あいまいな空
だいたいは白
さいていは嘘
せいかいは何
あいたいなまた
さいかいは明日
言葉の意味が、人によって違うことが怖い。
文化、宗教、言語が違えば当然。それらが同じであっても人によって様々。性別が違えばなおさら。
ここでも、そうだ。
たくさんの人が同じ言葉で作文する。読めばそれぞれの違いに驚かされる。
思考は言葉で組み立てる。言葉は概念と、人生経験を通して少しずつ結びつく。
概念が、思考が、言葉で伝わる望みはない。言葉は相手の概念、思考に再変換されるから。
言葉は、何かを呼び起こすことしかできない。相手の心で動いたものが何であるかは、わからない。
本当に伝えたいなら、行動で示すしかない。言葉は補助的なツールとして活用し、一方ではアートとして楽しむこともできる。
言葉の性質を捉え、それでも言葉を信じるか?
ツールとアートの間、行動はみえず、言葉だけが流れる。
それでも、言葉を信じ、今日も書く。
これは、言葉にするという行動だ。
あなたにも書いてほしい
という、言葉の代わりの行動だ。
謝った記憶はないが謝り損ねた記憶ならある。今も同じ状況で謝れる自信がない。
時折思い出しては心の中で謝ってみる。相手はどんな顔をするか考えると、興味がなくなり、謝罪シーン128.movはゴミ箱行きになる。
本当に謝らなければいけなかった時のことを、すっかりわすれている自信ならある。
この謝りたい気持ちは、自分のためにあるのだろう。
相手のことを思うならそのとき謝っているし、思っていないならもう忘れているから。
戸を開けて雨を聴く。傘をさせばその音に包まれる。しかし、それら2つの音は違う。ザーという音と、ポツポツという音。雨の音は小さな水が様々なものを叩く音が重なり合ってできていると、意識するほどこの演奏会は楽しくなる。
結婚を承諾してはくれたが、あなたは理想の人ではない、と言われた。理想の人のことは諦めたのだと。当時、唯一愛されたいと願った人の、人生をともに歩むことを承諾してくれた人の、その理想になれない自分が、ひどく情けなく思えた。
いまは、その意味が少しはわかる。愛は育むものだ。理想の人への愛よりも、我々で増やした愛のほうに、意義がある。