
【心の健康】
夢を作り出す職人は決して夢だらけの生活ではなかった。むしろ、人に夢を与えているだけで自身のことにはまるで関心がない。だから、私は心の健康を損ねてしまったんだ。
「とうとう私は正常になったぞ!」
ここに来て何度目かの朝。四角い箱に響く自分の声は思ったより出ていて驚きつつも感嘆はそう鎮まりやしない。深夜に叫ばなかっただけ良しとして欲しい。まぁ、隣の部屋の音なんてほぼ聞こえない。職員に聞こえるくらいだ。
「出ましたよ、数ヶ月に一度の発作。」
今度は本当の本当に本当なんだ。正常になった。ようやく、まともに狂い始めたんだ。
「今度は本当さ。いつも通りテストでも何でもするといい。」
私が叫んだ日。その日に毎回テストを行う。ここから退院するためのテストだ。けれど、ここは自分の意思で出ようと思えばいつでも出られるところなんだ。病院に近しい異常者が自ら望んで入る施設。
「ご自身のお名前は?」
「そんなの答える必要あるかい?」
答えは否、私には答える必要がある。だが、狂った私には答える必要はない。住んでいた場所も何故ここに来たかも今の私にはどうでもいい事だ。
「狂ってると思う?」
「えぇ、十分ね。いつでも、出られたはずなのに。貴方ならいつでも自分を偽れたはずだ。」
その通り。いつでもここを出ることだって出来た。偽りなんて面白くは無い。だから、みんなに夢を見せて楽しんだ。自分のことがどうでも良くなるくらいには没頭していた。しすぎていた。自らの心の健康を損ねるくらいには。正常になるなんて私らしくは無い。
「また、夢を見せる職に戻るおつもりなんですか?」
「そうだと言ったらどうするんだい。君は気にする必要もないんだよ?」
この人は気にする必要もない。私のことを好いていなければの話。少しでも好意を持っているのなら気にするのも必然ではある。目で追いたくなった?
「何故か、変な人だなって気になるんですよ。ここにいるときはとても真面目で誠実で好い人に見えたので。」
真面目で誠実で好い人、好意的な証らしい。この人は私の狂い方を知らない。だから、好い人に見えたんだ。
「それならば君の見たことない私、つまり狂って見せようか?」
「きっと、狂っても貴方は貴方だ。自分のことに興味ない人を楽しませることに必死な好い人。」
この人も狂っているんだろう。そんなことは常々思う。ここにいる異常者たちと同じ。ここの職員だって自ら望んで来る場所だ。むしろ、そうでなくては来れない場所。自らの意思でやめれるし自らの意思で続けられる。ただ、ここの職員たちは人と話したかったり向こうでは生きづらい人たちも集まるからこの人はそっちなのかもしれない。
「私のこと考えていたんですか、両想いと捉えてしまいますよ?」
「そう思いたいならそう思うといいさ。君は綺麗で魅力的。それに相違はない。」
自分の容姿を褒められて照れるこの人も悪くは無い。私も若くて聡明。狂っているところ以外は人がたくさん周りにいてもおかしくはない種類の人間だ。
「君は物好きなんだな。」
「そうですかね、狂ってる人に言われたくは無いですけど。とりあえず、退院出来るみたいですよ。」
淡々とテストの報告を終えて少しだけ切なそうな色のついた顔を見せたこの人を見て私がしたことは怒られても仕方ないのかもしれない。ゆっくりと立ち近づいた。そして、この人の腰に手を添え腕を回し唇に自分の唇を重ね数秒名残惜しんでから離した。驚いて腰を抜かした様子だったのでやはり腰を支えておいてよかった。
「手、案外早いんですね。」
「嫌いだったかな?」
表情を変えないこの人の顔はとても物欲しそうにしていたのでもう一度唇を重ねてみる。今度は舌と唾液を絡めるように。壁際に寄ってこの人が倒れないように細心の注意を払う。なんだ、ここにいる間に忘れたかと思ったが女性の扱い方もわりと覚えているじゃないか。さすが、狂った好い人だ。
「もう一日だけ、ここにいるよ。君、今日非番だけど早く寝る気はないんだろう?」
「ダメですか?」
そんなことないという顔を見せてからこの人の頭に手を添え愛撫する。今日の夜の密会の約束をしてから何事も無かったかのように自分の部屋へ戻って何をしようかと考える。案外今日の夜を楽しみにして浮かれているらしい。いつもかけている音楽にいつも以上に気分が乗っている気がする。とりあえず自分を落ち着けるために少しだけ眠るとしよう。今日やろうと思っていたことは既に済ませてしまっていた。
