雛人形を出すのが遅れたり、片付けが遅れたりすると婚期が遅れる――そんな俗説がある。
けれど結局のところ、語られているのは整理整頓や責任感の有無なのだろう。ただのジンクスというより、「だらしのない者は結婚生活に向かない」という価値観を、象徴的な言い回しで伝えているのだ。
昔の言い伝えは、表現こそ寓意的でも、根底には「人としての振る舞いを見よ」という教訓が潜んでいることが多い。
しかし現代の住宅事情や生活様式を考えれば、往時のような立派な段飾りを毎年出すことは現実的ではない。マンションや手狭な住居では十分なスペースが確保できないし、共働きで忙しい日々のなか、飾っては片付ける作業を欠かさず続けるのは相当に骨が折れる。
かつては家庭内の秩序や生活力が、そのまま結婚の価値基準と結びついていたのだろう。
だが今は、それぞれのライフスタイルや価値観が尊重される時代だ。そうした旧来の基準で人を測ることには、やはりどこか強引さが残る。
そして、「母から娘へ雛人形を受け継ぐのはよくない」という説もある。表向きは「嫁入り前の身を清めるため」「災厄が子に移らぬように」と説明されるが、新調させたほうが経済が回るという事情も透けて見える。伝統を守る顔をした、ある種のマーケティングとも言えるだろう。
もっとも、人形をその子の身代わりとみなすという発想や、その子のために新しく用意するという親心も、理解できないわけでもないのだが。
本質はたぶんそこじゃない。
その人形をどう扱うか。
そこにどんな気持ちが宿っているか。
それが大切なのであって、「新品か否か」は絶対基準ではない。
結局のところ、伝統とは絶対的な掟ではなく、時代ごとに解釈し直される物語なのだろう。
守るべきは形式よりも、その奥にある願いなのだから、難しい話は脇へ置いて、雛あられでも食べて和みましょう。
健やかに育ちますように。
題 ひなまつり
大切なものを持つということは、怖い。
失う可能性を、常に背中に背負うことでもあるから。
その灯りがある限り、
私は暗闇に完全には呑まれない。
大切なものは、鎧を重くする。
でも同時に、背骨にもなる。
壮大な未来予想図はいらない。
ただ、ひとつ。
握れるほどの、その灯り。
その灯りの正体は、ここでは明かせない。
これは警戒心だ。
この警戒心は弱さじゃない。
それを晒すことは、
背中の急所を差し出すようなものだ。
希望がひとつになるとき、
人は強くなる。
削ぎ落とされて、
残ったそれを抱く。
この火種は、未来へ広がってゆく。
腹の底では、もう知っている。
題 たった一つの希望
私の欲望は、
焦げる匂いのする炎ではなく、
静かに喉を焼く乾きだ。
胸の奥に、ふたつの色がある。
ひとつは冷たく澄んだ青。警戒と理性の色。
触れようとする手をやんわりと押し返し、
世界との距離をやさしく測る。
この色は、私を守る静かな結界だ。
もうひとつは、淡く朱を帯びた色。
ほんのりと温かく、柔らかい匂いを立てながら、
誰かの体温を求めて漂う。
光を吸い込みながら、少しずつ膨らんでいく。
二つの色は互いを溶かすことなく、
わずかな隙間で揺れている。
その狭間には風が生まれ、
世界と自分の境界を、
やさしく撫でるように確かめている。
私の中にある“距離”も“寂しさ”も、
矛盾じゃない。
それは二色が共に在る証。
守りながら、求めている証。
静と温、理性と情。
まるで呼吸の表と裏のように、
互いを消さずに在り続けている。
触れられたくないのではなく、正しく触れられたくて、
分かちあう温度を夢見ている。それは確かな均衡だ。
何も奪いたくなんかない。
それでも、温度を分け合いたい。
ただ、自分の中身をちゃんと読まれたいんだ。
欲望は、満ちている者が伸ばす手だ。
飢えは、足りていない者の内部から鳴ってしまう音。
「なくても平気」と言い聞かせても、
ふとした瞬間に喉の奥がひりつく。
誰かの不用意な言葉で、
急に空洞が露わになる。
温度を分け合えないままでは、
私の呼吸は青に傾いていく。
題 欲望
遠くの街へ行こうか。
地図には載らない。
昼間は存在すら疑われる。
けれど夜が、世界の輪郭を少しだけ緩めたとき、
ひと筋の路地が、ふっと現れる。
そこを曲がれば、
硝子雨の降る街だ。
列車は音もなく走る。
車輪の響きはやわらかく、
窓の外はまだ灰色。
朝になることを、世界が逡巡している時間。
隣で、君は少しだけ疲れている。
「綺麗なものなんて、もう見飽きた」
そう呟く声は、投げやりで、でも誠実だ。
わかるよ。
飾られた美しさは、ときに刃になる。
光は、眩しすぎると刺さるから。
けれどあの街では、
綺麗なものは上から降り注がない。
誇示も、演出もない。
足元から、滲む。
硝子雨は、硝子ではない。
水でもない。
それは、光の欠片。
落ちても砕けず、
弾んで、転がり、
夜道を散歩する小さな星のように
人の歩みに寄り添う。
その街の人々は、
たいてい少し疲れた顔をしている。
声を荒げない。
誇らない。
ただ、黙って歩いている。
でも硝子雨が降ると、
足元の光が、
その人が今まで我慢してきたことや、
誰にも言えなかった優しさを
静かに映し出す。
小さく瞬く。
ある夜、
ひどく疲れた旅人が迷い込む。
「もう、何もきれいに見えない」
そう零しながら。
けれど一歩踏み出すと、
靴に、袖に、肩に、
硝子雨がやさしく跳ねる。
光は言葉を持たない。
けれど、確かに伝える。
――こんなに耐えてきたんだね。
――こんなに静かに、やさしく、生きてきたんだね。
旅人はしゃがみこむ。
夜道の星屑のなかで、
初めて、小さく緩んだ。
「そうか……こんなふうに見えるのか。」
硝子雨は、夜明けとともに消える。
朝は、容赦なくやってくる。
けれど一度でも
光に照らされた心は、
忘れない。
自分が、
どれだけ砕けずにきたかを。
遠くの街へ行こう。
それは逃避ではなく、確認だ。
君が、
もう充分すぎるほど
静かに、美しく、生きてきたという事実を
思い出すための旅だ。
列車はもうすぐ着く。
降りるかどうかは、
君が決めればいい。
私はただ、
夜の路地が開く瞬間を、
隣で一緒に見ている。
題 遠くの街へ
火星から見る夕日の碧さを知りたい。
ここでは赤く沈むのに、あちらでは青くなる。
この揺らぎは、
どこか別の環境なら、
見え方も変わるのではないか、という仮説だ。
それは羨望というより、配置換えの想像。
隣の芝が蒼く見えるのは、
“光の当たり方が違えば色は変わる”と知っている目。
私はいつも、自分の芝が赤く焼けていると感じている。
時々、別の光を試してみたいだけさ。
題 現実逃避