『奇跡をもう一度』
大学1年の時、私は、2度目の精神の危機を
迎えていた。
白か黒、ゼロか100の私にとって、
仲間と別れて 自由と安心を獲るか、
それとも、不自由な環境に身を置いて、
仲間と共に 成長する道を 選ぶか
究極の選択を迫られていた
魂が 崩壊していくようにさえ 感じられた
前も地獄、後ろもまた 地獄だった
まるで 迫り来る炎に 背を向けようとも
もう 何処にも、逃げ場は無いかのようであった
そんな暗黒の業火の中で、突然の光が現れた
仲間は言った
「きみの本当の気持ちと向き合ってごらん。
嘘偽りのない、本当の心と。
君の心には強くて、揺るがなくて、
何があっても負けない心が 絶対にあるから。
信じて。僕は、あると信じている。
その心がちゃんと見えたら、僕らにも教えてほしい。
そうすれば、それがどんな答えであっても、
僕らはみんな、君を心から応援できるから。
それが、君の幸せにも
必ず通じていくと信じてるから」
私は、その日から、必死に自分の心と向き合った。
泣きながら、幾度も幾度も、自分の心に問いかけ、
心のなかの本物の思いを瞬きもせずに見つめ続けた。
苦しければ、苦しいままに、その気持ちを訴えた。
そんな、暗闇の中をもがき足掻き続けるような時間を
くぐり抜けて
ようやく 一筋の光が、私の中に現れた
これが、私の本当の気持ち。
心から感じていることだったんだ
満を持して、私は仲間に、真心からの思いを伝えた。
仲間は、心から喜んでくれていた。
私の心は、雨上がりの虹がかかった青空のように
清々しく、凛としていた。
ここから、私の人生の
奇跡のようなドラマがスタートする。
そこから、光陰矢の如く時は流れ、
あの日から もう14年が経とうとしていた。
今の私は、一言で言えば停滞であり、
二言目には、怠惰と言える。
14年前の、あの奇跡の決意をもう一度。
踏ん張りたいのに、踏ん張れない。
前に進みたいのに、なぜだかうまくいかない。
そんな時は、あの奇跡を思い出せ。
私の本当の気持ちを
サーチライトで照らすようにして、見つけ出すの。
そして、本当の真心を 引き寄せて
ただ抱き締めるの。
必ず、できるわ。
ほら、あの奇跡を、もう一度
『いつかの空』
5階の窓から見える東の空は
とても、とても 美しかった
3日のはずの検査入院は延長になり、
耳慣れない病名を告げられた
今の状態で、帰宅するのは
体には負担で、とても心配だということ。
将来のことも考えて、
もっと専門的な大学病院で、
充実した治療を受けた方がいいから
転院先との調整が取れるまでは、
入院した方がいいとの、医師の判断だった。
手のひらで、世界と、いとも簡単に繋がれる
便利な文明の利器は
私に、初めて聞く病の説明と同時に
大きな不安も与えてくれた
突然、近親者のような顔をして
私に寄り添ってきた骸骨の世界
私も、負けじと骸骨の振りをしてみる
でも、だめだ
やっぱりまだ、そっちには
行きたくなんかない
徐々にわかってきたことは、
30年前は、助からなかったことも多いという
その病は
今は、薬で予後が、見違えるほど
変わってきているということ
おそらく命に別状はない
だけれども、
今までと同じ人生の、その延長線は歩めない
まだ、私は受け入れられずにいた
というよりも、まだどこか“ヒトゴト”だった
突然、舞台の照明は消え、
あたりは闇に包まれる
そして、スポットライトに当たる私だけが
闇の中に浮かび上がる
私は、さながら悲劇の“ヒロイン”のようだった
と同時に、悲劇のヒロインぶる自分が
惨めだった
今までの生活が、苦しく虚しい現実に対して
なんとかしなければという思いと、
どうすることもできないという諦めにも似た鬱屈した思いに、潰され、
引きちぎられていた世界から
突然、我が身を引き剥がされたところだった
悲劇なのか、幸福なのか
どちらなんだろう
ぼんやりと、そんなことを考えていた
私は、不幸なのか、幸福者なのか
