ドルニエ

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11/18/2023, 2:21:19 PM

 それは最後の選択だ。
 選んだんじゃない、でも、選ばされたのでもない。どっちでもない、境界の間の、無限にあるあいだのひとつだ。でも、それは必要だった。それだけだ。
 大勢の人たちが死闘を繰り広げるなか、目立たぬ場所で座る。誰も気づかないが、それがいい。ぽろん、と背負っていた得物を鳴らす。調整は完全にできているが、そんなことはどうだっていい。それはハートだと言う人もいるが、どうだっていい。*****を追う前に覚えたモノを得物にのせると、はるか前方で暴れるソレが奇声をあげるが、その意味に気づく者はいない。ぼん、と肉の爆ぜる音がするが、誰も気づかない。誰かが放った火炎魔法の効果だ。構わず指を動かすと、さらに大きな爆音が響く。
「何をしてるんです?!」
 いち早く異変に気づいたボスが声をあげると、数人がこちらを向いた。人一倍繊細で気の回るあの人らしいが、この場合余計なことを、といったところだ。ソレと同じように、ぼん、という破裂音とともに右足首の肉が爆ぜる音がする。激痛が走ったはずだが、前もって備えていた俺には何のことはない。ただただ目の前の怪物に憎しみをのせて弦を撫ぜると、さらに相手の首のひとつが爆ぜ、体液が飛び散る。
 死ね。滅べ。あのひとたちから離れろ――そう思いながら吟じる。
「お前!」
 遠くからあのひとの声が届く。お願いです、あなたは、あなたの望んだ先を進んでください。
 ぱん、とこめかみから上の皮膚がひしゃげる。でも止めない。ぎり、と歯を食いしばり、指に力をこめて弦を弾く。
 陸に貴様らの及ぶところなどない。貴様らにあやつられてなどなるものか。貴様らなどに、貴様らなどに。
「――」
 後ろから抑えこまれる。相当な力がこもっているはずだが、構わず弾き続ける。滅べ。爆ぜろ。死ね。死ね。――。恨みと憎しみと愛着と、悔しさと、形容しがたい気持ちと。
 あのひとと、あのひとたちと。
 腹の肉が彈け、どろりとしたものが下半身を濡らす。あのひとの手が血にまみれる。
「お願いです。あなたは、あなたの好きなことを」
 あなたの求めるものを追い求めてください。僕は、行き交う無数の旅人のなかのひとり。僕の勝手な一人芝居の相方。でも、もしかなったのなら、ずっとあなたのそばにお いて――
「  」
                   route N.

10/29/2023, 4:02:34 AM

 何も見えない恐怖、先の見通せない不安。そんなことはこれまでもそうだったし、これからもそうだ。千里眼なんて特殊能力もないし、神々だってそれは同じだ。いや、先が分かってしまえばつまらない。はりあいがない。素晴らしい未来が思い浮かべられないのだから、本当に先が分かってしまったら、絶望しかないだろう。そう思う。先が見たいだなんて思うのは、よっぽど満たされているか、盲目的に希望をもっているか、道理の分かっていない者だけだろう。
 だから、この暗がりには希望の余地がある。安息がある。そう思う。これが病なら治らないでほしい。

 そんなある日のある事件。生きて帰れただけましだった事件。それが転機になるとは誰が想像できたか――そんな事件。

 混沌とした頭で思い返し、俺はごろりと転がって腹ばいになる。小柄な俺には大きすぎるベッドだ。
 あの人はまだ戻らないのか。
 無理やり起きあがってテーブルの上の飲みかけのグラスを手にし、中身を呷る。さらに継ぎ足して、ちょっとだけ口にする。安い酒だ。そんなには美味くないが、それでもなんだか楽しくなってきて、口もとが緩んだ。
 ――見ているか、じじいども。俺は今、とても幸せだぞ。
 俺の貧弱さをあざ笑ってきた老人たちを思い浮かべて笑みを濃くする。
 いつかお前たちが俺を捕らえにくるなら、教えてもらったこの力で。
「――燃やし尽くしてやる」
 我ながら挑発的で、物騒な台詞だ。でも、俺の言葉だ。言わされたんじゃない。俺の意思だ。思わされたんじゃない。――違うか。
 あの惨めな日々があったから俺はここにいて、彼らに牙を剥く気になったのだ。だから、やっぱり言わされたのだ。思わされたのだ。でも、そのあとにはきっと。
 俺の「先」があるんだ。

