#30 流れ星に願いを
わたしは流れ星を見たことがほとんどない。
だからか、流れ星を見たらお願い事をしたくなるんだろうなって、どこか心地よい気持ちで想像することができる。
流れ星に乗せた願い事は、別に叶わなくたっていいし、叶うとも思ってない。
ただ、そういう自然の美しいものにお願い事をしたくなる気持ちが、すごく愛しいと思ってしまう。
御伽話に想いを馳せるような、非現実的な世界にうっとりしてしまうような、少し寂しげな癒しがある。
流れ星に願いをする、決して悲しくはない日が、いつか訪れますように。
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#25 何もいらない(18:09:00)
何もいらないってことはない。
だってその前に、○○さえあればって付けるでしょ?
わたしは何かな。
「穏やかな日々さえあれば、何もいらない」かな。
これじゃ望むものが大きすぎて、格好がつかないね。
かつて自分の×××を必要とせず、恋も必要以上なお金も望まないわたしは無欲な人間だと思っていたけど、勘違いだったんだな。
無欲であることは、人間にはやっぱり、難しいことだね。
#29 ルール(17:14:00)
ルールとは、課された集団における“普通”の人が、普通に何の理不尽や不条理に晒されず、広い秩序の中に収まった自由を最低限保護する為にあるだけだ。
つまり、“普通”から少しでもはみ出した人のことは取り零すようにできている。
これを紛糾したいのではない。
何度も直面するそう気付かされる現実を、わたしは忘れず、常に心に留めていたいのだ。
できうる限りの選択をし、時に普通であろうと背伸びをして最前策を取り、愛情を持って接していても、そのルールが適用されない人は多く在る。
“普通”の人はそういう人に対して、一切の妥協を許さない。
一度の過ちも、些細な休息も許さない。
その両者の間には壁はおろか溝すらなく……というよりも、人間には本来“両者”などと表現できるような収まるべき場所などなく――カテゴライズとは分かりやすくするために必要な行為でありそれ以上でも以下でもない――少しのことで簡単にどこへでも行けてしまうし、何者にもなり得るというのに。
ルールは必要だ。
心からそう思うし、ルールを作ることは人を想うことだとも考える。
しかし、ルールはどんな物事と一緒で、完璧で完全なものはないことも知っているつもりだ。
だから、いくらルールを必要とするわたしでも、そして紛糾するつもりはないとしても……。ルールを成熟させる気もなく穴だらけのルールを論理的なアイテムとして振り翳し、ルールに頼ってでしか判断を下せない人や組織や仕組みや思想を、わたしは正直、ここまで多くは必要としていない。
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#24 もしも未来を見れるなら
「着きましたよ」
運転手の声でわたしは目を覚ました。
また17時頃にここへ迎えに来るということだったので、礼を言って、金を払った。
銀色のオープンカーから降り立つと、そこは未来のようであったが、せいぜい数十年先のことだからか、東京は然程変わり映えはしなかった。
あの2030年を越え、散々取り返しのつかないことになると言われていた此処も、仮初の穏やかな日常にどっぷりと浸かっていた。
砂糖で煮詰まった腐りかけのいちごのように、その場限りの寿命を消費していた。
わたしはすぐ目に入ったカフェで、無脂肪ミルクで作ったコクの少ないアイスカフェラテを買い、飲みながら、未来の青山を歩いた。
利益が何かも知らないままに損を避けて生きてきた人たちが、各々お洒落をして、其処彼処を行き交っている。
それは、ふとショーウィンドウに写し出された自分自身も、決して例外というわけではなかった。
ファンデーションを施した肌に、美しいワンピースの花柄が透けているのがいい証拠だった。
それでも、アイスカフェラテが胃から迫り上がってくることはなかった。
何も飲み込むことはなかったのだ。
「いかがでしたか?」
17時、銀色のオープンカーの中、白い手袋をした運転手が言う。
「何も変わっていなかった。カフェラテの味さえも。平和で、安心した」
後に続くべき“悲しいほどに”という言葉は、飲み込んだわけでは無い。
出なかったのだ、催さない吐き気のように。
もしも未来を見れたとしても、ロクなことはないだろうし、未来の自分にとって未来という現実は、どれほど腐っていてどうしようもなく、ひどい天災に見舞われていたとしても、まったくドラマチックではないのだ。
だけど、そうであるからこそ。
わたしは未来に繋がる今という時間を、目を逸らさずに消費しようと思っている。
損得なんてあやふやな秤を使って、選択はしない。
そのことだけ、自分自身に誓えたのはプラスなことだったように思う。
#23 無色の世界
“無色の世界”というフレーズを読んで、小さい頃、この世のものがすべて透明だったらどんな色に見えるんだろうと疑問に思っていたことを思い出した。
真っ白でも、真っ黒でもない世界。
だけど、すぐになのか、しばらくしてなのか、とにかくわたしは「そうか、透明という色が見えるのか」と納得したことを覚えている。
透明色。
見られるとしたら、なんとなく死の間際な気がするな。
それに、死ぬまでに一度も見られない可能性の方が遥かに高いだろうなと思う。
透明色。
透き通った、すごく綺麗な色なんだろうな。
そして、実は。お腹の中にいるときに、薄い瞼を閉じたまま、安心しながら感じていた色なのかもしれないなと思う。
透明色すら存在しない無色の世界は、どんなふうに見えるんだろう。
白も黒も立派な色だから、絶望に満ちた世界の比喩としては、本当は使いたくないけどな。
#22 桜散る
季節の移ろいに境目はなくて
新しい季節はだんだんと
ひとつずつ明らかになっていく
だけど、桜の季節だけは
そんなふうにはできていない
まだサイズの合わない制服姿で
降りしきる桜の雨に打たれるがままのぼくは
初めて、別れというものを知る
遠くに行ったきみへ
何を言えばよかったのだろう
黒塗りの誘拐犯の後ろ姿を
眼鏡の奥、ただ青に光る瞳に焼き付けて
無力なままに立ちすくんだ
桜の終わりは、季節の終わり
桜の終わりは、きみとの終わり
#21 ここではない、どこかで
シャッターを切る音がする
ここではない、どこかで
鍵盤に指を置く音がする
ここではない、どこかで
燭台を片手に畳を擦る音がする
ここではない、どこかで
墨を溶く音がする
ここではない、どこかで
再会のキスの音がする
ここではない、どこかで
温めた水が器に落ちる音がする
ここではない、どこかで
密やかに呼吸する音がする
ここではない、どこかで
遥かな海を隔て、灰色に黄金の散る
標高の高い、白い花が咲いた
ここではない、“どこか”で