「またね!」
「またね」と言ってサヨナラ出来るなら、どれだけ良かっただろう。
貴方と私には「また」はなく。
今、この場で貴方と別れたら、もう二度と貴方と逢う事はないだろう。
貴方にはあの子が居て。
あの子は、貴方が居ないと壊れてしまうから。
だから、貴方と離す事は出来ない。
貴方もそれを解っているし、責任も感じてる。
私も、知らなかったとは言え、あの子を傷付けてしまった。
あの子は貴方が居ないと生きていられなくて。
自分の友達を裏切ってまで貴方を手に入れようとして。
そして、虐めにあって学校を辞めた。
貴方はそれを知って、責任を感じて、あの子と一緒に居る事を決めた。
それから何年かが過ぎ。
あの子との間にも愛情も湧いてきて、長く一緒に居た。
でもそんな中、私と出逢い、私と恋に落ちてしまった。
私はおめでたくて、あの子と鉢合わせして修羅場になるまで全く気付かなかった。
やっとその時になって、口止めされていたであろう貴方の友達から全てを聞いて、知った。
でも、知らなかったなんて言い訳をする気はない。
だって、真実を知っても、馬鹿だけど私は貴方が好きだったから。
貴方も、私も、あの子も。
きっと、皆が、悪い。
けど、良いとか悪いとかじゃなく、世の中には、どうにもならない事もある。
簡単に「あの子が強かったら。あの子が身を引けば」とか、「彼があの子をちゃんと幸せにすれば。彼が誠実であったなら」とか、「ホントはお互いに想い合ってるんだから、あの子の事なんて気にしなくていい」とか。
周りの人はそれぞれに色んな事を言うけど、そう簡単には割り切れない。
それぞれにそれぞれが大切にしている想いや、立場や、情や、矜持があって、好きだけでは簡単には動けない。
だから、貴方とは。
「またね」のない、サヨナラ。
逢いたい気持には蓋をして、もう二度と逢わない。逢えない。
貴方の顔も見納め。声も、聞き納め。
そして、貴方への気持ちも、これで最後。
また、のないサヨナラ。
苦しいけど、辛いけど、切ないけど、互いに選んだサヨナラ。
悩み抜いて選んだ、サヨナラ。
後悔はしない。していない。
でも。
この辛さはどうすればいい?
やり場のないこの気持ちは、何処に葬ればいい?
どうすれば、貴方を忘れられるの?
誰か、教えて……
「春風とともに」
春風と共に、ニクいアイツがやって来る。
長年悩まされてる花粉症。
毎年辛いです……
「涙」
涙には浄化作用や鎮静作用がある。
悲しみを和らげたり、ストレスを緩和したり。
だから、泣く事は悪い事ではないし、むしろ嬉し涙とか感動の涙はどんどん流せばいいと思ってる。
でも、大人になると「人前で泣くなんて……」みたいな気持ちが心の何処かにあって。
特に、悲しいとか悔しいとか怒りとかの涙は、人前で流すと恥ずかしい、みたいな風潮もある。
でも、泣けば何とかなる的な涙とか、武器として使う涙は確かにどうかとは思うけど、普通に心が動いて出る涙は、別にいいと思う。
ただ、泣くと周りの人も気を遣ったり、場の空気が微妙になったりするから、なかなか思う様には泣けない。
でも、私は思う。
笑う、怒る、驚く、喜ぶ、悲しむ、悼む。
色んな感情があって、その延長線上に涙があるのだから、涙も特別扱いしなくていいと思う。
そしたら、誰もが泣きたい時に泣けるし、周りの人も、良くも悪くも変に気にしなくてもいいと思う。
勿論無視していいって事ではなくて、泣きたい人が泣けない様な気遣いとかは不要だと思う。
大人だって、心はあるし、感情の振れも大きい時もある。
泣く事でコントロール出来るなら、それも一つの手段だから、我慢しなくても良いと思う。
いつか、皆が皆に優しく、泣きたい人が人目を気にせずに泣ける様な、そんな社会になればいいな、と思う。
それは、皆が自分勝手な子供になるのではなく、大人でありながら、大人であるが故に、それぞれが他人を受け入れて、受け止められる社会になればいいな、と思う。
「小さな幸せ」
通勤で、一度も信号に捕まらず職場に着いた。
探していたのになかなか見つからなかった品物が、まさか、という様な所で売ってた。
朝から推しの顔を見れた。
お店で大好きな音楽が流れてた。
日常で、ささやかな幸せを感じる瞬間って、実は沢山ある。
その時は、「良かった~、ラッキー」って思うけど、意外と簡単にその幸せは日々に埋もれて、忘れてしまう。
でも考えると、一つ一つは小さな幸せでも、人生の幸せの総量で考えると、その小さな幸せの積み重ねって、実は凄い量になるんだろうな、って思う。
そして、ホントは凄い事である小さな幸せを忘れて、不幸ばっか気にして、幸せを噛み締められないのは勿体ないって思う。
手に入れられない、或いは、手に入らない不幸を嘆くより、今確実に自分の手の中にある幸せを噛みしめればいい。
そして、その幸せに感謝すればいい。
境遇は、環境は、自分の努力だけでは変えられない事が大半。
だったら、自分の気の持ちようで変えられる部分を変えよう。
そうやって、自分の人生を「幸せ」と思って過ごせる事が、きっと一番の幸せだから。
「春爛漫」
春になり、今迄眠っていた花々が咲き誇る。
赤、ピンク、白、水色、オレンジ。
様々な色の、様々な大きさの、それぞれ形の花が咲き誇る。
どれが一番とかでなく、それぞれに綺麗に、可愛く、華やかに、たおやかに、咲き誇る。
花も、人も同じ。
皆違うけど、それぞれが頑張って咲いて。
もし蕾のまま咲かなくても。
芽が出る事すらなくても。
それでも次の世代や、誰かに何かの影響を何か一つでも残せれば、それは咲いたと同義だと思う。
花も春爛漫。人も、動物も、植物も、全ての生きとし生けるものが、春爛漫。
そんな素敵な世界であれるよう、皆がたゆまぬ努力をしていければ、きっと素敵な世界になれると思う。
子供達に、少しでも今より良い世界を残したいから、少しでもそこに近づける様、自分も頑張って行こうと思う。