『どうすればいいの?』
『たくさんの想い出』
たくさんの想い出かぁ
学生や子どもの時は毎日が、想い出みたいに
濃ゆかったけど、
社会に出てからは、どんどんどんどん
濃度が薄まってきたような気がする
人生の長さという分母がどんどん
大きくなっていくのに
想い出になるような記憶の分子は
なかなか増えていかないままで
記憶の分子は
年を重ねてゆく過程で
細胞分裂の速度を落としていったみたい
それは
感受性の鈍化によるものだろうか
子どもの頃や学生時代に比べて
人との出会いややりとりは
少なくなったり薄くなったり
さらに、
感受性も鈍くなってきたようにも思う
だけど、、、
今、この瞬間の感覚は
今この瞬間を生きる 私だけが感じ取れるものだ
過去にも 未来にも
代えられないのが 今という感覚のはず
そうして 今この瞬間を生きる 私の細胞たちは
マラソンの襷のように 繋がれて
未来の私の細胞へと 地続きになる
今、覚えてなくても
思い出せなくても
記憶が砂のように流されていても
たしかに生きてきた
わたしの生命
わたしの細胞たちは
たくさんの想い出を抱えているのだろう
今、この瞬間の感覚を
もう一度 大事にしたい
生命を燃やすような感覚で
生きてみたい
本当の“生きる” を味わいたい 刻みたい
『冬になったら』
『はなればなれ』
はなればなれ
それは出会えたことの奇跡の証
ある統計によれば
人が、なんらかの接点を持つ人と出会う確率は
世界人口72億を分母として
人が一生のうちに出会えるとされる
30,000人を分子とすると
0.00004%
24万分の1の確率だそう
この奇跡があったればこそ
はなればなれという
心の引力が発生する
人が一生のうちに出会える数とされる
30,000という数字は
人生を80年と仮定して
毎日、1人ずつ、出会った場合の計算だそう
実感として、
そんなにたくさんの人とは
出会えていない気がする
そうすると、
確率はもっと下がり、奇跡の重みを増す
何度だって言おう
はなればなれは
0.00004%の奇跡の証