「また明日」
大学四年生。春の終わり。これ以上にワクワクする言葉はないと思う。
単位を取り切ってしまったから大学に行くのは研究室の時だけ。
高校まではよく聞いたこの言葉も次第に聞かなくなっていく。
言葉自体にノスタルジーを感じてしまうとは大学四年生にしてついに悟りにでもいたってしまったのか?
若輩者のうわ言ですが、今では「また明日!」なんて滅多にかけられません。
一抹の寂しさを覚えましたが、それ以上に寂しさを覚えるくらい長く生きていることに感謝を覚えています。
これから先も長いですがいろいろ飛び込んでみて死ぬ時に
「ここまで生きてきたぞ!」
と胸を張れるようになりたいものです。
そうそう、このアプリは毎日お題が変わるので書く習慣ができあがっていくんですよね。
なので皆さん、
「また明日」
お会いしましょう。
心は透明で透き通っている。
見れば自ずと裏側まで見える。
特に心の汚いものほど裏側の真意が見え透く。
元から自分が警戒しているのが影響しているのだろう。
だから関わりの浅いものに対してはそれ以上に注意すべきだ。
相手の持つ個性がどのようなものなのか理解していないうちは自分にとっても相手にとっても危うい。
くれぐれも距離を見誤らないように。
理想の自分。
夢はある。小説で食えるようになりたい。演劇の舞台に立ちたい。ボードゲームカフェを開きたい。痩せたい。入る会社で認められたい。こんな具合に。
これらの夢を叶えている自分こそが理想の自分だと仮定してみましょう。
これらを叶えるために共通する必要な要素を考えます。
私はこの要素をコミュニケーション能力。とすることにしました。
皆さんが持っている夢も必ず、どこかで人との関わりを要求されるでしょう。
1人で生きて行きたいという夢を持つ人も、自分で飯を食うには家庭菜園などを行なわないといけない。そして作物が育つまでは誰かの作ったものを食べなくてはなりません。
まぁ、これはコミュニケーション能力は必要ないかもしれませんね。
ともかく、少なくとも私の持つ夢を叶えるためには人とのコミュニケーションが大切です。
私は生まれてこの方、人との関わりを煩わしく思ったことはないく、人との関わりは面白いと考えています。(親の小言は除く)
小学生の私は「自分と話す人が笑う瞬間が面白い」と親に言っていた。これがルーツでしょう。
ただ、「ウケを狙う」だけではなく、相手が安心して笑える環境を整えるのが相手を笑わせるコツだと私は思っています。
今日は特段上手でもないのですが、私が人と話す時、何を考えているのかお話しさせていただければ幸いです。
結論から言わせてもらうと「相手のことをよく見ること」これだけです。相手のことを見れば今どんな環境を欲しがっているのかわかるようになるのがゴールです。
この環境を整える行為はその人の気分によって分かれてきます。
飲みの席についた最初の2分は相手の出方を伺うべきです。
今日の相手は口数が多い相手なのか、相手の顔色はどうか、いつもと違う調子ではないか。確認事項は大きく分けてこれくらいでしょうか。
経験則になってしまいますが、幾つか事例を紹介してみますね。
例えば、相手がいつもより饒舌ならあたりの日です。
とにかく最初は聞き役に徹して相手が言ったキーワードを反復して共感の姿勢を見せましょう。決して自分の話に持って行こうとするなよ。まだその段階じゃない。
しばらくすると相手がお前のことを見るようになります。その時がお前自身の話をする段階です。相手がしていた話と似ている自分の経験談を引っ張り出して話してみるといいでしょう。
最初から目を見て話すことが肝要です。相手の話への興味度を測りなさい。もし悪そうなら話題の中に良くないものが入っていたのかもしれません。そうしたら話のオチを自虐系のウケ狙いに転向して話し続けましょう。それで笑ってくれれば上々。もしため息を吐かれるようならしょんぼりした顔で謝ってみなさい、何が悪かったか教えてくれます。
相手が無口なタイプ、または不機嫌そうなら話題をこっちから振るのはやめなさい。会話のラリーが2回くらいで済む話を3回くらい挟んで相手がノる土台を作りましょう。
居心地の良い空間を求めているのだろうから相手の顔色をしっかり見ておいてあげてほしい。たまに相手からくる言葉を丁寧に拾い上げてゆっくりかえしてあげてください。
言葉の所作を周りはよく見ていると思います。
君がもしたくさん「死ね」という人なら周りもそういう人が多く集まってくるでしょう。