10/8/2023, 8:05:49 AM

 そのときが来たら俺はどうするのが正解なのだろう。
 喜びを爆発させて、手をとってぶんぶん振り回して、最後に甲にキスをするのがらしいのか、無難に体の前で手をひらひらさせて、お互いに近づいて笑顔で挨拶すればいいのか。さすがに駆け寄ってハグしたら捕まってしまうだろう。まだ、その人と会う話にすらなっていないのに、そういう妄想ばかりする。
 経験の浅い者によくある話だ、という自覚はある。それだけはある。
 とにかく俺はその人が気になって気になって、それはもう気になって仕方がないのだ。本当はどんな人なのかも知らない。分からない。会った瞬間幻滅するかもしれない。されるかもしれない。とにかく何も分からない。分からないくせに、ポジティブな気持ちだけが膨れあがって胸がいっぱいになって、仕事どころじゃない。眠ることもできない。冷静になるまでもなく恥ずかしい。自分で自分が見ていられない。狂いそうだという理不尽な感覚だけが一丁前にある。

 思うに、選択肢を素早く、複数用意できるのが経験を積んだ人、豊かな生きかたのできてきた人なのだ。そう思うと、俺の半生は空疎で、粗末で、貧相だったなと思う。いや、分かる。だから自分の気持ちが分からない。比較対象がない。ないわけじゃないけど、風化しすぎてサンプルとして用をなさない。だから、このよく分からない気持ちが実ることはないだろう。そう、何度も自分を説得し、何度か諦め、放棄し、そしてまたその気持ちを拾って、棚に飾って眺めては悦に入っている。

 もし、本当にその人に会えたなら、俺はどう振る舞うべきなのだろう。どうしたいのだろう。力の入れかたが分からない。抜きかたも分からない。効率が悪い。結局「頑張る」しか出てこない。疲労した頭で思う。ない尽くしの手札で考える。俺の提示できるもの。与えられるもの。無謀な望み。

 経験という煉瓦なしに、俺は泥から粗末な犬小屋でも建てられるというのだろうか。

9/29/2023, 10:47:53 AM

「今日も演奏、素敵だったわ。ありがとう」
 そう言って、C***さんが頬に口づけをして去っていく。それが彼女にとっては(ある程度気に入っているとか、そういう前提があるにしても)それなりに珍しくないことだと知っていても、やはりどぎまぎしてしまうのは、俺が男だからなのか、彼女がそれだけ美人だからなのか、その両方なのかは分からない。横で見ているあの人も特に気分を害した様子を見せないから、構わないといえば構わない。それに、あの人によれば俺も大概キス魔だからどうでもいいらしい。そもそもお前は私のモノじゃない、と言い切られたときはちょっと悲しかったから、そのへんの感覚は単純でいて大層複雑なのだ。これがヒトの機微というやつか、とあるとき漏らしたら、それだとまるでお前が人間じゃないみたいに聞こえるぞ、と笑われたから、それはそれでなんとも言えない気分になった。
 まあ、マウストゥマウスじゃないからいいか。
 そう思うことにする。
「さて、どうする?少しなら飲むのに付き合ってもいいが」
「そうですね――」
 あの人の言外の誘いに俺はちょっと考える。ここの酒場は何度か来ているが、品ぞろえはよく言えばオーソドックス、悪く言えばコンサバなので、外しはしないが嵌りもしない。質についてもそれは同じだから、意外な発見、というのも期待できない。
「今日はいいです。それよりも――」
 そう言ってあの人の腰のちょっと上、手を置きやすい場所に触れる。背丈があまり変わらないから、自然と腕を伸ばした先がちょうどそこに収まるのだ。もっと積極的な男ならばそのまま抱き寄せやすいのかもしれないが、俺にはそれはあてはまらないようだったし、彼女もそれで喜ぶタイプではない。
「ふふ、今日は妙に積極的だな」
「そうですか?まあ、さっきまでの曲のせいですよ。酒場ですから」
 そう言って俺にしては珍しくちょっとだけ彼女を引き寄せると、彼女は俺の鎖骨のあたりに、挟むように手を置いてそっと撫ぜる。ぞわりとしたものを感じるが、俺は身体を引かずに、むしろ前に出て彼女の耳元で、それらしい言葉を囁く。
「そのよく分からない言葉、なんとかならないのか?たまに水をさされた気分になるんだが」
 そう言う割に、距離を保ったままに熱い、おそらく酒くさい息で彼女は囁き返した。俺は一度身体を離し、軽く口づけをする。至近距離で見た彼女の目は、言葉ほど冷めてはいない。
「すみません、つい。たくさんしてください、って意味です」
「ならいい。せいぜい可愛がってやる。いつもとは違うだろうしな」
 そう言うと、彼女は寄りかかっていた壁を離れてカウンターへと向かい、俺も黙って従う。案の定、おや、今日は飲んで行かれないんで?という言葉をかけられるが、俺は無言で彼女に視線を向けた。彼はちょっと意外そうな顔をして、いつでもお待ちしていますよ――とだけ言うと、すぐに別の客に呼ばれ、俺たちから離れていった。
 そのやりとりを黙って見ていた彼女は、まあ、いい。そういうのもお前の少しはましなところだ――そう言って俺の手を掴むと、酒場を出た。
「さあ、素面のお前はどうだろうな」
 そう言った彼女の目は、やはりらんらんとした光を放っていた。