「浮かれているな。」
気づけば日が落ちかけていた。時間にして3時間くらいは寝ていたんだろう。音楽を変えて夕食をとる。片付けをしている間も考えていることはあの人はいつここへ来るんだろうか、そんなことばかり。そう思っているとドアを3回ノックしてくる音が聞こえた。
「随分早かったんだね。」
「そうですか?」
心を踊らせているように見えるこの人を部屋に招き入れドアをそっと閉めた。
「いや、そうなのかも。でも、いいじゃないですか。外はもう暗いんですから。」
少しだけ恥ずかしそうに言うこの人に知らないフリをしながら笑ってみせる。釣られて彼女が笑うからついまた唇を重ねてしまった。
「そうだな、私だって浮かれているし君もそうであって欲しいと思ってしまっている。」
頷く彼女の手を引いてついこないだまで私が枕を濡らしながら寝ていたベッドへ引き寄せる。心の健康を保つ為なんて言い訳なのかもしれない。明かりを弱くしてからこの人の身体に手をかける。初めは服に、少しだけ人より冷たい手に彼女が反応するのを見て面白くなってしまう。下着に手をかけると彼女が私を抱きしめた。
「やっぱり手が早い人じゃないですか。」
「嫌だったかい?」
少しだけ沈黙になったかと思えばすぐに吐息混じりの声で返される。
「嫌だったら今ここに来てませんよ。」
「それもそうか。」
少しだけ笑ってから彼女の耳に触れてみる。身体を跳ねさせた彼女を見て息を吹きかける。
「揶揄ってるんですか?」
「可愛がってるんだよ。」
歪んだ愛情、と不貞腐れたような声で言う彼女の声に覇気はない。彼女の顔を見て唇を重ねてから背中に指を滑らすように触れてみる。震える彼女の肩を抱いてもなお唇は重ねたまま。苦しそうな顔を見てようやく唇を離すと彼女が私の脇をくすぐってきた。
「お生憎様、くすぐったくはないかな。やるということは覚悟はおありなようで?」
悪戯に、お淑やかに笑う彼女の頭を打たないように抑え込む。無駄に高揚して汗ばんでいる身体は気持ち悪い。にこやかに笑ってみせると彼女は顔を赤らめた。私が初めて口付けをしたときは檸檬の味がしないのに止まらないのだと不思議に思った。ただ、柔らかいだけの皮膚を重ねる気持ち悪い感触。酸味なんて感じやしない。それなのに、止まるどころか枯渇するだけ。今、彼女も同じ気持ちなんだろうか。
「余裕、ないんですか?」
「ないよ、そんなの。余裕があるなら抑え付けたりしてないさ。」
心がハートの形を模したから。鏡には写りさえしないのに彼女の目にはハートが見える、今だけは。そんな気がするだけかもしれない。彼女を少しだけ暖かくなった手で愛撫する。
「優しくしなくてもいいのに、異常者さん。」
「挑発って捉えていいかな、それでも私は異常者を名乗るので。お望み通りでいいんじゃないか?」
彼女のお望み通り出来るだけ優しくせずに言われた通りの歪んだ愛を叩きつけた。彼女の腰は細かった。
「君、ちゃんと食べているのか心配になるよ。」
「言われなくても食べてますよ。これだから、貴方は優しいんだ。」
彼女は少しだけ呆れたような顔で私を見つめる。私はこういうときに唇を重ねる以外の対処法を知らない。彼女の呼吸を制限しつつ彼女のナカと耳を撫でた。震える彼女のハートをぱちんと叩く。
「プレイボーイ。」
「そういう君は悪女かな。昔、そういう小説で読んだんだ。博識と言ってくれ。」
ゆっくりとお互いの気持ちを探り合う。彼女は私のどこが好きだってかまわない。今、彼女の目の前にいるのは私だけだ。気づけばお互いの身体が疲れきっているのに気づかないまま繋がっていた。
「さぁ、身体の汗も取ったところだ。どうだい、君。私と来るかい?」
「私はここにいますよ。」
彼女の答えは私の思った答えとは違っていた。だが、なんとなく納得してしまう気がする。少しだけ寝て朝が来た時私は一つの決断をしていた。
「もう、ここにいる必要はない。だが、人を楽しませるのは少しだけ後でいい気がするんだ。」
「残るんですか。」
自分でも驚いた。きっと、夢を作って心の健康を損ねるよりかはよっぽど良いだろう。だが、好い人の為に残るだなんて。らしくはない。
