黒山 治郎

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“ 刹那、嵐がこようとも。”

玲子(れいこ)は夜職の疲れに翻弄され
夜風に流されるまま缶チューハイを片手に
工場夜景を眺望できる駅近くの公園へと
無意識に辿り着いてしまっていた。

「嗚呼、もう…!
庇ってくれる人の一人も居なけりゃ
アタシにだけ夜風は随分と冷たいもんねッ!?」

有名な夜景スポットである為
愛を語らう人々はそこそこに溢れ
泣き上戸で独り身の玲子だけが
夏の夜風に頬を冷やされて
また冷め醒めと涙を落としていた。

自暴自棄の酒食らいでは
いくら見目麗しかろうと
素行不良は一目で知れ渡り
どれだけ細く柔い肩であろうが
撫でてやろうという好き者は
この公園を出て後でさえも
ついぞ、現れはしなかった。

「どいつもこいつもッ!
お高くとまっちゃってさッ!
泣いてる女の一人も慰めないなんて!
冷酷非情な輩しか居ないってわけね!?」

公園からの帰り道は街灯も少なく
酷く暗いものであったが
荒んだ玲子は、むしろ構えといった風体で
肩で風を切りズンズンと突き進んだ。

橋の上を通りがかった時
ゴウンゴウンと鳴る工場群に共鳴する様に
玲子の侘しさは心臓をはち切らんと
内部でうねり出し、のたうち回っていた。

「明日なんて、アタシいらないのに」

胸の内の膨れ過ぎた侘しさは
その一言の後に取り込んだ海風で
見る間もなく大きく寂びついてゆき
鉛よりも重く玲子の体を支配した。

思う様には動けぬ女を
夜風は無情に端へ端へと追い立てる。

手摺りへと流れた洗濯物の様に
撓垂れ掛かる酔った女が独り
ピクリともしないまま
夜より深いであろう河を眺めていた。

「何してんだアンタッ!
馬鹿な真似してんじゃねぇ!!」

強引な手つきと鋭い叱責の声に
手摺りから身は引き離され
玲子は否応がなしに声の主と相対する。

「若い身空で、一体何を考えてんだ!
他にやりようなんざ幾らでもあんだろう!?」

声を出す暇さえ此方には与えぬ
粗野な育ちを感じさせる作業服の男
細い女を支える荒れた手だけが
この男は小心者なのだと声も無く笑った。

「もう、独りは嫌だったの
明日なんかいらないんだったらぁ

分かんないなら手を離してよぉ…」

押し返そうにも人に触れ合えた安心感が
四肢の末端までもが悴んだ様に
緊張を解いて、力を入れられずにいた。

言葉を多くは知らない男は
不器用な手付きで女を掻き抱き
少ない辞典を脳内で必死に捲り
思わず、と叫んだ。

「俺が!俺が一緒にいてやるから!
なら、死ぬ事なんて無いだろう!?」

女は泣きたいという感情を表情から落とし
男の言葉を理解しようとしている。

どれ程、そうして抱き合っていたのか
玲子は今まさに吹き始めた感情のざわめきに
胸中を掻き乱すであろう嵐の予感を
生々しく、その身で感じざるを得なかったのだ。

ー 嵐がこようとも ー

7/30/2024, 8:57:11 AM