先輩たちと食事に行ってきた。
アルバイトで出会った2つ上の先輩2人。
家族を失って大学受験に失敗した。
どこに向かえばわからなかった大学1年生の俺を救ってくれた人たちのうちの2人だ。
彼らには彼女がいて片方の先輩は今度から同棲を始めるらしい。もう片方の先輩も同棲まで秒読みのようだ。
俺と遊んでくれる機会が少なくなると思うと少し寂しいが、新しい幸せを掴もうとする2人の姿は眩しく映った。
幸せになってほしい。
こんな前向きなこと普段なら考えないだろう。
酔っ払っている影響もあるのだろうが、それ以上に2人が俺の前を照らしてくれたのだなと思った。
愛があればなんでもできる。
浅い言葉だ。
愛というものが何であるのか定義付けされていないことが浅い。
できるというからには愛の対象は何かしらの行動だと推測するがその場合の愛は最低でも二種類あると考えている。
まずは始める前、憧れから始まる愛だ。
例えば漫画「ハイキュー!」の主人公はテレビの中の小さな巨人と呼ばれるバレー選手に憧れてバレーボールを始めることになる。
彼がどの時点でバレーボールに愛を持ち始めたのかは定かではない。だがバレーボールを始めたきっかけは小さな巨人への憧れであり、主人公がプロ選手になった後はバレーボールへの愛情を感じ取ることができる描写が散見されるようになる。
もう一つは継続から始まる愛がある。
実生活における習慣が継続から始まる愛に該当するだろう。
私は毎朝髭を剃って、スキンケアをすることを日課としている。
数日前、一日中家にいるため髭をそのままにしておくことがあった。不思議なことに起床して数時間経つくらいの時、どうも落ち着かず家の中を練り歩いていると母親に怒られてしまった。
すぐ後に髭を剃り、スキンケアを行うとなんだかおさまるべきところへ収まったような感覚があり、ゆっくりできたことが印象的だった。
継続しているうちにそれなりに愛着を持ってやっているのだなぁとしみじみ感じたのだ。
他に思いつく愛といえば親が子供に与える愛情とかであろうか。私には経験がないものだからそこは割愛させてもらう。
うだうだと講釈を垂れてみたが、実のところ、確かに私は愛があればなんでもできると考えている。
憧れから始まる愛情も継続から生まれた愛もそれぞれの人生において大切なものだから、鬱陶しく感じることもあるだろうが、真摯に向き合ってみることが肝要なのではないかなと思う。