おうち時間でやりたいこと
料理するのって時間があればたのしい。花椒たっぷりの麻婆茄子豆腐やら。塩もみした茄子やら小松菜やらで副菜を作った。夕食を一緒に食べる人の帰りを待っている。
映画も最近観ないな。どちらかというとまた読書をしたくて、少しずつ。ほんとうに読み進められなくなったけど、少しずつ。
勉強だってしたいのだけど、まともに勉強したことないからやり方でつまずく。本当に、文章を連ねるくらいしかまともなことができない。そうやって考えが巡りほんとうに落ち込む。学校にまともに通った人はうらやましい。
子供のままで、もう取り返せない
君はうずくまり、誰かが作ってくれたご飯の味を思い出す
塩にぎり、固くなった豚肉、たけのこたっぷりの煮物、インスタントの焼きそばに玉ねぎが入っているやつ
広場の真ん中にぽつんとある花壇で、しわしわのひまわりが日を浴びている
みんなまだ太陽を向いて笑っている
世界は遠くて近く、どこまでも素晴らしいのだと思う日は少なくなった。足もとの芝や、山面や水面の輝きを今でもうつくしいと感じる心はある。欲しい言葉をくれる人は画面の中にしかいなかったのに、今は隣にいてくれる日もある。心が通じ合うときも合わないときも変わらない心がある。生きていくことの苦しさに耐え難い日に私はひとりだけど、やり過ごしたあとにまた隣にいるときに、遠くにいるときに、身体のまんなかから湧き出る愛おしさを噛みしめる。私は本能のままに愛を叫ぶけれど、その人といるとき、私は私が人間であることを知る。この社会で誰かと関わっていくことのうつくしさを肯定してくれるあなたのことが好きだ。
麻袋のなかで蛇がとぐろを巻いていた。玄関を出て道路までの窮屈な庭に、母が所狭しと植物を植えている。通り道を塞ぐように根っこに土がたっぷりついた草達が並々に入ったそれを足で跨ごうとしたところで、目があった気がした。ズザズザズザザザ‥‥‥ゆったりと麻袋の擦れる音がする。奥へと入り込んでいくその尻尾の先をじっと見やる。何年か前に畦道で蛇の交尾を見た。絡み合いながら体の半分は宙に浮いていて、その筋肉に驚愕したのだった。道路際の花壇の、水やりしたあとの草花の葉先から雫が滴る。気付けば靴が濡れていて、なんとなく、蛇が靴を這っていくところを想像してみる。蛇に滅多に出くわさないものだから、あの袋を突付いて蛇が飛び出すところを見てみたい心がそうさせた。
何もいらない。それ以外は。ください。お願いです。長年夢見てきたものなのです。向こうにある白い顔。車が通るたびに窓から伸びる影がその顔をチカチカさせる。差し出された手のひらにまんじゅうのような塊。食べなさい、とその顔は言う。