『ずっと隣で』
食べ物のにおい、香水のにおい、煙草のにおい、
人々の体臭に笑い声。
従者として連れてこられた晩餐会は
酷く刺激の強い場所だった。
主に暇をもらい、暫くの間
人気の少ない夜の庭を歩いた。
綺麗に切り揃えられた芝生のにおいと
春の訪れを感じさせる甘い夜風のにおいは
荒んだ心を鎮めてくれる。
ふと、何者かが音もなくこちらへ
近付いてくる気配がした。
振り返ると燕尾服を纏う老紳士が
笑顔で立っていた。
「こんばんは、セバスチャン。見回りですか?」
「オズワルド」
「おやその名をよくご存知で」
「姿形は違えど魔力や匂いは誤魔化せないからな」
そう言うと魔術師は肩をすくめて世間話を始めた。
「薬は切れていませんか?」
「ああ、いつもすまない」
「いえいえ、最近は体調が安定している様
でなによりです」
「ああ」
「君がお嬢様の元で働き始めてから
随分と経ちますね」
「そうだな」
「今の職場はどうですか」
「……悪くない」
寧ろ良い。
常に主の安否の確認や彼女からの強引な命令や
我儘に従ったりと大変な部分は多いが、
その反面、やりがいや喜びを感じる自分もいた。
「セバスチャン、どこにいるの?」
主の呼ぶ声がする。
「もう行かなくては」
「そうですか。それではまたお会いしましょう」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「セバスチャン、探しましたわよ!」
「申し訳ございません」
「まあいいわ。これからストリゴイ伯爵と
ワインの一気飲み 対決をするところでしたの。
あなたに審判をお願いしますわ!」
「はあ」
主に腕を引かれながら将来の事を想像してみた。
この先も俺は主の隣に立ち、
彼女を守って行けるだろうか。
そこまで考えてかぶりを振った。
先のことはわからない。
ただ今は己の使命を全うする。
それだけだった。
『もっと知りたい』
今日は私悪役令嬢の永遠のライバル
メインヒロインの素性について
探っていきたいと思います。
敵を知ることは大事なことですもの、ええ!
オペラグラスを片手にメインヒロインの
後を追う悪役令嬢。
道行く彼女に人々は笑顔で話しかけます。
彼女が歌を歌えば小鳥やリスが近寄ってきて、
彼女の肩にとまり一緒に歌を歌い始めました。
心なしか彼女が通った後は木々や
花も色づいて見えます。
まるでディ○ニープリンセスじゃありませんか!
あまりのヒロインっぷりに悪役令嬢はハンカチを
噛み締めながら悶え苦しんでいると、
突然背後から声をかけられました。
「何してるの?」
そこには正真正銘メインヒロインが立っていました。
ななな、いつの間に私の背後に?!
メインヒロインをのぞく時メインヒロインもまた
こちらをのぞいているのだ。
そんな言葉が悪役令嬢の脳裏に浮かびました。
「これはその…敵情視察ですわ」
如何にも不審者という出で立ちで
しどろもどろに答える悪役令嬢を
メインヒロインは不思議そうに見つめます。
「わたしの事が知りたいなら
直接会いに来てくれたらいいのに」
その時の彼女は、先程までの天使のような姿とは
異なる小悪魔な笑みを浮かべていました。
これが俗に言うギャップ萌えというやつですか。
なんて恐ろしい子…!
『月夜』
ふと彼を呼ぼうとしたけれどやめた
彼は満月が近くなると休みを入れる
テラスから夜空を見上げれば
大きな丸い月が浮かんでいた
ずっと見つめていたら
吸い込まれそうなほどに幻想的な月
私さえも狂おしい衝動に駆られるのだから
彼にとってはもっとずっと耐え難いものなのだろう
魔術師から発作を抑える薬を貰っていた
付け焼き刃かもしれないがないよりはマシだ
「月が綺麗ですわね」
とある三日月の晩に
そう呟いたら彼の顔は険しくなった
まるで彼にとって月は忌むべきもので
あるかの様なそんな表情だった
私には彼の痛みや苦しみはわからない
けれど彼が一人で抱え込む姿は見たくない
これ以上彼を苦しめないでと
私は月に祈りを捧げた
『たった1つの希望』
「魔術師さま、どうかあの娘を
元の姿に戻してくれませんか」
村人に連れてこられた小屋の中には、
虚ろな目で宙を見上げる一人の女性がいた。
頬は痩けて手足は枝のように細く
力を入れたら折れてしまいそうだ。
「美しい娘だったのに、
悪い男に捕まって薬漬けにされた挙句
壊れたら捨てられてしまって可哀想に」
女性はこちらに気がつくと細い身体を引きずりながら
甘い声を出して近寄ってくる。
「あぁ、やっと迎えに来てくれたのですね」
女性の鳶色の瞳には何も映してはいない。
村人はそんな娘を見て溜息を零す。
「ずっとこんな調子で困ったもんですよ」
ふと彼女の足元に目をやると、
鎖のちぎれたロケットが落ちていた。
中を開くと溌剌とした顔立ちの女性と彼女より少し
幼い顔立ちの子供、そして二人の肩を抱く男性が
笑顔で映る写真がはめ込まれていた。
女性と同じ鳶色の目をした子供と男性は
きっと彼女の家族なのだろう。
虚空に向かって笑いかけ何かを囁く女性を
魔術師はじっと見つめる。
彼女は今どんな夢を見ているのだろうか。
自分を捨てた男か、あるいは家族か。
彼女の瞼の奥に宿る希望を覗いてみたかった。
『小さな命』
「ペットを飼ってみませんか?」
魔術師がそう語りかけてきました。
「ペットはいいですよ。余計な言葉を話さず、
飼い主に寄り添い、癒しを与えてくれますから」
魔術師は懐から青い色の小さな物体を取り出します。
「それは一体?」
「スライムです」
スライム?生き物なのでしょうか?
指で突くとぷるんと小さな身を揺らします。
私はお祭りで買ったスライムを思い出して、
なんだか懐かしい気持ちになりました。
「何を与えたらいいの?」
「なんでもいいですよ。この生き物は雑食ですから。
ただし、守ってほしいことが3つあります」
・水に濡らさないこと
・光魔法を当てないこと
・夜中の12時を過ぎてから食べ物を与えないこと
「守らなかったらどうなりますの?」
「よからぬ事がおこります」
よからぬ事ってなんですの??
それから私は魔術師に押し付けられるような形で
スライムを飼うことになりました。
夜更けに本を読んでいると、スライムがそろりと
近づいてきて私の指に縋り付きます。
「あら、お腹が空いているのかしら?」
時計の針を見ると11時の方角を指していました。
まだ大丈夫ですわね。
私はセバスチャンが夜食に焼いてくれた
クッキーをスライムに与えました。
するとスライムはその小さな体でクッキーを
包み込み、ゆっくりと時間をかけて
吸収していきました。
私はこの時気づいていなかったのです。
時計が壊れて動かなくなっていたことに。
翌朝、私は目を覚ますと
ある変化が起こっていました。
昨日まで1匹だったスライムが2匹に
増えていたのです。
分裂したのでしょうか?
本当に不思議な生き物ですこと!