その中で過ごすことは君の品位を損ない、自分を丁寧に扱ってくれる人を遠ざけてしまうかもしれません。
私は付き合う相手を考えろと言いたいのではなく、身の振り方を考えてほしいと思っています。
相手が「死ね」という言葉を喜ぶなら公共の場では大きな声では言わず、静かに穏やかに冗談めかして「死ね」と言いなさい。
相手が「ありがとう」と言われたいのなら、相手の目を見てはにかみながら「ありがとう」と伝えなさい。
1つ1つコミュニケーションを丁寧に積み上げてみて欲しいのです。
所属するコミュニティを幾つも持って、自分の顔を使い分けなさい。ただ八方美人にならない様に気をつけて。自分というものがなくなってしまいます。
どんな事例にも自分の意見を持ちましょう。くだらない意見でも良いですし、びっしり芯が立っていても構いません。そして相手にはこういう意見もあるぞと、押し付けない程度の勢いで言ってあげてください。
まあ長々と説教をしましたが、私も完璧なコミュニケーションを取るにはまだまだ未熟で、失敗ばかりです。夢を叶えるには程遠い。
コミュニケーションは正解はないけど間違いがあるのが難しいところですね。
相手の顔を見て、信念を見て話すことはどんな相手にも通用すると思います。
丁寧であることとそれを恥ずかしがって疎かにしないことが自分のためになります。
我々は自分のためにコミュニケーションを取っても良いのです。
以上、眠たくなる話でした。
お付き合いいただきありがとうございました。
死別。
なんとも甘美な響きだ。
人の感動を惹きつけるために小説やら漫画やら映画では多用されるテーマだろう。
病でも戦争でも生贄でも美しく散っていく命に心を動かされない人は少ないと断言したっていい。
ただ現実ではそうはいかない。
うちのジジイは今死に体だ。
医者にはパーキンソン?とかなんとか言われたが病名はどうだっていい。
うちの、ジジイが、死にそう。
10文字前後で状況説明にけりがつく。
うちのジジイは昔から大人しく、やかましいババアの横でいつもニコニコ笑っている人だった。
子供の俺はジジイを舐めていた節があった。
そんなジジイを一度だけ烈火の如く怒らせたことがある。
子供の俺はババアの作った料理をまずいから食べたくないと言ってしまったのだ。
言ってしまったが最後、即座に俺の胸ぐらを掴んだジジイは何も言わず、ただ当然のように玄関から外へ放り投げた。
その時のジジイの目つきをよく覚えている。
それ以来、俺はご飯を残さなくなった。
残すとジジイのあの目を思い出すのだ。
そのこと以外にも、ジジイには世話になった。
将棋や釣りなどの遊びを教えてもらったし、中学高校、果ては大学まで入学金と学費を出してもらった。
そんなジジイが死にそう。
嫌だ。
もう少しだけジジイには俺を見ていて欲しいと思った。
あなたがあの時、叱りつけた俺はこんなに立派に育ったと見ていて欲しい。
でも俺にはわかる。残された時間は少ない。
だから思いの丈を語るべきだって思った。
恥ずかしかったし、こんなの意味がないとも思ったが、ジジイに感謝を告げてきた。
それとついでに近況報告だ。
ジジイの好きなものを作ってる会社に就職が決まった。今は賞が取りたくていろんな文章を書いてる。もちろん大学生だから勉強もするし、遊びだって欠かさない、まずは登山でも行ってみようと思う。
だからまだ見ていて欲しい。
俺の見た世界を聞いて欲しい。
だから。
まだくたばるなよ、ジジイ。
経験が少ないから書けない!
と、ここで終わらせてしまってもいいのだが、過去に好きだった人を思い返しながら書いてみる。
私が好きになった人は思い返す限り3人。
小学6年生の頃に好きだったAさん。
大学3年生の時に好きだったサークルのBさん。
現在進行形で好きなCさんの3人だ。
なんで好きだった?
Aさんは一緒に遊んでいて楽しかったから好きだった。
Bさんは私の書いた脚本の舞台を一生懸命作ってくれたから好きだった。
Cさんは私の知らないものが好きだから好きだ。
Aさんは文句が多いから嫌いだった。
Bさんはすぐに病むから嫌いだった。
Cさんは返信が遅いから好きじゃない。
好きの裏返しの嫌いがあってしまう。
あれは果たして純粋な恋だったのだろうか。
過去の自分を否定するのは褒められたものじゃないが本当に好きだったのだろうか。
一部の隙もない好きが欲しい。
私はこの世にはない恋物語に恋をしているのかもしれない。