#15 春爛漫
ぼくの春爛漫は、少し早い。
河津桜が咲く頃だからだ。
息子と一緒に、少し遠い散歩に出向く。
川沿い近くまで車で連れて行ってもらい、
降りて、そこから小さな距離を歩いた。
来年、ここに来れるかどうかは分からない。
「――さん、ありがとう」
ぼくの人生には、愛されなかったこと、
お金がなかったこと、死のうと思ったこと、
とても不幸な記憶や思い出がたくさんある。
けれど君と出会い、息子を迎え、
幸せだったし、これからも幸せであると誓おう。
たくさん喧嘩もしたし、別れようともした。
子どもをもらうことでもとてつもない葛藤があった。
差別や好奇の目は、いつもすぐ隣に住んでいて、
隙あらば攻撃しようと、虎視眈々と目を光らせていた。
だけど、ぼくの人生は尚も続く幸せの中にある。
よくある恋愛が、よくあるのに難しい愛が、
こんなにも育ったことがあまりにも幸せだ。
「また来るよ」
魂はどうだか知らないが、
二月に咲く桜の木の下にきみの骨はある。
ぼくも近々、その暖かな土に包まれに行くと思う。
息子には秘密だが、その日が楽しみだなあと
春爛漫の中、ぼくの言のひとひらはふわりと散った。
#14 誰よりも、ずっと
――“誰よりも、ずっと”?
こんな枕詞、自分に対して使えと言われたら、次に何を付けたって烏滸がましくなるじゃないか。
他人のことなんて、理解しようったって無理だというのに。
そんな誰かを、自分との比較の土俵に上げるというのか。
でも、そうだな。
このフレーズを使えるような人間になることを、今から目標にしたっていい。
誰よりも、ずっと。
わたしは考え、それを元に生きる人になりたい。
誰よりも、ずっと。
この後に続く素敵な言葉を、その誰かという相手に伝える人にわたしはなりたい。
#13 これからも、ずっと
「これからも、ずっと」
なんて使い所の少ない言葉だろう。
現状に満足した状態で、ずっとだなんて極論無理なものを願掛けるような文。
だけどそんな穴だらけの言葉に、救われるわたしがいる。
つい、口を突いてしまうわたしがいる。
かなしい優しさから生まれる言葉なのかもしれない。
冷たい情熱が言わせる言葉なのかもしれない。
#11 君の目を見つめると
傍らから君の目を見つめると
夏の夕日のフィルタのせいで
伏せた睫毛の形をした藍色の陰が落ちていた
かなしいけど、きれいだな
そう思うけど、声にはならず
代わりに風鈴がリンと鳴った
きみとぼくとは、決して目が合うことはない
奇妙に香り立つ正方形の部屋の隅
きみは、写真の中のぼくばかり眺めている
正面から君の目を見つめると
待つのが少し、つらくなる
夜の帷を下ろすため、ぼくは煙の後を追う
#10 星空の下で
ぼくは今も、この瞬間も星空の下に立っている。
朝でも、昼でも、宇宙に包まれている。
タワーに登っていても、階段を降りていても、地球の上に立っている。
たのしくても、かなしくても、どうでも良くても、棄ててしまいたくても、信じていても、もがいていても、何をしていても、満天の星空の下で息をしている。
うつくしいものは、実はいつもすぐそばにある。
そのことに打ちひしがれてしまうなら、込み上げる眼球の結露を拭って、星空の中にいることではなく、星空の下に立っている意味を考えてみようと思った。
みんながみんな、答えが出ないことに安心したくなれば、少しは人間もうつくしくなるのかな。
築年数の経ったマンションのそれでも最上階、ベランダに立って、数百光年前の輝きに向けて手で作った望遠鏡を覗き込んだ。
目を眇めながら、ぼくは何だか、辞めた煙草が吸いたくなった。