洗いたての色を忘れた清潔なシーツ
その上を這う点滴や呼吸器の管
鎮静剤が余程効いているのか
身動ぎもしない私の娘は
浅い呼吸だけを繰り返している。
穏やかに閉じられた瞼は震えることも無く
呼吸器で覆われた口が動くことも無い
娘はベットの上で過ぎた時間も知らず
夢すら見れずに、それでも生きていた。
貴女を追い詰めたのは私だ。
産めない身体だとは知っていても
子供がどうしても欲しかった。
子供を抱いて愛してみたかった。
だから、貴女を引き取った。
血の繋がりなんてなくても
こんなにも笑顔の可愛い貴女なら
生涯、娘として愛せるって思ったから…
現に私達は紛れもない家族だった。
だから、慌てて…
そう、無理に話す事なんてない
あの子がせめて言葉を話せる時までは…
いや、あの子が話を理解出来る歳になるまでは…
いや、いや、あの子が娘を持てる歳までは…
猶予なんて、本当はなかった。
あの日、貴女が取り乱し目前に突き出したのは
私が隠し通してきた養子縁組の用紙で
貴女は私を嘘吐きだと裏切り者だと蔑み
何も言い返せない私を後目に
自室へと駆け出した。
そして、登りきる筈の階段を
踏み 外したんだ。
……………ーーーーー
私が、黙っていたから。
私が、貴女を産めなかったから。
私が、あの時に抱き留められなかったから。
私が、私は、私…。
わたし、ね。
他の誰でもない貴女に
“お母さん”ってもう一度
呼んで欲しいだけなのよ…。
けど、まだ貴女は許せないのよね。
大丈夫よ、ずっと待ってるから
この病室から出られなくなっても
目を覚ました貴女を
今度は、抱き留められるように。
ー 病室 ー
明日は、一日中晴れだって
天気予報は当たるかしら?
当たるなら、朝は洗濯物を干して
お昼頃に貴方に会いに行こうと思うの。
道すがらに話題は集めて行くつもり
貴方って口下手なんてもんじゃ無いから
少しでも長く傍にいる為には
話題は幾らあっても困らないでしょう?
いつも通りにのんびり歩いて
沢山、お散歩をして
貴方を随分と待たせてから
会いに行ってやろうと思ってるの。
だって、割に合わないじゃない?
本当の意味で会えるのは
私の寿命が尽きてから、だなんて
それまでは仮初の逢瀬で我慢しろだなんて
耳にタコができる程に話し込んでも
貴方は見えてもくれないんでしょうから
そこにつけ込んで、私の涙が出るまで
墓前に居座ってやるんだから。
ー 明日、もし晴れたら ー
目まぐるしい感情の波と
距離を置いていたいだけ。
ー だから、一人でいたい。ー
“ 刹那、嵐がこようとも。”
玲子(れいこ)は夜職の疲れに翻弄され
夜風に流されるまま缶チューハイを片手に
工場夜景を眺望できる駅近くの公園へと
無意識に辿り着いてしまっていた。
「嗚呼、もう…!
庇ってくれる人の一人も居なけりゃ
アタシにだけ夜風は随分と冷たいもんねッ!?」
有名な夜景スポットである為
愛を語らう人々はそこそこに溢れ
泣き上戸で独り身の玲子だけが
夏の夜風に頬を冷やされて
また冷め醒めと涙を落としていた。
自暴自棄の酒食らいでは
いくら見目麗しかろうと
素行不良は一目で知れ渡り
どれだけ細く柔い肩であろうが
撫でてやろうという好き者は
この公園を出て後でさえも
ついぞ、現れはしなかった。
「どいつもこいつもッ!
お高くとまっちゃってさッ!
泣いてる女の一人も慰めないなんて!
冷酷非情な輩しか居ないってわけね!?」
公園からの帰り道は街灯も少なく
酷く暗いものであったが
荒んだ玲子は、むしろ構えといった風体で
肩で風を切りズンズンと突き進んだ。
橋の上を通りがかった時
ゴウンゴウンと鳴る工場群に共鳴する様に
玲子の侘しさは心臓をはち切らんと
内部でうねり出し、のたうち回っていた。
「明日なんて、アタシいらないのに」
胸の内の膨れ過ぎた侘しさは
その一言の後に取り込んだ海風で
見る間もなく大きく寂びついてゆき
鉛よりも重く玲子の体を支配した。
思う様には動けぬ女を
夜風は無情に端へ端へと追い立てる。
手摺りへと流れた洗濯物の様に
撓垂れ掛かる酔った女が独り
ピクリともしないまま
夜より深いであろう河を眺めていた。
「何してんだアンタッ!
馬鹿な真似してんじゃねぇ!!」
強引な手つきと鋭い叱責の声に
手摺りから身は引き離され
玲子は否応がなしに声の主と相対する。
「若い身空で、一体何を考えてんだ!
他にやりようなんざ幾らでもあんだろう!?」
声を出す暇さえ此方には与えぬ
粗野な育ちを感じさせる作業服の男
細い女を支える荒れた手だけが
この男は小心者なのだと声も無く笑った。
「もう、独りは嫌だったの
明日なんかいらないんだったらぁ
分かんないなら手を離してよぉ…」
押し返そうにも人に触れ合えた安心感が
四肢の末端までもが悴んだ様に
緊張を解いて、力を入れられずにいた。
言葉を多くは知らない男は
不器用な手付きで女を掻き抱き
少ない辞典を脳内で必死に捲り
思わず、と叫んだ。
「俺が!俺が一緒にいてやるから!
なら、死ぬ事なんて無いだろう!?」
女は泣きたいという感情を表情から落とし
男の言葉を理解しようとしている。
どれ程、そうして抱き合っていたのか
玲子は今まさに吹き始めた感情のざわめきに
胸中を掻き乱すであろう嵐の予感を
生々しく、その身で感じざるを得なかったのだ。
ー 嵐がこようとも ー
豊穣を祈り
収穫を祝い
人々は集う
舞いを奉納
地も、人も
豊かであれ
個々の願い
束になりて
色彩豊かで
心すら豊か
賑わいの音
祭囃子の音
見紛う程に
夜は更ける
ー 祭り ー