本気になれるのはいつだって「好き」に対してだけ。
それすらも本気じゃなきゃ、あたしは何にもできない。
織姫と彦星は年に一度の七夕の逢瀬を心待ちにしているが、雨になるとカササギの橋はかからないと聞く。
だが、幼い頃から七月七日は雨の日だった。
それもそのはず、七月七日は梅雨も明けたか明けぬか分からぬ季節。こんな日にこんな行事を設けるなんて昔の人は馬鹿なのかと思った。
お陰で織姫と彦星は年に一度どころか、十年に数度しか会えぬ有様である。
恋人との逢瀬が年に一度、それだけでもつらいのに。
この二人を思うと胸が痛くてたまらない。
自分が恋を知り、その幸せを知ってからはひとしおだった。
「ねぇ、あなた。酷い話だと思わない?」
「優香は多感だねぇ」
「むー。私が欲しいのはそうじゃない」
ごめんごめんと笑いながら謝る彼が、教えてくれた。
「七夕が雨ばかりなのは新暦になったからなんだよ」
言われて、気づく。そういえば昔は太陰暦を使っていたんだっけ。習ったことはあったが、それとこれとを結びつけたことは無かった。
「じゃあ、旧暦の七夕はいつ頃だったの?」
「大体1ヶ月先だから、8月くらいじゃない」
ってことは梅雨も明けて夏真っ盛りじゃない。
「織姫と彦星も昔は結構会えてたわけね」
「今でも陰暦で七夕を祝う地域もあるけどね」
「え、そうなの?」
知らなかった。
勝手に昔の人を馬鹿にしていたけれど、私が知らなかっただけだなんて。
話し出した彼は饒舌だ。知識をひけらかしたい顔をしている。
「七夕の頃の月って分かる?」
「月?」
あんまり考えたことがない。七夕に月の絵なんて書いてあったっけ。
「三日月?」
「違う。上弦の月」
陰暦の七日は大体上弦でしょって。
言われてみればその通りだが、馴染みのない陰暦の話についていけない。
「詳しいね、すごいすごい」
話題に飽きてきた私は適当に褒めて、そしたら彼が嬉しそうに笑った。
頭がいいんだか悪いんだか、そういうところが可愛くて好きだ。
「ねぇ」
「なに?」
「あなたは雨でも迎えに来てね」
ピカッ
きらりーん
パチッ
ちろちろ
パッ
煌煌
チカチカ
キュィン
「完全な僕には価値があります。
多くの人が僕の力を求めます。
とても嬉しいことです。
僕の力は有限です。
一度でも使えば、もうあなた以外の誰も僕を必要としてくれません。
そして、使えば使うほど、身を削り、汚れ、いずれは力尽きることになるでしょう。
けれど、僕を必要とするただ1人のあなたが僕を使い続けてくれなければ、ただ無為に死ぬこととなります。
一度でも僕の力を使えば、僕は不完全な僕となるのです。
恨みはしません。
必要とされるのは本望です。
ただ、一度使うなら、この身朽ちるまで必要としていただけたなら。
あなたにほかに望むことはありません。
……いえ。たとえ、あなたが使い続けてくれなかったとしても。
恨み言など言いません。
僕はあなたが使ってくれる次の日を黙して待つのみです。」
これが、ある朝、机の上のノートに書かれていたことだ。
普段は書かれているものを消していく彼が、唯一書いたこと。
私が消しゴムの文字を見たのは後にも先にもこの時ばかりだった。
先月、祖母が亡くなった。
私は葬式にも出なかった。
どころか、ここ数年会ってすらなかった。
容態が悪いということは聞いていた。
私は不孝者である。
記憶すら曖昧で、どんな顔だったか、どんな景色だったかも思い出せない。
大した思い出すらない。
強いて挙げるなら、何かの拍子に匂った時、それが祖母の家の匂いと同じ時に、同じと気づくことが出来るくらいだろうか。
祖母の家の匂いは何によるものか、名前を知らない。それが分からないほど幼い頃しか会っていない。ただ、その匂いがあればすぐ気づく、というだけの話。
香水、ではなかったろうとおもう。
香水は名前のある匂いだから。
名前があって、付け替え自由な匂いだ。
祖母の家の匂いはいつも祖母の家の匂いとしか言えない。
こんなことしか思い出せない。
ねえ。
────。