「私は、他の施設の人のところに行ってこなきゃ。楽しかったですよ、異常者なプレイボーイさん。」
この一言で納得した。彼女には私だけじゃないんだ。まるで、綺麗な毒に心酔した大馬鹿者。異常者ならばそれが通常かもしれない。結局私はまだ少しだけ施設に残っている。一人の女のためだけに。私は彼女のために朝、叫ぶ日がある。未練が解けかけた時にもう一度鎖で繋ぐため。
「とうとう私は正常になったぞ!」
彼女へ私にとっての歪んだアプローチ。
「揶揄ってるんですか?」
「可愛がってるんだよ。」
綺麗な毒は私を蝕み続ける。あと何人私の他に毒に侵された人がいるんだろうか。いや、気にする必要はないな。今の彼女の目の前にいる異常者はただ一人。私だけ。私は前と同じように彼女の唇に自分の唇を重ねた。
【上手くいかなくたっていい】
何も上手くいかなくたっていい。そう決めた頃にはもう恐れるものなんてなかった。あの人に見えすぎる目をもらった時から。昔から、我慢が得意だった。だから、気づかなくてもよかった。それでも、当たり前は当たり前ではなかったと気づかされてしまった。でも、それが悪いことだとは思えなかった。あの人は私の見えない世界を広げてくれたんだ。周りに恵まれたくせに蓋を開けてみれば幸せとは思えないことに気づかせてくれた。肯定をしてくれる周りに否定しかしてくれない小さな世界。
「こうすればいいんじゃないか?」
意思のすり合わせ。違う価値観を共有しあって世界の見方を増やしてくれるやり方。純粋で何を言われても聞き入れてしまう私に目をくれた。自分のことに関してはポンコツなのに人のことに対して敏感な私を守るための生き方。上手くいかなくたっていい。そう思わせてくれるやり方。
「私はお前さんに幸せになってほしいんだよ。」
「私も幸せになりたい、何も知らなきゃよかったかなって思う時があるの。」
知ってしまったが故の価値観のすれ違い。あー、この人たちは私の本質なんて見てはくれないという失望。話を聞いてくれないのなら話す必要もないじゃないか。いつしか、呆れて諦めるようになった。
「お前さんは期待しすぎてしまったんだな、あいつらに期待しても無駄だよ。」
「だって、こんな私にだって出来たんだよ? あの人にだって出来る可能性があるの。」
押し付けるには重すぎた。良すぎる目を使うには純粋でお人好しすぎた。今まで、私を見てくれているフリをしているやつは私のことなんて見てはいなかった。自分の過去の過ちに気づいてしまった時には。
「クズだな。」
そんな言葉しか出てこない。分かっていた、分かり切っていた。どこかで見ないフリをしているだけで気づいているはずだったんだ。自分の痛みばかりに見ないフリをして他人の痛みに敏感になることに慣れていた、慣れ過ぎていたんだ。若いのに。あの人はきっとそんな私が見ていられてなかったんだろう、そんな風に思う。だから、賢くするために世界を見せてよく見えすぎてしまう目をくれたんだ。
「ありがとう。」
「何がだ? いや、こちらこそありがとう。」
この関係性に終わりが来るならばきっとそれはどちらかが壊れてしまった時なんだと思う。
【最初から決まってた】【蝶よ花よ】
分かっていたことじゃないか。全て、最初から決まってた。今更なんだ。さぁ、手で雑に涙を拭って顔を上げるんだ。手に触れる布が湿って冷たい。私、なんで泣いてんだっけ。数時間前の出来事に意識を向けて思い出す。あー、振られたのか。また、振られた理由は同じ。嘲笑うなら嘲笑えばいい。蝶よ花よ、私の何がいけなかったというのか。いや、分かり切っていることか。人は人じゃないと恋愛をしたくはないらしい。最初の方は受け入れるよ、なんて言葉で私を安心させるくせに少し経ったくらいのところで毎度私を見限るんだ。
「やっぱり俺らは同じ種族の人と恋愛をするべきだと思うんだ。」
そんな言葉。最初から諦めていたことではある。それでも、まだ希望があると思ってしまったんだ。呑み込めない言葉を無理に飲み込めば飲み込むほど喉が詰まる、息が苦しくなるんだ。分かっていたことでも分かりたくはない。
「同じ種族の恋愛がつまらなそうって言ってたのはそっちなのにね。」
誰に言うでもなく独りの葛藤のため吐き捨てる。何度呪ったことか。いくら変わりたいと願ったってもらった身体を捨てるのは怖かった。誰か少しだけ受け入れてくれる人がいればいいのに。