9/25/2023, 11:01:36 PM

 この部屋はいつでも暗い。だが、暗さにも色々あるから、日が出ているかいないかくらいは分かる。今は夜だ。
 私は常軌を逸した殺人狂らしい。おのが欲望のために数千の命を奪ったと。だがそれを知ったのは、お粗末な裁判が終わったあとの話だ。本当かどうかは私には分からない。思い出せない。気がついたらこの部屋にいて、鎧を着た屈強な男たちが、食事や日々必要なものを怯えながら運んでくる日々だった。この部屋の中で、絶対の孤独が守られるかぎりは私は自由だ。いつ起きてもいい。いつ食べても、いつ歌っても、いつ本を読んでもいい。それだけのものは揃っていた。
 窓には木の板がきっちりと打ちつけられているが、わずかな隙間から光が差し込むし、注意を凝らせば板のむこう側もかろうじて見える。ただしそこには城壁が控えていた。だから板などなくてもあまり意味がない。これも「裁判」の結果だ。
 さて――とベッドから立ちあがる。そのタイミングで扉がそっと叩かれる。食事だろうか。どうぞ、と応えると、あからさまに怯えた目をした若い兵士が、食事と、そのあとに抱えるほどの荷物を手に入ってくる。
 そこまで怯えることはないでしょう、そんなことを言っても、兵士は応えない。最小限のやりとりしか認められていないのもあるが、私と言葉をわすのも怖いのだろう。適当なものを求めると、お伝えします、マダム。とだけ彼は応え、ちょっと考える素振りを見せると、他になにかございますか、と若い声がわずかに柔らかくなった。いいえ、もういいの。ありがとう――そう返すと、兵士は顔を引き締め、かちりと礼をして部屋を辞した。

 翌月、この青年兵士と囚人とがこの部屋で遺体になっているのが見つかる。彼女たちの間でどんなことが起こったのかを知るもの、語るものなどいなかったし、このあと大きな展開をみせることはなかったが、この事件は司法の世界では少々問題になった。囚人と看守とが親しくなっていた、かもしれなかったからだ。といって、彼らにできることもない。これを防ぐ方法は、看守が人間でないもの、たとえば完全に自律する機械のようなものか、あるいは囚人を“壊して”おくかしなければ、ならないからだ。前者は夢物語だし、後者を採るには社会がまだ“人間的”すぎたのだ。かくして、真相も解決法も見いだせないまま、囚人の名と、その悪行だけを残して、この事件は忘れ去られることとなる。

 いつかこのおぞましい問いに解が見いだされることがくるのだろうか。

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