「あれ、君今日から入る子?」
「あっ、はい。田中といいます。今日からよろしくお願いします。」
「はい、よろしくね。僕は鈴木です。君の指導係だから、しばらくシフト一緒に入って教えていくよ。分からない事はどんどん聞いて、分からないままにしないでね。なんたってこの国の未来に関わるからね。」
「はいっ、よろしくお願いします。」
「早速、配られた資料は目を通してあるかな?」
「はい、見ました。」
「じゃあ、確認していこうか。まず、僕たちの主な仕事内容は?」
「食事、排泄の処理です。」
「そうだね。注意することがたくさんあったと思うけど、覚えてる範囲で言ってみて。」
「はい。えーっと、快適な室温を保つ。排泄後は速やかに処理する。食事は頻回に。保湿。あとは…」
「うんうん、あとはやりながら覚えていこう。」
「はい!」
「僕たちの部所は特に食事回数が多いから少量をこまめにね。あと人肌ぐらいの温かさでね。それより熱いのは絶対だめだから。」
「了解です。」
「なるべく話しかけてあげてね。コミュニケーションが大事だから。」
「話かけるんですか?」
「そうそう、最初は何て話そうか困るかもしれないけど、先輩たち見て慣れてくればいっぱい話せるから。」
「わかりました。」
「この子たちはまだ話せないし、そんなに動けないから、基本は泣いて要求してくる。よく観察して何を要求しているか考えて応えてね。」
「はい…」
「まあ、最初は分かんないと思うけどコミュニケーションとっていくと自然と分かるようになるから大丈夫だよ。ああ、あと首がすわっていないから抱っこする時はしっかり首もとに腕を入れて支えてね。危険だから忘れずにね。」
「はっ、はい。」
「1年で大体3倍の重さになるから腕が鍛えられるよ。」
「そんなに急激に大きくなるんですね。」
「こうやって僕たちも大きくなってきたからね。大事なのは愛情を持って働く事だよ。すぐ皆巣立って行っちゃうけど、今赤ちゃんを育てるってのはこの仕事をしていないとできない事だから。」
「昔は夫婦で育てていたんでしたっけ?」
「そうだね。少子化や虐待の増加でこの制度ができたらしいからね。もう自分を産んだ人を知っている世代の人はいないんじゃないかな。」
「そうなんですね。」
「僕たちの働きがこの国の未来を育てるからね。誇れる仕事だよ。一緒に頑張ろう。」
「責任重大ですね。頑張ります。」
『小さな命』
世の中にはこの気持ちを伝える言葉がたくさんある。
付き合っているからと慢心している訳じゃない、伝える事の大切さは分かってはいる。
だけど、自分は素直に言えるタイプではない。
「月が綺麗ですね」みたいな文学的センスも、ギターを弾いて歌にするような技術も持っていない。
サプライズなんてもってのほか。
失敗が怖くてしょうがない。
いっぱい食べるところとか、些細な事でも大きく笑うところとか、楽しそうに色々な事を話してくれるところとか、さり気なく優しくしてくれるところとか、隣に居ると安心するところとか。
挙げたら切りがないくらい思っている。
でも、それらをまとめた言葉が言えないから。
普段撮らない写真を撮ったり、ここに行こうって誘ったり、ちょっと寄りかかってみたり、酔ったふりして甘えてみたり。
君には伝わっているよね?
いや、でも、ちゃんと言葉にしないと。
『Love you』
真っ暗な部屋の中、強烈な光を放つ。
微かに聴こえてくる音。
時計に目を向けると短針は12を超えていた。
反対側に体を倒すと大きな背がこちらを向いている。
―ようやく眠れそうだったのに。
大きな背に触れようと手を伸ばしかけたが、布団の中に戻す。
「ねえ、そろそろ終わりにして」
返答はない。
その代わりに暗闇と静寂が訪れる。
『太陽のような』
「はぁ、だめだ…」
この言葉を言うのは何回目だったか。
やってやるぞと思って、やっぱりだめだと止めてしまう。
こんなにも真っ白だから、僕が汚してしまいそうで怖くてできない。
別にこれが初めてではない。毎回躊躇ってしまう。
1度始めてしまえば同じ、どうせ汚れてしまうのだから。
気にしなくていいんだと自分に言い聞かせる。
それでも身体は重く動かない。
こうしている時間ももったいない。
意を決して身体に力を入れる。
「あっ…!」
やっぱりやってしまった。
グシャッ
それからは落ち着いた気持ちで書くことができた。
新品のノートに書くのは毎回緊張するな。
『0からの』
はっと目が覚めて時計を見る。起きる時間まであと30分ある。のそのそと布団の中に潜り込む。
アラームが鳴り響く。あと10分だけとスヌーズを繰り返す。
身支度を終え家を発つ。毎日の繰り返し。
帰りの電車、イヤホンから流れる音楽で遮断する。
言い方のきつい先輩。大きな声を出す客。噂話と陰口。それに合わせる自分。あのやり方であっていただろうか。あれをやり忘れていた。………
ぐるぐる回る思考と無意識に行う習慣。
明かりを消し、冷たい布団に震える。
おやすみなさい。
『今日にさよなら』