そんな命題が、
頭の中の一部を奪い取った
目からつたう なまあたたかな滴りを感じた
私は混乱している
私の心のはずなのに、
その私がまったく理解できていない
そんな時に、私を力強く
生命に直接、語りかけるように
励ましてきたのが
5階の窓から見える、東の空だった。
朝の5時になるちょっと前くらいから、
闇の中に淡い黄色や紫や橙が滲み出し、
徐々に広がっていくその景色は
まるで光のサーカス
入院していなかったら、
絶対に見れなかった風景
自然の美しさと厳粛さと、
偶然と必然とが溶け合っていて、
自然とまた、目から温かいものが
溢れてきた
儚い生命を ふと感じ、
生命の必然に ハッとして、
厳しき定めに ため息を漏らし、
そしてまた、生命の偶然に感謝があふれた
厳しさと美しさも
偶然と必然も
表裏一体のようだった
だとするならば、きっと 生と死も。。。
5階の窓から見える東の、いつかの空は
私に いのちについての授業をしてくれる
マンツーマンの先生みたいだった
とても、丁寧に、わかりやすく
私の心が置いてけぼりを喰わぬよう、
無駄に傷付かぬよう、
寄り添うようにおしえてくれた
手のひらの文明の器には、
あの、いつかの空の写真が
お守りのように納まっている
いのちの授業を
忘れないように
いつでも、また思い出せるように
『きっと明日も』
『通り雨』
中学生の頃、ある日の
友達と歩いた部活からの帰り道
曇天だった。
けれど、ふと空を見上げると、衝撃的だった。
まるで世界が真っ二つに分断されたかのように
太陽がキラキラ輝く空と、
今にも雨が降り出しそうで、
威圧し、脅してくるような灰色の空が、
見えない境界線を隔てて、同じ空に広がっていた。
友達と、
「なにこれ〜!」「なんて、ロマンチックなんだ〜」
と、大いに盛り上がっていた。
そのとき、太陽が眩しく輝く光の中で、
より一層、キラキラと輝く雫が降りてきた。
ほんの僅かな、傘を必要としないほどの
通り雨だった。
真っ二つに割れた世界の下で
輝く光に照らされて、
やさしい通り雨を浴びながら
テンション高く、友達と2人で歩いた。
私たちは、吹奏楽部で
ちょうど、その時に取り組んでいた
コンクールの自由曲が、
今まさに、自分たちが見ている天気と景色の
イメージにぴったり合うねと、
興奮しながら話していた。
あれから、20年程経った今でも、
似たような通り雨に出会うと
この時のことを、鮮明に思い出す。
青春時代の、私の心に映った、
ロマンチックで、劇的な通り雨は、
まるで記憶の引き出しのようなもので
引き出しを開けると、
吹奏楽や音楽に注いだ情熱や、
友達との他愛もない会話から伝わってくる
温かい心の交わり、
何か一つのことに直向きになるという感覚、
そして、音楽や自然に触れた時の感動など、
今では、ほとんどなかなか味わうことができない、
懐かしくて、切なくて、あたたかくて、
そっと励ましてくれるような、
そんな不思議な何かが、胸にあふれてきて
過去の自分から今の自分までを、全力で肯定して、
その先の未来の自分まで、大丈夫!って
背中を力強く押してくれている。
あの時の、劇的な通り雨に、負けないくらい
今の私に、劇的に力をくれている
わたしの、通り雨の思い出なのでした。
『秋🍁』
澄んだ空気と高い空
心も和む 穏やかな季節
暑い夏と寒い冬を 繋いでくれる架け橋
冬に向けて 体を少しずつ 準備運動のように
馴染ませてくれているんだね
まるで 私たちの体を慮ってくれているみたい
やさしい秋
そして、秋の夕暮れの
沈みゆく、燃え盛る太陽は
人生の幾多もの荒波を乗り越えて来た
晩年の輝きを彷彿とさせる
なんて、美しいのだろうと
ため息が 漏れてくる
なんて、荘厳なのだろうと
胸に何かが 込み上げてくる
そして、生きとし生けるものへの
尊敬と感謝の念が 溢れてくる
人生の総仕上げも
この季節の 夕暮れ時の 太陽のようでありたい